香港の朝

五色塾 小川誠さんの<地雷を踏んだ象を支援する特別号>は世界からのたより をクリックしてご覧ください。
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イギリスは香港統治時代、本国のハイドパーク、リージェントパーク等と同様に街の真ん中に大きな公園を造った。

九龍公園,香港公園、そして維多利亜公園(ヴィクトリアパーク)、中国返還後もそれらの公園は今も市民生活に密着した憩いの場であり、集いの場、そして運動の場となっている。

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香港の朝は早い。夜明けとともに公園には太極拳をする老人たち<早晨(ゾォーサン)早晨 (おはよう、おはよう)何故か2度言う>と挨拶しながら集まり始め、またジョギング、エキササイズに出勤前の近所のおっちゃん、おばちゃんがやってきて摩天楼に囲まれた木立におおわれた公園は次第ににぎやかになっていく。
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公園に運動に集まるおっちゃん、おばあちゃんたちの衣装は、トレーニングウェアではなく、一応部屋着、おばちゃんはプリントのブラウスにパンツ、ハンドバッグはたすきがけ、靴も普通の革靴、歴史に翻弄された香港に生きてきた年輪が顔に刻まれている。
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イギリスの植民統治に残した、英語教育、英語のニックネーム、迅速で清廉な公務員の仕事のマナーまた、市民生活密着した公園、世界一とも評価されている国際空港など、それらのソフト、ハードの植民地時代の遺産は中国返還後もしっかりと香港の市民生活に根を張り、今も有効に活用されいる、
植民地時代の象徴であったヴィクトリア女王の彫像もそのまま厳然と残っている。
戦後60年たってもいまだなお批判され賠償請求されている日本の統治との差を感じずにいられません
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投稿者: otaku 日時: 10:48 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

チェンマイ エレファントキャンプ

チェンマイ近郊には数箇所のエレファントキャンプがあり、各キャンプには小象も含め数十頭の象が飼育、調教され観光スポットになっています。
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絵を描いたり、ボールを蹴ったり、楽器を演奏したり、大きな体に似合わず器用にこなす芸に観光客の拍手喝さいを浴びています。

中でも象に乗って熱帯雨林の山、川を1時間かけて行くトレッキングはチェンマイならでは醍醐味です。
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タイでも森林伐採により象の餌がなくなり、野生の象はわずかになり、タイ人にとって象は神様の使い、一番生活に密着した動物です。

カンボジア国境で林業を手伝う象や野生の小象などは時折、人間の仕掛けた
地雷を踏みつけ、足を吹き飛ばされ村人たちに懸命に救助され数百キロ離れたランパンの象病院まで運ばれて治療を受けます。

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五色塾の小川誠さんはそんな象の病院の支援のための募金活動を行っています。<世界からのたより>をクリックして小川さんのチェンマイ便りをご覧ください。

 募金先

銀行: Bank of Ayudhya Public Co.,Ltd.

Suanplu Branch

口座名:FRIENDS OF AJIAN ELEPHANT(略称FAE)

口座番号: 040-1-14242-7

URL:  www.elephant.tnet.co.th

E-mail: fae@loxinfo.co.th

電話:タイ66-(0)-2945-7124、6

住所:350 Moo 8、Ram-Indra Rd.Soi 61(KM.6)

Tharaeng,Bangkhen,Bangkok 10230,Thailand

あるいは

郵便貯金口座名:五色塾

口座番号: 00220-0-78656

「象病院支援」とお書きください。




投稿者: otaku 日時: 12:55 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

香港快楽交通

衣食住すべての物価が日本並み(それ以上)になってしまった香港で、まだ公共交通機関の料金は割安感を保っています。

地下鉄(初乗り:4元/60円)タクシー(初乗り:15元/225円)バス(初乗り:3.2元/48円、路面電車(2元/30円)スターフェリー(2.2元/26円:ファーストクラス)

中でもお薦めは英国植民地時代から半世紀以上に渡って利用され続けている
路面電車(トラム)とスターフェリー。
路面電車(トラム)は、香港島だけに走る2階建電車、これがどこまで乗っても
一律2元(30円)、2階席に乗って香港名物の路面にせり出した看板すれすれに
香港島の繁華街、金融街、旧市街をゆっくりとゴットン、ゴットン揺られながらの
数十分、観光バスでは味わえない香港の素顔に出会えます。
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そしてイチオシは、香港島の中環と九龍の尖沙咀間のビクトリア湾を6:00ー23:30ピストン運行しているスターフェリー(天星小輪)、煙突に星のマーク、白とグリーンの船体はまさにコロニアル レトロ、名前も<天星><日星><牛星>などの星をネーミングした減価償却がとっくに済んだ船が12隻この道数十年、船の乗降の作業するレトロなおっちゃんのユニフォームも昔ながらのスターマークのセーラー服
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運賃は1階の2等席が1.9元(26円)2階の1等席が2.2元(30円)、乗船時間は7分
お薦め乗船時間はたそがれ灯ともしごろ、そよぐ潮風のなか、大小の船が行き交う海峡をフェリーは海に浮かぶ枯葉のようにユラユラと進んでいきます。
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超高速に進行する香港生活で、このフェリーの空間はまさにタイムスリップした異空間、 香港摩天楼を茜色に染めながら夕日が沈み、百万ドルの夜景がポツポツと灯りはじめ、やがて始まる香港ナイトライフのときめきを予感させる贅沢な7分間30円(ファーストクラス)のプチクルーズ、是非機会があればお試しください。


投稿者: otaku 日時: 19:14 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

ソウル 憂色

ワールドカップ、日本の予選リーグ敗退決定の翌日、23日ソウルは街中、朝から決戦ムード全開、マスコミも市民のスイス戦に向けての話題ばかり、夕刻から紅いTシャツを着た若者たちは市内の大型モニターを設置された各会場へ集結して行きました、最大の会場6万人収容のワールドカップスタジアムはすでに10時で満員札止め、翌日が土曜日ということもあり、全国民ぶっ倒れるまで応援するぞという気迫がガンガンに伝わってきました。
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試合開始までの5時間、前回同様の各会場での応援コンサート,人気歌手たちも紅い衣装歌の途中でこぶしを振り上げ<大韓民国>と、聴衆といっしょに大合唱、特大の国旗<大極旗>もうちふられ必勝ムードは、またまた頂点に達していました。
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結果はご存知の通りの2-0での完敗、おまけに3位だったフランスがトーゴに
2-0で勝ったため、勝ち点4をあげながら、審判の明らかな誤審もあったけれど最後の最後でまさかの予選敗退・・・・・・

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白みかかったソウルの通りには敗北のショックと徹夜の憔悴とで肩をがっくり落としてとぼとぼ家路に帰る紅い集団があちこちに見られました。

過ぎたことはあっさり忘れられる日本の国民性に比べ、WBCに続いてのまさかの予選敗退という奈落の底につきおとされた激情型の韓国はこのショックから立ち直るまでには今しばらくかかるのではないでしょうか・??

投稿者: otaku 日時: 17:42 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

キムチ色に紅く燃えるソウルより

ワールドカップで熱く燃えるソウルに入りました。

翌朝の試合の前夜からすでに市庁舎前広場界隈には紅いTシャツの群集で埋め尽くされ応援コンサートの歌、ダンスで早くも盛り上がっていました。
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市庁舎近くのホテルで宿泊した僕は、打ち鳴らされる太鼓の音と<大韓民国!大韓民国!>のうねりのような絶叫で目を覚ましました。
窓を明けると周囲の道路はRED DEVIL(紅い悪魔)と呼ばれる徹夜した
群集で埋め尽くされ街中が甲子園状態、韓国が同点に追いついた瞬間はゴォ
ッというような轟音が響き、花火まで打ち上げられました。

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ほとんどの国民が朝4時前に起きてのTV観戦のため、徹夜組も含め昨日1日
韓国は国中が居眠りモード、ふだんあまり通勤電車内で居眠りしないソウル市民も昨日の地下鉄内は朝からあくびする人、眠る人が多く、セミナー会場のアルバイトの学生たちも昼休みはソファーに倒れこんで爆睡モードに突入、夕方のTVニュースも授業中に居眠りする高校生の姿を先生の<まあ、今日は仕方じゃないですか・・>の先生のコメントといっしょに報道していました。
こういう状態を予測して午後からの出勤に切り替えた会社もあったとか・・

世界野球同様、最後の奇跡に願いをかける日本、すでに予選リーグ突破を確信したようなハイ状態の韓国、いずれにしても23日は日韓ともに興奮の夜、寝不足の朝を迎えそうですね。

投稿者: otaku 日時: 05:59 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

五色塾 小川誠さんからのお便り

学生時代からの友人の小川誠さんはサラリーマン時代は世界を飛び廻る海外営業マンとしてご活躍後、日本政府の日本語教師として、クアラルンプール5年、ケルン3年の生活を経て、現在はご自宅で不登校、引きこもり子供たちを同宿させ五色塾を開き、ドイツ人の肝っ玉奥さんブリギットさん、5人(!)のご自分の子供とたっちといっしょに10数人の集団生活をして不耕作、無農薬農業を実践されています。
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昨年11月チェンマイ郊外のプーディン村へお越しいただき、村での農作業の手伝い、村でのホームステイ、小学校での群れ遊び、日本語指導など心のこもった交流をしていただき村の人たち子供たちにも感動を与え帰国後ご自身の五色塾の会報誌に<チェンマイ体験紀>を配布されました。ご本人の許可を得て、<世界からの便り>のページに掲載させていただきます。是非ご一読を・・・
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五色塾
〒229-0032 相模原市矢部2-21-17
TEL&FAX:042-757-7163
goshikijuku@white.livedoor.com
http://goshikijuku.infoseek.livedoor.net


投稿者: otaku 日時: 11:52 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

村のアクセサリー工房

チェンマイ郊外のプーディン村に果樹園を取得した関係から村長さん初め、小学校、村民の皆さんとの交流が始まりました。

タイでは近年、大分の平松知事の一品一村運動にヒントを受け国家政策として、タイ版一品一村運動<OTOP>が全国で展開中でその商品は国を挙げてのPR活動で販売促進中です。

プーディン村の村長さんから村のOTOP起業の相談を受けたのが3年前。農業とは別の仕事を創出して、村民の現金収入の確保と若者の村での定着を計りたいとのこと・・・

友人のタイ人宝飾デザイナーベンジャワンさん協力で、まずは5人の工房からスタートし、彼女のデザインを制作し始め今では25人まで大きくなりました。タイは世界からの宝石、輝石の集積地、また山岳民族伝統の銀の生産地でもありタイ人の手先の器用さでの宝飾品の制作は大きな産業でもあります。

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村のアトリエで制作した商品を昨年からバンコク、香港、
先月は神戸の国際展示会にも出展し、世界中のバイヤーからオーダーも入り始め村のおばちゃんたちも自分たちの作ったアクセサリーが世界に輸出されるとあって張り切って制作しています。

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このブログ<オンライン ショッピング>でもプーディン村制作のアクセサリーをご紹介させていただきます。
よろしくお願いします。

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投稿者: otaku 日時: 11:05 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

プーディン村より

チェンマイ郊外のプーディン村の果樹園を縁あって購入したのが2003年、それ以来、村の人たち、小学校の生徒たちと交流が始まりました。

プーディン小学校の生徒80名中15名の生徒の親がHIVで亡くなっているという現状を知らされ、友人、知人に呼びかけ奨学金支援活動を始めて4年目に入りました。
またそれを機に小学校訪問いただいた皆さんには様々な活動で村の人たち、子供たちとの交流の輪が拡がってがっています。


今回は株式会社イミオhttp://imio.co.jpの倉林社長がハンドキャリーいただいたフェアトレードのサッカーボールの寄贈し、友人の所沢の名門少年サッカーチーム、山口サントスのコーチ辻氏の指導で1日サッカー教室を開催しました。

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休日にもかかわらず、男子生徒全員参加し炎天下の下、子供たちの歓声が校庭に響きました。
サッカーはタイでも最も人気のある球技、子供たちもムエタイさながらに裸足で鋭いシュートを連発していました。
ミニゲームはいつものように裸チームとTシャツチームでの激戦、日本の少年サッカーのように高価なユニフォーム、スパイク,整備されたグランドはないけれど、ボールを懸命に追う少年の姿は万国共通、ボールひとつさえあればどこでもプレイできるサッカーの全世界的人気の所以を再認識した1日でした。
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投稿者: otaku 日時: 15:14 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

チェンマイより

タイ北部の古都チェンマイを初めて訪れたのはもう20年も前、喧騒のバンコクから空路で1時間、周囲を山に囲まれた歴史と文化の街チェンマイにすっかり魅了されてしまい、本拠地香港から毎月のように通うようになりました。
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チェンマイの朝は夜明けの僧侶の托鉢で始まります。
サフラン色の僧衣に裸足の僧侶の列が朝もやの中に浮かびます。
北の薔薇いわれているこの街には年中花が咲き乱れ、街の中央を流れるピン川沿いにある花市場には年間通して色鮮やかな花であふれています。
夜は毎晩開かれるナイトバザールに周囲の村からやってきた数百の店が軒を並べ、多くの観光客で賑わいます。

時はゆっくりとたおやかに流れ、微笑みを絶やさない優しさあふれる人々、この癒しの街に1000人とも2000人ともいわれる日本人の定年退職者が中期滞在生活をしているとか、ゴルフもマッサージも食事も日本に比べ格安のこのカジュアル パラダイス タウンの人気は益々高まっていくでしょう。
また、近郊にはエレファントキャンプもあり、象に乗って山河のトレッキングも日本では出来ない体験になるでしょう。
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やはり、この街を愛し、何度も中期滞在をしていたテレサテンが市内のマエピン ホテルで客死してから早10年以上の時が流れました。

今週末には、日本、韓国からの友人がまたやってきて、この街ならではの至福の週末を過ごす予定です。

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投稿者: otaku 日時: 14:21 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

シンガポールより 

25年間の世界回遊生活のなかで数百(?)の宿を泊まり歩いてきたでしょうか・・・

1泊数百円のゲストハウスから数万円の5★ホテルまで、別にいつもホテルライフを楽しむわけでなく、寝るだけなのでベッドさえあればどこに泊まっても同じようなものなんですが、その中であえてランキングをつけるとすると私的思い入れからすれば、シンガポール シャングリラ ホテルが栄えあるNO1の座に輝くでしょう。
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(人生の節目、節目にまだ数回しか宿泊してませんが・・飲食では何度となく利用しています)


シャングリラという名前はJAMES HILTONの伝奇小説<失われた地平線 LOST HORIZON>にある

チベットの山奥にあるといわれる水清く、花咲き乱れ、鳥歌う 伝説の桃源郷を意味し、そこへ訪れる人は皆その妙なる世界に魅了されてしまう地上の楽園とホテル案内にあります。

1971年にシンガポールにオープンしたシャングリラホテルは世界各国のVIPのシンガポール滞在時の宿にもなり、

いまやアジア各国47主要都市にホテル展開する一大グループに発展しました。
ホテルの正面玄関では桃源郷の兵士をイメージした緋色のネパール民族衣装を着たドアマンがうやうやしく迎えてくれます。まず正面ロビーに入って圧倒されるのはその見上げるような天井高と威風堂々のレセプション、よく冷えたウェルカムシャンペンで旅の疲れも吹っ飛びます。

ロビーに隣接した広々としたロビーラウンジには、今もかわらずハイスリットのチャイナドレスを着たウエイトレスが行き来し、その空間に流れるえもいわれぬリラックスした静かな時の流れは旅人を桃源郷の世界に引き入れてくれます。
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広大な庭園にはトロピカルな樹木、花々で覆われ鳥が鳴き水が流れ、緑に囲まれたプールサイドでは世界中からのゲストが南国の太陽を浴びてリゾートライフをエンジョイしています。

ホテルもこの数年で改装、増築がなされ、その昔、駐在員時代、年がいもなくよく通った名物ディスコ<ザイナドゥ>は今はスポーツジムになり、マンゴプディンが名物だった南国情緒タップリのコーヒーハウスもすっかりイメージチェンジし、コンテンポラリーデザインで生まれ変わり、アジア、ヨーロッパ、中華、日本料理をオープンキッチンで提供するようになり
朝食ビュフェもそのところ狭しと並べられた料理の種類に圧倒されてしまいます。この新生コーヒーハウス<LINE>は

昨年、NO 1 シンガポール ビュフェに選ばれたとか。。。納得・・・
そして何よりもよく教育されたホテルスタッフのいつも笑顔をたやさず、細かいところまで気をつかい行き届いたサービスこそこのホテルが数々の賞を獲得し続けている所以だと思います。
このシャングリラホテルは19世紀開業のもう一つの名門ラッフルズホテルともどもシンガポールの歴史と風格を示すホテルであり続けていくでしょう。

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でも僕は日本帰国時によく利用する、あの話題の東横インの狭い部屋の一室で缶ビールをぐびぐび飲みながらTVでナイター観戦のほうがシャングリラのプールサイドよりもリラックスするもうひとつの桃源郷なのですが・・・

(特にタイガースが勝った夜などは・・・)

投稿者: otaku 日時: 15:44 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年06月29日更新! 世界からの便り

主宰者プロフィール

ガチャマンダオーナー

大宅 一裕
(おおたく かずひろ)

1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)

1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)

1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)

1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)

1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)

1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる

2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中