かがり火は燃え、星は流れる タイの秋

タイ北部、チェンマイ郊外のプーディン小学校と交流を始めて4年
その間、幾度となく、夜のキャンプファイアの集いに招待いただいていたのですが、なかなかタイミングがあわなかったり、夕方から出かけるのも億劫になったりして不義理を続けていました。

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昨夜、村へホームスティし稲刈りを手伝いに日本から来られている友人の小川さんと日本の学生の皆さんのためにキャンプファイアをしたいので、是非とも出席してほしいとの校長先生からの暖かいお誘いに、今度こそは何としてもと意を決して、スタッフといつも小学校との交流で翻訳、通訳を務めてくれているラチャパット教育大学日本語学科の学生たち総勢11名とマイクロバスで駆けつけました。

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校庭では、すでに先生、父兄、生徒(今回は5年、6年生 24名)がキャンプファイアの焚き木の準備、バーべキューのための下ごしらえ、会場の設営などすでに済ませ、待っていてくださいました。

陽が沈み、月が昇る頃、焚き木に火がつけられ、みんな、ござの上に車座になって地の新鮮な素材のバーべキューをほおばり、僕たちは先生がどこからか持ち込んできたタイウィスキーをグビグビに飲みながら、学生や子供たちの笑い声の中、超ブロークンのタイ語でぎゃぁぎゃぁやっていると酔いが回り、ここが小学校であることを忘れ居酒屋気分になリ、すっかりくつろいでしまっていました。

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中央の組まれたかがり火が高く燃え盛り、子供たちの民族音楽の演奏をバックに、これまたホロ酔い気分の先生が民謡を歌い始めると、みんな輪になって手をくねくねしながらのタイダンスをまるで盆踊りの乗りで始めました。我々日本人も踊りの輪に引きずりこまれ、僕はその昔、ディスコキング(???)といわれた得意のステップをご披露と思ったのですが、酔いのせいか、年齢のせいか、足がもつれ、とんだタコ踊りになってしまい、周りのキャッキャッの嬌声の中、大人からは失笑を買いましたが子供たちには結構大受けのようでした。

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大学生たちは日本語で<踊るポンポコリン>を踊りながら歌い、
(総じてチェンマイの大学生はあまり酒を飲まずいつもコーラだけで大騒ぎ、ちなみに喫煙はほぼゼロ)
フィナーレは同窓の僕と小川さんが母校の校歌を全員の手拍子にあわせてアカペラで高らかに(?)自己満足的に謳いあげました。

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最後は消えかかった残り火を囲み、全員が手をクロスに組んで輪になって体を左右に揺らせながら<蛍の光>を歌ってお開きとなりました。
(タイでこの種のパーティの最後はいつもこの手を組んでの<蛍の光>の儀式のようです)

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宴の後、さえぎるものがない村の澄んだ夜空には月が輝き、満天に降るような大きな星空が広がっていました。
楽しいキャンプファイアに参加できた喜びもさることながら、このゴージャスな星空が見れただけでもわざわざ村まで来た甲斐が充分ありました。

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世界からの便り

主宰者プロフィール

ガチャマンダオーナー

大宅 一裕
(おおたく かずひろ)

1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)

1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)

1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)

1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)

1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)

1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる

2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中