
Mちゃんから贈られたリリーフランキーの<東京タワー>を読み泣けました。
すでに両親が他界した僕にとっては、まさに親孝行したいときには親はなしの感ひとしおにさせる作品でした。
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僕には20年前に香港で住み始めてから単身生活を支え続けてくれている香港の母がいます。
皆に七姐〔チャッチェ)というニックネームで呼ばれている(実は本名は知りません)67歳の我が家、我が社のお手伝いさんです。
七姐は名前の通り、14人兄弟姉妹の七番目の娘、中国広州の裕福な商家に生まれ、幼い頃は子供ひとりひとりに乳母がついていたとほど何不自由なく育てられ、17歳で中山大学卒のエリートビジネスマンと結婚し、3児をもうけたとき文化大革命の嵐、ブルジュア粛清で親兄弟は家財産没収され下放、悲嘆にくれた夫は首吊り自殺、3人の子供を親戚に預け、友人と姉2人とボールを浮きにして泳いで中国脱出(その途中友人は溺死)
やっとたどり着いた香港で働いた経験のない七姐にとって仕事いえば阿媽さん(女中)か娼婦くらい(美貌、年齢面で後者は無理)
今や阿媽さん歴30余年、ほとんどがフィリピンメイドにその職を奪われた中、中国人の阿媽さんは天然記念物的存在になりつつあります。
香港が中国に返還された今、預けてきた子供たちは里親に育てられ海外留学するまで立派に成長し、七姐としては今更おめおめと捨てた中国に里帰りもままならない境遇におかれてしまいました。
まさに近代中国の激動の歴史に翻弄されたような人生です。
過去多くの日本人家族に仕えた七姐は日本人の奥さん方にも可愛がられたようで日本料理も得意(日本語はだめ)
いつもたくさん作りすぎるくらい作って独身の駐在員の友人たちもよく七姐の日本食を食べに我が家に集まって来ました。(まるでリリーフランキーのオカンそっくり)七姐の作る料理はいつもボリュームたっぷりで僕の体重、コレステロール、血糖値は増加の一途、七姐は友人たちが来る度に広東語をはりあげて
<大宅先生は昔はガリガリだったが今は私の料理のお陰で太ってきた>と言っては自分が育てたブロイラーように自慢するのでした。
その七姐もこの20年で今ではすっかり老いの目立つおばあちゃんになり、自分は苦労したから人より老けてみえるとは本人の弁ですが、
老後保障のない香港では僕が生涯面倒みなければいけないと思うほどかけがいのない家族のような存在になってしまいました。
今日も七姐は朝から早く来て(僕がさぼってあまりしない)僕の父母の遺影とマリア像の前にお茶をあげて手を合わせてくれています。
父母は禅宗、僕はカトリック、七姐は儒教、まさに宗派、国境を超えたコラボレーションです。
僕が異国香港、アジアで今日まで何とかやってこられたのも、七姐をはじめ香港、アジアのスタッフ、友人の助けがあってこそ
こちらが深く頭を垂れ合掌したい心境です。
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大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中