北部タイ 象病院 FAE

1年振りに、友人の五色塾主宰者、小川さんと昨年も訪問したチェンマイから南へ70kmランパンの森の中にある 象病院 FAE (Friends of Aisan  Elepant )を訪問しました。
この象病院には7年前、タイ、ミャンマー国境で地雷で左前足を負傷したモタラが治療生活を送ってます。

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1999年、モタラの手術はタイでは初めての3トンの体重に耐える手術台を作り、30名もの獣医による傷口を30cmの骨と組織を切除する大手術でした。術後も止血処置、感染症からの保護、そして何より当時38歳のモタラの衰弱は激しく余談を許されない状況の日々が続き、その間、このニュースはマスコミを通じタイ国内外に報道され、人間に仕掛けられた地雷の犠牲となり苦しんでいモタラへ世界中の無名の人たちから多くの励ましのメッセージとともに400万バーツ(1200万円)もの義援金が集まりました。

不登校のこどもたちを自宅に寄宿させて不耕農法で農業活動をしている小川さんの五色塾もこどもたちといっしょにお金に<頑張れモタラ>の手紙と絵を添えてを送っていました。

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1年振りのモタラはギブスをはずし包帯を巻き、黄色に輝くのゴールデンシャワーの木陰の厩舎で3本足で元気にたって餌を食べていました。
今でも人間からの感染症防止のため、関係者以外は側には近寄れませんでしたが、去年よりは元気になっているような感じがしました。

この病院にはモタラの他に、餌を求めて村の畑の下りてきたときに村人に目を射ぬかれて失明した象や崖から転落して両足を骨折した象5頭ほどが現在入院しています。

その中でまた悲しいことですが、ミャンマー国境での森の伐採作業中の母象に付き添っていて、やはり右前足先を地雷で吹き飛ばされた生後8ヶ月の小象、モーチャが母象といっしょにあらたに入院してきていました

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我々が近寄ると小象らしく木の柵越しに体を乗り出して鼻と先の失くなった右前足を摺り寄せてきます。
その愛らしい仕草にひきかえ、これから3本足で生きていかなければならないモーチャの長い一生を思うと、人間のみならず象までも被害を受けている人間のエゴで仕掛けた地雷に対し、嫌悪と悲嘆の情を禁じえず、モーチャの1日も早い退院を願い病院を後にしました。

投稿者: otaku 日時: 12:31 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

バンコク エラワン廟

タイ、バンコク市内の中心通り、ラジャダムリ通りの角地に多くのバンコク市民が徒歩ででもバスででもタクシーででもこの前を通るときには(運転手までもがハンドルを離して)手を合わせるエラワン廟があります。

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1956年この地に建設されたエラワンホテル建設の際、工事現場での相次ぐ事故をくいとめるよう占星術師の提言により建立されたのが、このエラワン廟。
お祀りされているのは仏教ではなくヒンズー教の三大神のひとつで四つの顔を持つ天地創造の神、ブラフマー神。商売繁盛や恋愛成就、満願成就など、タイで最も願い事を叶えてくれるという霊験あらたかなスポットで、いつも線香の煙が立ちこめ、奉納舞踊の演奏が流れ国内外からの多くの参拝者で賑わっています。

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去る2006年3月21日早朝、精神を病んだ男によって黄金のブラフマー像が叩き壊され、たまたまその場に居合わせ、この蛮行に怒った清掃夫にこの犯人の男も叩き殺されるという悲惨な事件がありました。

バンコク市民にとってこの事件は何か不吉なことの前兆ではないかとのうわさが流れるうちにタクシン首相の失脚、クーデター勃発となってしまっています。

ブラフマー像の再建立がすぐに開始され、像の写真パネルが廟の中心に設置され、その間も一日も早く像の再建立を待つ祈りの人たちであふれていました。

予定では3ヶ月かかるとされていた再建もタイではめずらしく、2ヵ月後の5月21日に前にもまして金色に輝くバラはマー像が完成し、奉納されました。

新しいブラフマー像の廟には今日も多くの参拝客が訪れています。
カトリックの僕も祈りの国タイの人たちといっしょに、宗派を超えてお世話になっているタイの国の平安とタイの人たちの繁栄とついでに僕のささやかな幸せも祈らせていただきました。

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投稿者: otaku 日時: 13:30 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

快楽 ベトナム ヴンタウ

べトナム、ホーチミンシティから東南へ120km、サイゴン川を1時間15分ジェットフェリーで下り海水浴リゾートと漁業の町、ブンタウに来ています。
革命前は首都サイゴンのリゾート地として政府要人や外国人のコロニアル風の別荘が立ち並び、今でもその頃の趣を深く残しています。
1975年北ベトナム共産軍に追われ、空路の脱出の路をたたれた南ベトナム政府要人、軍人はここブンタウから漁船で国外脱出をしたといわれています。

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僕が初めてこのヴンタウを訪れたのは18年前、この地でベトナム政府との合弁で縫製工場を開設の為訪問される飛行船株式会社の皆様に同行しての1989年のことでした。
そして日系企業では初めて、全ベトナムでも56番目の海外合弁企業として飛行船ブンタウ工場は操業をスタートさせました。

当時ブンタウの主要産業は近郊で発掘されるロシア資本の石油の精製で、外国人といえば、ロシア人のみ、町のほとんどの人たちにとっては初めて観る日本人の僕たちに好奇の目が注がれ、宿泊したヴンタウ随一といわれるパレスホテルもベトナム戦争後15年以上、何の改装もされず老朽化した珍奇なホテルとなっていました。うなるように響くエアコン、部屋には蚊取り線香が焚かれ、頻繁におこる停電にそなえロウソクが置かれてあり、同行の何者かが前夜マッサージの女の子にそれがしの行為の代償としてひそかに支払ったと思われる1万円札(当時のベトナム人の平均給与の5ヶ月分)を女の子が見たこともない紙幣だといって、翌朝、同行の日本人女性に差出し、USドルへの両替を頼みに来たという今になっては懐かしいエピソードもあり、すべてがカルチャーショックの連続でした。

1986年からのベトナムの経済開放政策ドイモイ、1990年の天然ガスの発掘のお陰で、このヴンタウの発展開発ぶりは毎年訪れる度、目を見張るほど、大きなキリスト像が見下ろす海岸線には今ではリゾートホテルが立ち並び、連日多くの海水浴客で賑わい、世界の有名ゴルフ場の名物ホールを集めてレイアウトしたといわれる27ホールのブンタウ唯一のゴルフ場バラダイス リゾートも15年前の開業以来メンテナンスもままならないシャビーなコースでしたが、最近大幅な改修がなされ生まれ変わり、海風の受けながら、べトナムならでは豪快なゴルフを楽しめます。

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そして1989年竣工の飛行船工場も今では独資でHIKOSEN CARAとして従業員1000名、世界10カ国でCARAショップを100店舗展開する大企業に成長しました、。

今回ブンタウ最高級ホテル グランドホテルで海外からのゲストも招待され盛大に催された15周年記念パーティに(記念ゴルフコンペも同時開催)参加させていただき、愛社精神あふれるべトナム人従業員の笑顔に接し、15年間の歴史の中で、ベトナムの地にしっかりと根を張り、ベトナムの人たちに愛され多くのベトナム人の雇用を創出しているHIKOSEN CARA社の益々の発展を願わずにはいられませんでした。

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投稿者: otaku 日時: 13:57 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

サイゴン秋天

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蒼く広い空にベトナム名物の純白に輝く入道雲の沸き立つホーチミンに来ています。
サイゴン川べり、DUXTON HOTELの部屋に差し入れられたフルーツバスケットの完熟のトロピカル フルーツが旅の疲れを癒してくれます。

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昨日首都ハノイで行われたAPECの記事が今朝の新聞の一面を飾り、
アメリカ、中国嫌いの国民性か補足記事は訪問中の安倍首相とプーチン首相の記事が大きく写真とともに掲載され、
特に日本とは新たな日越関係の時代を期待するとかの好意的論調です。

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ベトナムの朝は早く、夜明け前頃から道端でフランスパンのサンドイッチを売るおばちゃんが店開きをし、低いストールに坐って濃厚なベトナムコーヒーを飲む人々が集まりはじめ、ベトナムの朝の定番ホー(うどん)屋は通勤途中のベトナム人の朝食客で賑わい、いずれもベトナムの朝の風物詩です。

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タマリンドの木陰で人待ち顔の昔ながらのシクロ(自転車タクシー)のおっちゃんの横を アオダイを着たミス サイゴンが颯爽と歩き、通勤のモーターバイクの群れが走り、サイゴンのラッシュアワーの始まりです。

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サイゴンでの地元の人たちの足はバイクが圧倒的、従来の日本製(中古も含め)に代わり最近は価格破壊の中国製のバイクの売り上げが急上昇、誰もヘルメットをかぶらず、2人、3人乗りは当たり前、日中のバイク運転では多くの女性は日焼け防止のため帽子を深く被り、銀行強盗のようなマスクをして目だけ出し、長手袋で運転しています。このマスクも長手袋もどこのローカルの市場でも売っている、ベトナムだけのベストセラーです。
中にはキティちゃんのアップリケのマスクも売っています。

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週末の夜はサイゴの目抜き通り グエン フエ界隈は暴走族の集会を思わせるモーターバイクで埋め尽くされます。市民が恋人、家族を乗せて、グエンフエ通りあたりの道をぐるぐる走り廻りながらのを納涼ツーリングを楽しみます。
週末の夜遅くまで市の中心地ではバイクに乗った市民の嬌声とエンジンの轟音が響き渡たり。
これがサイゴン市民の正しいの週末の過ごし方のひとつのようです。

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投稿者: otaku 日時: 06:13 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

今日的香港商売事情

香港の我がオフィスは20年来、香港島随一の繁華街 銅鑼湾(コーズウェイベイ)の築50年の前時代的蛇腹式シンドラー製エレベーターのマンションビルの中にあります。
付近には百貨店、ショッピングセンター、市場、ブテック、映画館、レストラン、カラオケ、ホテルなどなどが半径500mにひしめきあうように集合し、まるで歌舞伎町か心斎橋のど真ん中にあるような感じ、
朝早くから夜中遅くまでどこからともなく湧いてくるうねりのような人波がとだえることはありません

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その中で最近目立って増えているのが日本レストラン、居酒屋、すし屋、ラーメン屋そしてたこ焼き屋まで・・・・
経営も客もほとんどが香港人、日中の政治の冷え込みとは関係なく食、音楽、芸能、アニメ、ゲームソフトの日流 は確実に香港人の生活に浸透していっています。

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しかし、ここ銅鑼湾の商業施設の家賃は世界でNO3の高さだとか(NO1マンハッタン、NO2シャンゼリゼ)
それだけに、多くのテナントは家賃との戦いに破れ、撤退、夜逃げで入れ替わりも激しく、儲かってるのはデベロッパーと内装業者だけといういびつな状況が続いています。

弊社が商品をお世話させてもらっているHIKOSEN CARA店 >も今まで香港三越の中にありましたがビル全体の改修にともない香港三越は9月で撤退し、急遽物件を物色し入居したのが銅鑼湾のど真ん中にあるCAUSEWAY PALAZA 1の1F(日本での2階)3坪のうなぎの寝床のようなスペースで家賃が月40,000香港ドル(60万円)、他の国の人が聞けば卒倒しそうな価格。
それでも背に腹は代えられず、先月何とか新装開店・・・これからクリスマス、旧正月の最大の商戦、世界NO3の高家賃の壁に向っての熱く厳しい挑戦の日々が続きそうです。

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投稿者: otaku 日時: 23:53 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

香港 秋 ビクトリアパーク

11月になって乾季に入り、香港の気候は実にさわやか、香港滞在中は毎朝走るビクトリア公園も気温22度、湿度50%で快適そのもの。

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緑の木々に混じって一年に2度咲く、香港を代表し、国旗のモチーフにもなっている紫荊花(ボヒニア:香港桜)がショッキングピンクの花を咲かせ、公園に鮮やかな彩りを添えて、いつまでも走っていたい気分になります。

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今日もいつもの通り午前7時に公園に行くと、中央の広場が黄色に染まっている(えっ? ここはタイ???)

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あわててデジカメを取りに戻り、激写開始、

今朝は法輪功の集会があるらしく、全員黄色に<真、善、忍>とプリントされたTシャツに白のパンツ姿、その数、数百人が広場でも木陰でもスピーカーから低く流れる声にあわせてゆっくりと集団気功をしている。

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ご存知の通り、この法輪功、中国での信者は共産党員を越えているといわれ
中国政府からは目の敵のように、弾圧、迫害を受け、公の活動は一切認められていない集団。
一応言論、集会の自由が保障されている香港ではさすがに禁止、弾圧は出来ず、定期的に今日のような集団気功の集会をやっているようです。
<中国のオーム>いう人もいますが、周りから見る限り、参加しているのは子供も含め、極めて普通の香港人でオームのような胡散臭さは全くありません。

もちろん回りには制服、私服の中国公安(?)、香港警察がじっと様子をみていましたが・・・
 
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デジカメを持って来たついでにいつも気になっていた公園の人物撮影、

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上のおっちゃん2人は決して喧嘩しているわけではなく、またホモのおっちゃん同士がいちゃついているわけでもなく、
太極拳の組み手のようなもので、こういう格好でゆっくり、いつまでも2人で、じゃれあうように体を寄せ合ってくんずほぐれつして、かなり不気味な動き、

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このオヤジも毎朝、同じ場所で大声を出して手足を高く上げてその場行進を繰り返しています。

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上のおばちゃんはカセット聴きながら、いつもニコニコ、かなり動きの激しいひとり社交ダンスを毎朝やっています。


皆、自分のスタイルで朝のエキササイズを楽しんでいるのですが、初めての人が観るとかなり怪しい人がたくさんいます。

かくいう今日の僕はジョギングスタイルでIPodのイヤフォーンに片手にデジカメでキョロキョロ、ウロウロ走りまわっているのですから、法輪功の張り込みをしている公安から職務質問を受けてもおかしくない挙動でしたね。

投稿者: otaku 日時: 12:10 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

トワイライト フライト

南回帰線越えたら、過去は皆蜃気楼・・・・

黄昏時のトワイライト フライトの楽しみは機外に広がるの雲海の世界10000メートル上空で、夕日を追うように刻々と万華鏡のように色彩を変えていくパノラマ ワールドは地上では体験できない幻想的な世界です。

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やがてコバルト色の残影を残して太陽は消え、漆黒の闇の中からさえぎるもののない天空に降るように無数の星が現れます。機体は星のトンネルを進み、城達也のジェットストリームの世界に入っていきます。(ちょっと古いですか?)
ちなみに城卓也は<骨まで愛して>でまったくの別人・・・

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機内の照明が消えていれば、星雲の世界は尚鮮やかに見れるはず。
でもたいていの場合は夕暮れ時から夕日をさえぎる為、窓のシャッター降ろしてしまっていたり、機内の照明がついていたりして、この神秘の世界を観ることの出来る人は少ないようです。


やがて機体は蛍かごのように輝く香港ビクトリア湾を旋回して香港国際空港にタッチダウン

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16日までの数日間、香港モードで突っ走り、17日からはときめきのベトナムです。

投稿者: otaku 日時: 20:06 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

チェンライ 白亜の寺院

タイ北部の町、チェンライから南に10kmの田舎町に忽然と現れる白亜に光り輝く寺院、金ぴかの寺院が主流のタイ全土で白亜の寺院はここだけとか・・・
寺院の名前は<ワット ロンクン> (ロンクン)というのはこの村の名前で( 濁った小川 )という意味だとか・・

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このお寺を建てたのが、タイでは有名な仏画の芸術家 チャルムチャイ コーシッピパット氏、独特のタッチの仏画を描き、活躍の場はすでにインターナショナル。民族芸術保持者( タイの人間国宝 )にも認定されているまだ50代の若き大御所。その画風は横尾忠則風の幻想的宇宙の世界

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彼が生まれた村に恩返しの意味で、すべて自費を投じて建てはじめたのが、このワット ロンクン、
建設に先駆け、3年かけてタイの寺院様式を勉強し、まず1997年本堂の建築から始めました。
(タイ人はお金を儲けるとよく生まれ故郷にお寺を寄進します。日本へ出稼ぎにきているジャパユキさんの中にも故郷にお寺を建てた人が何人もいます)

当初10年で完成とされていた本堂は10年経った今でも未完成で、周囲の仏殿の完成まではあとまだまだ、まさしくタイの(サクラダ ファミリア教会)です。

本堂の全容が見られる今、すでに観光バスが列を成すほどのあらたな観光スポットとなり、連日多くの観光客がつめかける中、工事は日夜進行中、
白亜の漆喰にガラスを埋め込み、コーシッピパット氏の理想とする
純粋無垢の仏陀の世界の完成はいつになることでしょうか?

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投稿者: otaku 日時: 12:38 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

11月 チェンマイ

先週のチェンマイは1日から始まった世界園芸博覧会とロイカトン祭りで国内外からの観光客で大賑わい、園芸博覧会の開会時のパビリオンコンテストでは予想通り日本館が金賞受賞、このニュースはタイのTV,新聞jでも報道され、開会後初めての日曜日の5日も多くの人がうわさの日本パビリオンを観ようと詰め掛けていました。

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農業国タイにとってはとりわけ恩恵深い水の精霊に感謝を捧げ、人間の罪や汚れを水に流し、願いを捧げるタイ最大の祭りのひとつロイカトンを今年も11月の満月の5日、多くの日本からの友人たちと、チェンマイでむかえました。
街は数日前から祭りの賑わいと興奮でおおわれ、ピン川沿いには昼間からバナナの葉や色とりどりの花で美しく飾られた手作りの灯篭(カトン)の店が立ち並び、街には陽気なロイカトンの唄がスピーカーから流れ、夜のクライマックスを待っていました。

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午後6時過ぎ、夜のとばりが落ち始める頃から、ピン川にはろうそくを灯した多くのカトンが流れはじめやがて川面はカトンの無数のろうそくで宝石箱はひっくりかえしたように輝き、満月の空には舞い上がる数千の熱気球が飛び交い、いたるところで花火も打ち上げられ宙天は幻想的な世界に変貌していきます。

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ピン川沿いのレストランは2ヶ月前からすでに予約で満席、シンガービールで互いの再会と健康を乾杯し、酔うほどにわいわい話しながらスパイシーなタイ料理を堪能するテーブルの側で楽師たちは民族楽器でロイカトンの音楽を奏で、民族衣装を着た踊り子たちは乱舞し、祭りは益々もりあがっていきます。

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食事の後、前日、村の子供たちが作ってくれたカトンを各自、祈りを捧げ、願いを込めてピン川に流しました。

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僕も、

・ 世界が平和にになりますように・・・
・ 日本がアジアの国と仲良くなりますように・・・
・ 友人たち、スタッフ、村の子供たちが皆幸せになりますように
・ そして僕自身も健康で愛に満ちた毎日が送れますように・・

カトンからこぼれ落ちそうなくらいにテンコ盛の願いと祈りを捧げ、満身の気合を込めて流しました。
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投稿者: otaku 日時: 16:36 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

チェンマイ最大のお

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チェンマイ最大のお祭りのひとつ11月満月の夜のロイカトンを前にしたタイ、チェンマイ郊外のプーディン小学校へプーディン基金の奨学金をお届けに、2年前鼓笛隊の楽器一式を小学校へ寄付いただいたソフィア会(上智大学OB会)の皆さんと、今やタイ人のユニフォームとなっている王室エンブレム付きのイエローのポロシャツを全員が着て再訪問させていただきました。

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講堂で民族衣装を着た子供たち、先生、父兄からいつもながらの熱い歓迎を受けました。

子供たちのロイカトンの唄と踊りに続いて、祭りの期間、川に願をかけて流す手作りのカトン(お供え物)を我々全員に子供たちからプレゼントされました。

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お返しに、旧友、木元さんが汗だくで2年前日本からハンドキャリーしていただいた電子ピアノでの今回のメンバーのひとり安藤夫人のアヴェマリアの演奏に生徒たちはうっとり ♪♪♪

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校庭に出て、2年前のソフィア会の楽器寄贈以来、九州の田中さんグループ、兵庫県の島田さんグループの皆さん方にご指導いただき、生徒たちも毎週練習している鼓笛隊演奏行進。

村の秋空にドラムの響きがこだまし、平和なときが流れました。

あらためて、プーディン小学校へ、ご支援、ご協力していただいた皆様に厚く御礼申し上げます。

投稿者: otaku 日時: 15:34 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

STAR of ANCHORWAT

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上智大学OBの皆さんたちと2年振りに訪れたアンコールワット、シエムリアップの街は様変わりしていました。空港ビルはフランスの援助でトロピカル風の瀟洒なたたずまいに変貌し、街の通りには車の数が増え信号機が3箇所も設置され、5年前までは数軒しかなかったインターナショナルホテルが今や50軒にもなり,世界各国からの観光客数もうなぎのぼりで年間100万人を突破したとか・・

ここアンコールワットに上智大学が石澤学長を中心に1996年から遺跡の修復と発掘を通してカンボジア人の考古学者、建築家、石工の人材養成するグループが日夜活動中です。1960年代、石澤先生はこのアンコール遺跡を訪れその壮大な遺産に魅了され、カンボジア人の手によって修復を試みようとする若き研究者たちといっしょこの遺跡の研究を決意されたとか、その熱き志も70年代のカンボジア国内の内戦によって中断され、内戦後80年代になって戻ったアンコールワットは戦火で銃痕も生々しく、国中に地雷が残り、いっしょに研究をと思っていた仲間のカンボジア人の学者たちはほとんどは戦死してしまっていました。石澤先生は彼等の遺志を継ぐべく、、アンコールワットの研究、発掘、修復を通してカンボジアの若者の考古学者、建築家の育成のためにシェムリアップに設立されたのが<上智大学アジア人材養成研究センター> です。

そのソフィアミッションのひとつがアンコールワットへ通ずる300mの参道の西側の修復作業。千葉県の石職人の小杉さん(80歳)が中心となり10年前からボランティアで遺跡近所の村のカンボジア人の若者たちを日本に呼んで研修させたり、自ら現場で言葉の壁を乗り越えて技術指導し、クメール時代にもすでにあった数百kgもの石を紙1枚も通さないくらいの間隔で敷き詰めていくという日本の伝統の匠の技を伝授しながら目下60名の現地作業員といっしょに修復作業をされています。
修復方法はコンクリートや接着剤を使わず、あくまで1000年前のクメールの工法に従い、まずは土を固めその上にラテライトの石を敷き、さらにその上に丁寧に研磨した砂岩の敷石を敷いていくという気の遠くなるような緻密で手間をかけた工法で進められています。

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もうひとつのミッションは10年以上前からの発掘作業の過程でアンコールワットの近くのパンテアイ クディで2001年に発見された歴史的遺跡の発掘作業。すでに274体もの貴重な仏像が発掘され、イオングループからの寄付のもと来年には、この遺跡博物館が完成とのこと。
研修センターには発掘された貴重な仏像がところ狭しと保管されてあり、ここに常駐されている上智大学の修士課程の安部千依さんと日本留学経験のあるグティさんから、修復と発掘の状況の説明を受け、このアンコールワットでの活動を通して、カンボジアの人たちが長い内戦の悪夢から立ち上がり、1000年前の輝かしいクメール文化の誇りをとり戻すことを支援活動する地道な日本人たちの活動に深く心を打たれ、日本を遥かはなれたここカンボジアの熱帯雨林のジャングルの町にも、国際交流にひたむきに青春をかけるまたひとりの
日本人の地上の星を発見した思いで研究センターを後にしました.

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投稿者: otaku 日時: 00:38 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

主宰者プロフィール

ガチャマンダオーナー

大宅 一裕
(おおたく かずひろ)

1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)

1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)

1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)

1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)

1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(?1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)

1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる

2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中

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