
世界遺産に指定以降、知床ブームとか、ウトロ、知床五湖、岬クルージングは大型バスがひっきりなしに押し寄せ大盛況、原生林の中、太古の空気が流れ、雪の降る前の季節は雄大な知床の大自然見ようと多くの観光客で賑わっていました。
知床峠を越えた南岸の羅臼の町は昼間は村人は昆布、ホッケ漁に出ていてひっそりと静まりかえっていました。やっとみつけた喫茶店の入って珈琲を注文することしばし、日焼けした村の漁師二人が煙草を吸いながら雑談中、
<どこから来たんね・・?>
<東京です (香港などというと話がややこしくなるから)>
<何もねえからな、この町は・・・・>
<・・・・・・・(本当だから返答に困る)>
壁には<北の国から2002年遺言>の撮影が行われたときに,書いてもらったらしい結婚、離婚前の吉岡秀隆、内田有紀の2枚の色紙が大切そうにビニールのカバーをして貼ってある。
<今日は国後がよく見えるますよ>と店のママ、早速裏の急勾配の山道を車であがると知床、国後展望台、蒼く輝くオホーツクの彼方に望郷の国後島がゆったりと横たわっている。望遠鏡で見ると山肌までがくっきりと見える、一番近いところで19km、歴史のボタンの掛け違いが未だに尾を引く北方領土を眼前に見、日本外交の歯がゆさを今更ながらに感じながら複雑な思いで峠を越えて帰路につきました。
別れの日は来た 羅臼(ラウス)の村にも
君は出て行く 峠を越え
忘れちゃ嫌だよ 気まぐれ烏(カラス)さん
私を泣かすな 白いカモメよ
白いカモメよ
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大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中