香港的正午号砲

<世界からのたより>更新しました。
(まさきのNY日暮し日記)転載しました。

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台風接近で台風シグナル3の香港です。
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香港島の銅鑼湾(コーズウェイベイ)の海岸あたり一帯
雨の日も風の日も毎日正午に轟く砲声は慣れてない旅人たちを何事かと驚かせます。
その轟音の主はビクトリア湾のヨットハーバーに面したところにある砲台にあるヌーンガン (NOON GUN)

そこへたどり着くには湾岸ハイウェイの下を抜けての地下道から。
湾岸沿いのエクセルシア ホテルの地下駐車場から降りて、下水道に利用している海水用の太いパイプが通ているスパイ映画に登場しそうな狭い抜け道。

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毎日正午の号砲は英国植民地時代の政府お抱えの商社ジャーディンマセソン社の置き土産の伝統儀式、
その昔は自社の船が港の出入りの際に礼砲として発射していたのがいつの日か正午の時刻を告げる号砲になって数十年。
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中国返還になってからすでに9年、今もなお植民地時代そのままのユニフォームを着た砲兵が毎日、腕時計を見なが打ち放つ儀式を観ようと毎日観光客が
昼前から大砲の周りに集まりはじめ、ま近で聞くと内臓まで揺さぶられるような
この大音響に一様に声を出してびっくりしながら、この伝統の風物誌を楽しんでいます。

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今日もオフィスからこの砲声が聞こえるといつものランチタイムの開始です。

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世界からの便り

主宰者プロフィール

ガチャマンダオーナー

大宅 一裕
(おおたく かずひろ)

1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)

1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)

1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)

1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)

1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)

1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる

2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中