
昨日10日振りにまたまたバンコクのスワンナプーン新空港に舞い戻りました。
今回の10日間は久々の強行軍でした。
21日バンコク
22日東京
23日ソウル
24日ソウル
25日東京
26日東京
27日小田原
28日神戸
29日香港
30日バンコク
これだけ連日の移動して寝る場所が変わると朝、目を覚ますと<ここはどこ?私は誰?>と寝ぼけまなこで自問自答。
夜中、トイレに立つと二日酔いの酒のせいもあって朦朧とトイレの場所を探して部屋をうろうろ・・
この10日間、また新たな出会い、感激の再会、上智大学での中国人留学生たちとの懇談、コムテックでの新サイト開設の打ち合わせ、CODIO社との韓国での新プロジェクト開始、お世話になった閉店間際のMAC JATI自由が丘店へご挨拶、興奮の南大門、名門延世大学黄葉のキャンパス絶品の参鶏湯とマッコリ、小田原の新鮮な肴と旨い酒、朝日に輝く相模湾を見下ろす小田原ヒルトンでの朝湯 などなど
またまた感動の充実した日々でした。
昨日はバンコクのホテルへチェックイン後、その足で行きつけのソイ33のワットポーマッサージでいつも指名の力自慢ノイおばちゃんの3時間半(500バーツ:1500円)コースへ直行
10分もしないで爆睡・・・・・ZZZZZ
今日からは連続ツァーの第2弾、上智大学OBの8人の皆さんと17時にスワンナプーン空港で合流し、アンコールワット、チェンマイ、バンコクの6泊7日の旅がはじまります。
ソウルの秋は足早に駆け抜け、銀杏並木も黄葉しています。
1885年創立、私立大学の名門、延世大学キャンパスを歩く学生たちもジャケットやセーターの冬装束に衣替えしています。
ここ延世大学の語学堂は外国人韓国語教育では定評のある学科、生徒総数1000人のうち、韓流の影響もあってか日本人留学生は50%、恵まれた環境でのキャンパスライフを楽しんでいます。映画監督崔洋一はかってこの語学堂に留学したが教授との意地の張り合いで3ヶ月で放校になったとのエピソードもあります。
小学校からの歴史教育でナショナリズムの高揚を図る韓国、中国、アジア各国に対し、受験に関係のない世界史、日本史をないがしろにする日本の高校教育、そのためここ韓国に語学留学に来て豊臣秀吉や伊藤博文が韓国の歴史上忌み嫌われる人物であり、日本海を東海を呼び、独島(竹島)問題に執拗に拘る韓国の実態を初めて知ることになり、たじろいでしまします。
アジア外交の重要性を唱えるならば、アジア各国固有の歴史を知った上での付き合いが必須なのに受験に関係ないという理由で歴史教育を軽視する予備校化してしまった日本の高校教育に危機感を感じます。
ソウル最大の明洞の路上冬物衣料セールの屋台の前にも多くの人が集まり、冬はすぐそこに来ています。
チェンマイで11月1日から開催の<世界園芸博覧会>ROYAL FLORA RATCHAPHRUEK)の各パビリオンは開催日に間に合わすよう連日追い込みの突貫工事の中、日本パビリオンはすでに完成し、開会を待つばかりです。
今回の日本庭園の造園に使用する木や花や石はほとんどすべてをタイ国内で調達し、日本から来た職人さんたちの指導でタイ人の職人も大勢いっしょに3ヶ月かかりで日本の庭園美の世界を創りあげました。
中央の池の回りに、季節の木々や花を植え込み、正面奥には富士山をかたどった緑の築山、、石で滝、渓谷、段々畑を構築し、日本の四季を演出、池には2000年前の蓮を開花させた大賀蓮も日本から持ち込み植えてあります。日本古代の蓮の花のチェンマイの里での開花の日が楽しみです
博覧会では役員の投票でベストパビリオンが選ばれるとか、日本パビリオンの
金賞を確信しています。
チェンマイの小学校は今月末までは秋休みです。
25年来お世話になっているS夫妻が2度目の小学校への訪問をしていただき、今回は日本でも子供たちの絵画、工作教室を主宰されているS夫人の工作教室をプーディン小学校でやっていただくことになりました。
事前に校長先生に生徒40名の召集をお願いしていましたが、当日先生、父兄を含め70人以上の村の人たちが、休み期間にもかかわらず、集まってきていただき、急遽教材を増作し、早速、教室の開始。
![]()
まずは、ストローと牛乳パックを使っての紙コプターと紙の皿の中心をくりぬいた輪投げ作り、パックを切った羽や紙皿に絵の具やクレヨンで生徒各自が思い思いの絵を描いて作品が出来上がり、早速校庭へ出て、色とりどりの紙コプターを宙に飛ばしたり、チームにわかれての輪投げ競争、校庭に子供たちの歓声が響きました。
午後からはダンボールに絵を描いてのお面作り、手先の器用なタイの子供たちは嬉々として1時間足らずで、個性豊かなお面が出来上がりました。中にはあっと驚くような作品が。どこにもピカソの卵がいますね。

最後に生徒が自分たちの作ったお面をかぶっての一足早いタイのハロウィン記念撮影。 子供たちの日本語での<サヨナラ>の声に送られて小学校を後にしました。
クーデターも戒厳令も関係のない静かで平和な時間が村の小学校に流れていました。
プーディン小学校支援の<プーディン基金>のご案内はこちらをご覧ください。
開港18日目のバンコク スワンナプーム空港にいます。
日曜のせいかバンコク市内からの道路はすいていてバンコク名物の渋滞に巻き込まれることなく、4車線のハイゥエイを突っ走り30分で到着、今日も相変わらず空港見物のタイ人家族連れでにぎわっていて、あちこちで記念撮影。
開港からこの間、とりあえず飛行機の離発着は出来ているものの、チェックイン荷物のトラブルは相変わらず、またエアカーゴの輸出入貨物の取り扱いは大停滞、航空内諸施設の工事はいまだに進行中で空港内はやけに埃っぽい・・
でもこれもすべてマイペンライ、(気にしない)大(タイ)国の想定内の事象、いまだに始動期間中のようで、やがてなし崩し的に本稼動していくことでしょう。
ビジネスクラスラウンジも他の航空会社に先駆け、タイ航空はほぼフル稼働、モダンタイのインテリアデザインを施し、ゆったりとしたスペースを取っている。
仮眠室、シャワー室に加え、旧空港ラウンジにあった人気の無料のタイマッサージ サービスもまもなく始まるとのこと、従来のデスクトップPCによるインタネットサービスルームに加え、無線ランも設置され、お陰で自分の携帯ノートブックで今、チェンマイ行きの待ち時間を利用してブログの更新もできるようになりました。
上海摩天楼のを臨みながら浦東のホテルの一室で、様々な思いのうちに、今一度杉本信行氏<大地の咆哮>を読み直しています。

2004年4月の領事館職員の自殺は杉本氏が総領事の時、残された遺書のうち杉本氏への遺書が一番長文であったとか、中国側からスパイ行為を強要された末の自殺との疑いを外務省に直訴しましたが小泉首相のもとへは届かず、無念のうちの2004年秋、今度は自身への末期胃癌の宣告、辛い闘病生活の中の覚悟の執筆、そして2006年8月3日他界、35年間の中国、日中関係への思いを書き上げた壮絶な遺書となってしまいました。
絶えず弱いものの立場に立っての草の根外交官であった氏はランドクルザーで中国奥地まで踏み込み、中国近代化の波に取り残された僻地への日本からの援助での小学校建設の旗振りとなりました。派手な大プロジェクトへの資金援助よりも、中国政府がないがしろにしている農村での小学校建設こそ、将来的に日中友好の礎になりうると考えていました。
カトリック信者である氏の望みは最後の章にあるバチカンと中国の国交回復によりカトリックのミッションが中国奥地まで入り込んだネットワーク活動による、中国の真の民主化、近代化ではなかったかと、同じカトリック者として推察するのですが・・・・
志半ば57歳の若さで逝かれた杉本信行氏のご冥福を今夜上海上空に輝く月に捧げます。
国慶節、中秋節の連休明け、上海蟹の季節到来の上海にいます。
来る度に大きく変貌する上海摩天楼の浦東スカイライン
週末、国内外からの観光客でごったがえす川沿いの内灘も連休明けの
この週末は心なしか人の出は少な目・・
![]()
上海では珍しく青空が拡がり、ぽかぽか陽気、絶好のウォーキング日和
中国在住の友人によれば、上海の空気も最近政府の環境問題を意識しての
公害防止処置のためか浄化されつつあるとか・・・
又、多くの清掃夫をかり出しての清掃作業で観光エリアの投げ捨てのゴミも確かに少なくなっています。
(でも、どこでもつばをはく中国人は今なお後を絶ちませんが・・・)
北京オリンピック、上海万博に向けて、中国の威信をかけてこの都市部の表向きの顔だけは国際先端水準を維持しようとする中国政府の意気込みは感じられますが、裏に回れば内情はぐちゃぐちゃ、その犠牲になっている農村部、農奴化した農民との格差問題は年々深刻になっているエネルギー、水、環境、砂漠化などなどの問題同様の中国が早急の解決を迫られてい緊急課題、そして世界にも影響をあたえかねない大問題、

かっての上海領事杉本信行氏の<大地の咆哮>にその詳細が語られ中国関係者必読の書・・・
8日の安倍首相の中国訪問は小泉前首相に比して<雨のち晴れ>と中国マスコミも歓迎ムード、夫人と手を繋いでタラップを降りる姿がTV,新聞で大きく報道され、新たな日中友好関係の幕開けを期待しているようです。
その日中、日韓友好ムードを妬むかのように飛び込んできたのが北朝鮮の核実験のニュース、
一体、金正日は何を考えているのでしょうね・・・???
1ヶ月前まで幹線道路沿いあちこちにあった前首相タクシンンの大きな看板がすっかり消えてしまったチェンマイです。
タクシンが故郷チェンマイへの招致に尽力した国王即位60周年の今年の最後のビッグイベント<国際園芸博覧会>が11月1日チェンマイ市内から南東の王室農業研究所の広大な敷地で開催される予定。
博覧会のノボリが道路沿いにたなびき本来ならば、1ヶ月後の開幕にそなえ、展覧会景気で盛り上がってもいいはずなのに、クーデターのせいか街は何故か低調なムードで会場の参加30数カ国、各国のパビリオンの準備は遅れ気味、その中で国王の今までの業績を展示のために建設されたロイヤルパビリオンと日本館だけはすでにほぼ完成。
日本館の建設には日本の箱根植木社の職人さん3人が4ヶ月前から現場に張り付きタイの職人さんたちと日本ならではの緻密な工程管理で進めてきたから開催日2週間前の余裕の完成。
弊社のスタッフが日本からの職人さんたちの通訳や車のお世話を勤めさせていただいている関係で、今日も現場責任者の伊澤さんに内部を丁寧にご案内いただきました。
約500坪の敷地に四方を巡るうちに四季を愛でることができるという日本古来の池泉回遊庭園を造り、池の奥には富士山をかたどった緑の築山。
また、周囲は段々畑や滝、渓谷を模した石組で日本の風景を表現しています。
また国王への献上植物として,1951年東京大学の大賀一郎博士が推定2000年前のハスの実から開花させた大賀ハスを日本から植物検疫を経て運び込んで庭園中央の池に植えてあります。来年6月ー7月日本古代のハスの南国チェンマイでの開花が楽しみです。
また、タイ大好きの秋篠宮殿下のご長男、悠仁殿下のご誕生を記念の植樹のため急遽日本から空輸した、空海が高野山で植えたという高野槙の苗木が3本すでに届いていました。 会期中、秋篠宮殿下のご来場もうわさされていますが・・・
この博覧会の開催期間11月1日から来年1月31日には、きっと多くの世界のVIPやタイ人や海外からの観光客にこの卓越した日本の庭園美を鑑賞してもらえることでしょうが、博覧会終了後も日本館はそのまま残され、王室農業研究所の植物、花、果実といっしょにいつまでも人々の憩いの庭園として残されることは喜ばしいことです。
昨日香港から開港4日目のバンコク スワンナプーム空港に到着しました。

バンコク市内から東へ32km ノングーハオの沼地での土地の確保から40年間、歴代の首相が誰も手をつけなかったこの大プロジェクトを前首相タクシンの悲願で遅れに遅れたけれど何とか開港までこぎつけた、いわくつきの新空港。
そのタクシンも自分でごり押しで決定した開港日の1週間前にクデターであえなく首相の座から転げ落ちロンドンからも当然帰国できず歴史的な開港日には立ち会うことができませんでした。
空港の名前も当初、この地域の名ノングーハオ(コブラ沼)を国王の一声でスワンナプーム(黄金の地)に変更されたとか、いかにもタイらしい話。
28日の開港当日は予想通り、トラブル続出、チェックインした荷物が出てこない、30分,1時間待ちは当たり前、4時間も待たされた韓国人観光客がぶち切れて空港職員を殴りつけたとか・・・
バンコク在住の友人からの勧めもあり、昨日は荷物はチェックインせず、手荷物バッグに必要なものギュウギュウに詰め込んでの搭乗。
香港からの出発遅れのため30分遅れの新滑走路への初着陸、空港周囲はまだまだ建設途中か沼地のまま、いかにも無理して何とかとりあえず開港した感じ。
成田空港の3倍の広さと聞いていましたが、到着してからイミグレーション(入国審査)までの距離の長いこと動く歩道を何機も乗り継いでやっとのことでたどり着いた入国審査カウンターは旧空港より多く設置され時間帯もあってか4-5人待ちで意外と早く通過、預け荷物はないのでそのまま、荷物待ちの客を横目にパスし、スイスイとフリーパスの手荷物検査を通って到着ロビーに出てびっくり、ベトナム、インドの空港ような大勢の出迎え客、おまけにホールが狭く満員電車状態。
キョロキョロしているとはるか向こうから手を振る運転手チットの姿、チットからの情報では到着出口は3つあり、それもとんでもなく離れているため事前に便名から出口をチェックしていないと出迎客との待ち合わせもできなくなるとのこと。
旧空港だとそのまま同じビルの駐車場に行って市内に向うことになっていたのですが、新空港では駐車場ビルが離れていて駐車場まで行って車を廻すからしばし待っていてくれと言ったチットは10分たっても15分たっても戻ってこない、やっと20分以上経ってから車登場、駐車場の出口からの大渋滞の結果とのこと。
これじゃあ何の為に手荷物だけで早く出て来たのか意味ないじゃん、と思いながらやっと車に乗り込み市内へ向いました。
多くの課題山積の新空港ですが、タイの人たちにとっては新たな観光スポットになったようで昨日は始めての日曜日、家族連れの人、人、人であふれかえっていました。
このほとぼりが冷め、空港システムも通常通りに作動するようになるのにはあと2-3ヶ月はかかるのでしょうか?
友人のA嬢は大阪、東京でのキャリア生活後、結婚を機に渡米しNY生活3年、その間グリーンカード(アメリカ永住権)もめでたく取得出来、先月から単身ハワイへ渡り新たな夢へのチャレンジを始めた美人で才女。
彼女の始めたBLOG <ALOHA!! from HAWAII >にはガイド書にはないハワイ情報が満載、是非訪問してください。http://blogs.yahoo.co.jp/a2co310

大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中