
日本にたまに一時帰国して首都圏の駅界隈で驚くこと(きっと外国人にとってはもっとびっくりのはず)
1)乗車時ホームに整然と並ぶ乗客(中国、香港では早い者勝ち)
2)寿司詰めのラッシュ時の車両(あの家畜のような積み込まれ方は他の先進国ではありえないし、、外国人にはまず耐えられないでしょうね)
3)分きざみの時刻表と時間通り運行される電車(インドでは時間単位の遅れは日常茶飯事)
4)ホーム、社内の運行状況を表示するデジタル表示やモニターでの映像放映
5)ゴミのない清掃された車内、駅構内
6)超ハイテク、多機能の切符販売機(声まで出る発券機にはビックリでもハイテク過ぎ、またほとんどが日本語表示なので外国人には購買困難)
7)いたるところにあるトイレ(外国では駅にトイレのない国がほとんど)
8)いたるところにあるソフトドリンクの自動販売機の数(あの数十種あるドリンク販売機は諸外国にはありません、タバコ販売機があるのも日本だけ?)
9)ショッピングセンターのような駅中のショッピング、レストラン施設
10)朝から通勤電車で眠りこくる通勤客、終電で眠りこくる酔客(これは日本ならでは光景)
すべての面で日本の鉄道は間違いなく世界一でしょう、でも年々ハイテクが進み、日本語表示がほとんどなので外国人にとっては快適な環境かどうかは?ですね。
パリやロンドンの地下鉄はすでに数十年の歴史があり、施設も老朽化していますが、乗車のルールさえ覚えればどこの国の人でも簡単に利用できるシステムになっていますものね
今年のNYは日本以上の酷暑とか、毎日NYのホットな情報満載の綛谷(かせたに)氏のブログ まさきのNY日暮らし日記から日本でおなじみの小売店のNYレポートを転載します。
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<TOWER RECORD>

タワーレコードが今月22日までに、米連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用を申請したそうです。
今後は、身売り先を探し、経営再建を目指すし、店舗の営業は続けということらしいです。
1960年に、カリフォルニア州サクラメントで誕生したタワーレコード。
タワーシアターという映画館の1階でレコード販売を始めたことからその名がついたそうです。
その後、'68年にサンフランシスコ、'70年にはハリウッドのサンセットストリップにタワーの旗艦店をオープンさせ、カリフォルニアの音楽シーンのリーダーとしてアメリカで一躍脚光を浴びるようになりました。
しかし現在では、iPodをはじめとする有料音楽配信市場が急拡大したため、タワーレコードのCD販売が低迷してしまっています。
それが今回の破産申告の大きな要因のようです。
確かに、マンハッタンでも、新しくオープンしたアップルストアは連日お客さんで溢れかえっていますが、タワーレコードでは、いい意味でゆったり、のんびり、悪く言えば「閑古鳥が鳴いている」状態です。
タワーレコード、、、今から8年前、ちょうど私がNYに初赴任した年のことです。
当時の事務所の先輩は大の音楽好き、とくにJazzに造詣が深かったんです。
集めていたレコードの数は半端じゃなく、2LDKのアパートの一部屋はレコードで埋まっていました、これ大げさじゃなく本当の話です。それと、弾きもしないのにスタンドピアノも置いてありました。
ある夜、Blue Noteへ一緒に出かけました。 確か出演者は、セルジオ・メンデス&ブラジル66でした。
その帰り、タワーレコードへ連れて行かれ、、、彼はそこのレコードコーナーの床の上に腰を下ろすと一心不乱に選び始めました。
そうすること約30分、手提げバッグ4つに詰め込まれたレコードが目の前に置かれました。
そうです、レコードの運び屋として、私はそこに連れて行かれたのでした。
NYに来て初めてのタワーレコード訪問記でした。
しかし、どんどんアナログ的な要素が世の中から消えてしまっていきますね、、、。
本当にこれでいいんでしょうか?
<ユニクロ::UNIQLO>

今秋10月、3,300㎡のユニクロのNY旗艦店がSOHOにオープンします。
NJのモール、そしてSOHOで試験的に展開していたのですが、満を持して、、、。
宣伝広告にはかなり力が入っています。
マンハッタンを走るイエローキャブの屋根の広告、そしてビルに貼り付けられたビルボードは白地に赤の四角形、白と赤、、、日の丸を意識したんでしょうかね。
Webサイトを開けると、この宣伝広告を担当しているチームのことが載っています。
私も名前を知っている超有名なアートディレクターも名を連ねていて、会社としてかなり力が入っているのがわかります。
この間、新聞に載っていたのですが、アメリカのカジュアル市場、AbercrombieグループとAmerican Eagle Outfittersが快進撃を続けています。
どちらもコンセプトは同じで、若い学生を中心とした層、そういったマインドを持つ層(たとえ40歳でも46歳でもいいんです!! )をターゲットにしています。
Tシャツ、ポロシャツ、デニム、カーキパンツが主力商品です。
ユニクロが、現在、SOHOの仮店舗で展開している商品群もまたこれらと同じです。
先日、カーゴパンツを買おうと思い立ち、まずユニクロに立ち寄りました。
その中の1点を試着してみたのですが、どうもしっくりこない、、、。
そこで今度は、Union Square のAMERICAN Eagleへ行き、、、結局そこで買いました。
ユニクロのは、一言で言えば「どこか硬い」のです。
カーゴパンツ、少し「だらしない」ほうがいいと思うんですが、きっちりしすぎている気がします。
そう思って全体を見てみれば、なるほどきっちりしている。
いわゆる「日本人のカジュアルフライデー」にはうまくマッチするとは思うのですが、ここNYではどうかなって思うのです。
Gapグループが苦戦を強いられているなか、よく似たテーストのユニクロ、どうするんでしょうか。
この宣伝広告担当チームをはじめ、デザイン・商品企画チームにもファッション界をリードしている人たちを起用しているという話も聞きました。
ちょうどユニクロが開店する場所は、H&Mがあったところ、、、H&Mは低価格とファッション性で勝負しているスウェーデン生まれの店、”disporsal fashion”、そう「使い捨てファッション」の店です。
10月、どれだけ今と違ったテーストの商品が店頭に並ぶのか、とても興味があります
NYの街で毎朝配られているフリーペーパー、”am New York”の第一面と最終面を飾っているのがスターバックスの広告です。
NYの異常熱波からの退避に一役買おう!!っていうわけで、今日の午後1時から3時まで、全てのスタバの店でアイスコーヒーとアイスラテをFreeで配るんです。
今日は、昨日よりも少しはましな暑さ、それでも外を歩くのは危険ですよね、、、。
街角のキオスクで売られている新聞には“Melting Pot”の大きな見出し、、、”Burning Frying Pan”のほうがピッタリくるんじゃないでしょうかね。
定期健康診断のため日本に帰国してます。
日本全土、爽やか祐ちゃん+兄+ブルーハンドタオル フィーバー
は連日すごいですね。(うさんくさい亀田一家の凋落とは好対照 ?)
友人のU医師の紹介で今回の内視鏡の定期健康診断をお願いしたのは芦屋のMクリニック、事前にインターネットで香港からM医師と交信し、アポイントをとって訪れたクリニックは今年開業、有名建築士設計によるギャラリーのような内装+最新医療設備のクリニック。
高級エステのロビーのような待合室にはBGMが流れ、DVDが映写されて、完全予約制のため待ち人はいない、ソファに坐ると、冷たいお茶とお菓子が出され、ええ~~ここ本当に病院かよ?と思わせる。

前日の懇切丁寧な問診、翌日の診察も待つことなくアポイントの時間通り開始
お尻空きの診察着に着替えを済ませ、フルリクライニングのベッドにもなる診察チェアーに横になり誘眠剤の点滴を打たれ眠りに突入。
内視鏡室にベッドのまま移動し、胃カメラ、大腸内視鏡診察が始まったようですが、意識朦朧のため記憶なし。(もちろん痛さもなし)
目が覚めるとすでに1時間15分経過、回復室に移動し、飛行機のビジネスクラスのような気分で小型TVを観ながら意識が完全回復まで1時間.

その後、M医師からの撮影画像を視ながら検査結果の説明。内視鏡は最新鋭の解像度を有し、内臓壁の毛細血管まで隅々まで視ることができるとのこと
その結果、発見されたのが大腸の大小9つのポリープ、それをすべて即座に切除の手術も済ませたとのこと・・・
何と無意識のうちに大手術(!?)を完了。(前日に手術了承の署名は済ませてあります)
翌日、看護婦長さんから術後の容態うかがいの電話まであり、すべてが微に入り、細に入りのサービス、旧体制の病院のイメージを脱した、ハード、ソフトを相備えた顧客満足の立場にたったマーケティング型のクリニックが日本では誕生していることを体験できました。
ポリープ切除手術の結果、10日間の禁酒指令、かくして今回帰国中の連夜の宴会アポイントも今回はウーロン茶でのお付き合いを余儀なくされました。
関係各位におかれましてはよろしくご理解お願いします。
バンコクの知人Nさんから会社の同僚が引退して石垣島にお住いとのことでご紹介を受け、石垣島空港から1時間、時々刻々と光の綾を織り成す絶景、伊原間湾に面したYさんのお宅をお訪ねしたのが先月初めのこと、![]()
その後、Y さんからメールをいただくたびに、石垣島の蒼い世界とあの時いただいた自家製のハーブティと今まで食べたなかで一番美味しかったピーチパイナップル(j自家果樹園製)の透き通った清涼感ある味を想い出しています。
Yさんは海外勤務も含め30年お勤めになった商社を2000年に退社され、
故郷石垣島へUターン、伊原間(いばるま)湾に面したハブの潜む、ジャングルを開墾され白亜のファームハウスを建てられ、無農薬のハーブ園、果樹園(ホッカローファーム)経営されながら、晴耕雨読、すばらしいリタイア ライフを送られています。

その生活はTV番組<人生の楽園>でも取材され、レポーターの西田敏行・伊藤蘭の訪問もあったとか・・・
2002年から始まったYさんのブログ(HOCCALO FARM WEBSITE) には、この亜熱帯の楽園での汗と涙と笑いの生活が生き生きとレポートされています。是非ご一覧を
<ホッカロー>のいわれは<世界からのたより>をご覧ください。
Mちゃんから贈られたリリーフランキーの<東京タワー>を読み泣けました。
すでに両親が他界した僕にとっては、まさに親孝行したいときには親はなしの感ひとしおにさせる作品でした。
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僕には20年前に香港で住み始めてから単身生活を支え続けてくれている香港の母がいます。
皆に七姐〔チャッチェ)というニックネームで呼ばれている(実は本名は知りません)67歳の我が家、我が社のお手伝いさんです。
七姐は名前の通り、14人兄弟姉妹の七番目の娘、中国広州の裕福な商家に生まれ、幼い頃は子供ひとりひとりに乳母がついていたとほど何不自由なく育てられ、17歳で中山大学卒のエリートビジネスマンと結婚し、3児をもうけたとき文化大革命の嵐、ブルジュア粛清で親兄弟は家財産没収され下放、悲嘆にくれた夫は首吊り自殺、3人の子供を親戚に預け、友人と姉2人とボールを浮きにして泳いで中国脱出(その途中友人は溺死)
やっとたどり着いた香港で働いた経験のない七姐にとって仕事いえば阿媽さん(女中)か娼婦くらい(美貌、年齢面で後者は無理)
今や阿媽さん歴30余年、ほとんどがフィリピンメイドにその職を奪われた中、中国人の阿媽さんは天然記念物的存在になりつつあります。
香港が中国に返還された今、預けてきた子供たちは里親に育てられ海外留学するまで立派に成長し、七姐としては今更おめおめと捨てた中国に里帰りもままならない境遇におかれてしまいました。
まさに近代中国の激動の歴史に翻弄されたような人生です。
過去多くの日本人家族に仕えた七姐は日本人の奥さん方にも可愛がられたようで日本料理も得意(日本語はだめ)
いつもたくさん作りすぎるくらい作って独身の駐在員の友人たちもよく七姐の日本食を食べに我が家に集まって来ました。(まるでリリーフランキーのオカンそっくり)七姐の作る料理はいつもボリュームたっぷりで僕の体重、コレステロール、血糖値は増加の一途、七姐は友人たちが来る度に広東語をはりあげて
<大宅先生は昔はガリガリだったが今は私の料理のお陰で太ってきた>と言っては自分が育てたブロイラーように自慢するのでした。
その七姐もこの20年で今ではすっかり老いの目立つおばあちゃんになり、自分は苦労したから人より老けてみえるとは本人の弁ですが、
老後保障のない香港では僕が生涯面倒みなければいけないと思うほどかけがいのない家族のような存在になってしまいました。
今日も七姐は朝から早く来て(僕がさぼってあまりしない)僕の父母の遺影とマリア像の前にお茶をあげて手を合わせてくれています。
父母は禅宗、僕はカトリック、七姐は儒教、まさに宗派、国境を超えたコラボレーションです。
僕が異国香港、アジアで今日まで何とかやってこられたのも、七姐をはじめ香港、アジアのスタッフ、友人の助けがあってこそ
こちらが深く頭を垂れ合掌したい心境です。
フランス、パリ在住のシルクペイント画家、太田久代さんに初めてお会いしたのは2003年フラワーアーティスト今井祥江さんの個展のあったパリ モンマルトルの画廊 Les amis de GEN PAUL ででした。
太田さんはニューカレドニアで出会ったシルクペインティングの画法でタヒチ、ハワイ、キューバなどの南の海、空、風をまたパリに居を移されてからはパリ情緒あふれる街角をその独特の画法で描き、日本、パリでの個展ではその透き通った作品は毎回完売の人気アーティストとなられました。
その後、フランスの片田舎に引越しされた太田さんをアジアの世界(バリ島、チェンマイ)の取材旅行へ
おさそいし、作品の制作をお願いし、その完成を心待ちにしていたところに飛び込んできたのが太田さんが大病のため日本帰国されるとのビックリ NEWS。
数ヶ月の手術、闘病生活後、お元気になられフランスに戻られた太田さんから今回贈っていただいたパステルカラーの光にゆれる彼女にとっては初めてのアジアモチーフのすばらしい作品2点。
早速額装し、僕の新たな宝物となりました。
まだメータータクシーが少ない、タイの地方都市や農村の主な交通機関はソンティオ、小型トラックの荷台に屋根を取り付け、左右にベンチを取り付けた乗り合いバスです。
タイ第2の都市であるチェンマイでも最近やっとメータータクシーが50台を超えたくらいの台数しかなく、それも空港とか駅、ショッピングセンターなどで駐車しての客待ちのため、街中での利用は流している三輪車のトゥクトゥクかこのソンティオが一般的な交通手段となってしまいます。
乗車時に行き先を告げ、値段を交渉し(一人:市内15バーツ;45円くらいから乗り込むと運転手は乗客の行き先によって道順を決め、各客の目的地まで運んでくれます。
このソンティオは個人営業のためか、助手席にはよく運転者の奥さん、恋人、子供たちがいっしょに乗ってドライブを楽しんでいるのもタイらしいところ。
ソンティオの運行は100kmくらい離れた地方までにも及び、その目的地によって車の色を塗り替えています。地方へ行くソンティオの屋根には家財道具のような大きな荷物が積み込まれ宅急便の役目も果たしています。
タイの旅もこのソンティオに乗れるようになると、よりカジュアルで、よりディープなタイを経験できます。
アメリカの旅行誌 Travel + Leisureが旅行者にアンケートを実施して集計した世界TOP CITYによれば
1位 フローレンス
2位 ローマ
3位バンコク
4位シドニー
5位に何とチェンマイ
日本でトップの京都は世界トップ10外、アジアトップ10では4位がやっと・・
アンケート対象が欧米人ということもあっても、マイナー都市チェンマイの5位は大健闘
チェンマイ出身の首相タクシンの様々な観光客誘致策たまものでしょうか?
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日本人の定年退職者の中期滞在者もタイ政府のリタイアビザの発給策もあり
年々増加の一途、日本人にも根強い人気を維持しています。
観光客、中期滞在者用狙いの新たなホテル、サービスアパート、コンドミニアム、ゴルフ場の建設、空港の拡張工事と次々と進行中
喧騒バンコクのと違い、チェンマイの静かな時間の流れの癒し感が旅行客に人気の所以でしょうか?
1973年、チェンマイの名を一躍有名にした玉本事件、彼も東京オリンピック、万博の建築景気の中、砂利で儲けたお金で世界漫遊の末、たどり着いたのが地上のユートピア、チェンマイであったとか。
玉本事件の真実は名越健郎氏著<メコンのほとりで>ご一読を・・・
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益々、国際観光都市に変貌中のチェンマイですが、チェンマイオールドファンのひとりとして、のんびり、ゆったりのチェンマイ情緒と微笑みの人情はいつまでも変わらずにいてもらいたいと願っています。
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タイ、北部の都市チェンマイ、夜の観光名所はナイトバザール、市の中央を流れるピン川 近くのチャンクラン通りには黄昏時とともに数百の店の店だし準備が始まりチェンマイの夜が始まります。
北部タイの手工芸品、山岳民族の伝統工芸品、またここにもブランド品のパチ物、DVDコピーも堂々と売っているのもタイならでは品揃え
ナイトバザールのランドマーク、ナイトバザールプラザの地下には、鉛筆画の若き似顔絵画家がキャンヴァスを並べ作品を描き、その迫力ある絵は観光客を魅了させています。
只今、大改装中のこの界隈、年末のピークシーズンまでにはきっと新たな町並みを見せてくれるでしょう。
午後7時から11時までの年中無休で開催のナイトバザール、夕食後のそぞろ歩きには最適です。
月曜日のタイは黄色に染まります。
プミポン国王の即位60周年記念にほとんどの国民が着た皇室エンブレ刺繍付きポロシャツ、Tシャツが式典後も国王の誕生日の月曜日の色として
着用キャンペーンが繰り広げられタイ全土で今や超ベストセラーアイテム、黄色の染料が在庫がなくなったとか・・
社長さんから社員、掃除、食堂のおばちゃん、タクシー運転手、ヤクザ、乞食、観光客まで皆、黄色のシャツを着ています。
タイ仏教では自分の生まれた曜日を重んじ、皆自分の生まれた曜日を知っていて、お寺に行っても、自分の生まれた曜日の神様にお祈りしています。
そして曜日によって色が決められていて、その色がその人のラッキーカラーになるとのこと。
月曜日の黄色着用キャンペーンは来年の国王80歳(数え歳)の誕生日まで続けられるとか、誰言うことなく全国に広がったこの黄色運動、あらためてタイでの国王人気を知らされました。
タイ、バンコクの郊外、週末だけ開催のチャトチャック マーケット、その数10000軒(といわれている)の店々々では人間以外は何でも売っているというほどありとあらゆる物がところ狭しと並べられ、週末はいつも人であふれています。
そんな雑踏の中で見つけた異空間、どこか静かでゆったりとした空気が流れ、オーナー、インスラさんがのんびりと店番する店、その名も<ABOUT SEA>
海、船、船乗りの小物が小さな店に小ぎれいに展示され、潮騒が聞こえてきそう・・・
そこで購入した、船長と船乗りのシテッィング フィギャリンと木製の灯台。
すぐにどこに置くとか、何に使うとかの考えはないけれど、なんとなく癒されるようないい感じ・・・
インスラさんは週日は友人とこれを家で作って、週末はここで販売しているとのことだが、大きな設備の要るフィギャリンの生産を家でやっているとはにわかに信じがたし、こんな小さなウソ(?)も妙に納得してあれこれと商品のストーリーを聞くのも、この市場の楽しみ・・・
HIROさんとは彼が香港在住時代から10年来の友人
7年前バリ島へ家族で移住されたときから発信された<バリ島ずっこけ物語>は7年間ですでに79話、来訪者170、000人を突破の現地の日本人誌にも紹介されているほどの人気エッセーです。
日本人のいないバリ人だけの村での一家の愛に満ちた泣き笑いバリ島生活記
是非ご一読を・・・
(バリ島ずっこけ物語)
最新号は<世界からのたより>に、転載させていただきました。
プーディン小学校基金はこちらからご案内させていただいています。
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チェンマイのタイ人スタッフの田舎で、村のおばちゃんが畑を売りたいとの情報があったのが3年半前、早速現地を見て即断で購入したのが4000坪の150本のロンガンの苗木が植わった果樹園。
すぐにどうこうするつもりのないまま,将来のために効率は悪いが自然のままの無農薬農園を始めることになりました。
草取り、水やりの世話はスタッフの親戚にお願いし、とりあえずはチェンマイ訪問いただいた友人、知人に畑の周りにチークの苗木を植えてもらいはじめ、2年間ですでに120本に達し畑を2周し、3年前に植えた樹は今では50cmの苗木が3mを超すまでに成長しています。

植林して頂いた際に記帳をお願いしているノートには数十年後には自分の植えた樹で家具をつくりたいとの夢もあり(僕の場合はさしずめ棺桶のふたくらい??) 再訪の方々にはその都度、我が樹の成長を見届けていただいています。
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チークの次に植樹をお願いしたのがマンゴの苗樹、3年前に植えたマンゴのうち3本が今年,遂におおぶりのマンゴの実を結び、訪問いただいた友人と味見したところ、これが街で食べるマンゴ以上に芳しく甘美なる味わい。(親馬鹿の心境)
親はなくても子は育つ、風雨に耐えて3年余り、あらためて自然の営みの奥深さを感じました。
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<世界からのたより>更新しました。
(まさきのNY日暮し日記)転載しました。
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香港島の銅鑼湾(コーズウェイベイ)の海岸あたり一帯
雨の日も風の日も毎日正午に轟く砲声は慣れてない旅人たちを何事かと驚かせます。
その轟音の主はビクトリア湾のヨットハーバーに面したところにある砲台にあるヌーンガン (NOON GUN)
そこへたどり着くには湾岸ハイウェイの下を抜けての地下道から。
湾岸沿いのエクセルシア ホテルの地下駐車場から降りて、下水道に利用している海水用の太いパイプが通ているスパイ映画に登場しそうな狭い抜け道。
毎日正午の号砲は英国植民地時代の政府お抱えの商社ジャーディンマセソン社の置き土産の伝統儀式、
その昔は自社の船が港の出入りの際に礼砲として発射していたのがいつの日か正午の時刻を告げる号砲になって数十年。
中国返還になってからすでに9年、今もなお植民地時代そのままのユニフォームを着た砲兵が毎日、腕時計を見なが打ち放つ儀式を観ようと毎日観光客が
昼前から大砲の周りに集まりはじめ、ま近で聞くと内臓まで揺さぶられるような
この大音響に一様に声を出してびっくりしながら、この伝統の風物誌を楽しんでいます。
今日もオフィスからこの砲声が聞こえるといつものランチタイムの開始です。
大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中