
今回の日本出張のメインの目的であったビッグサイトでの4日間の宝飾展を無事終え、心身ともにほっとしているところです。
チェンマイ郊外プーディン村の工房で制作した天然石とシルバーのアクセサリーのセールスマンとして今回初めて東京での展示会への出展までこぎつけました、知人、友人の皆様+家族総動員の協力お陰で昨年の神戸につぎ、東京でもまた多くのバイヤーとめぐりあうことができました。
日本最大の宝飾展だけあって国内外から多くのバイヤーの来場があり、連日(僕に余りなじみのない)長澤まさみ、速水もこみち、幸田来未等など数多くのタレントも動員してのイベントもあり、さすが花の東京のビッグショー、アジアの田舎物にはまばゆいばかりで、久々にネクタイをしめての立ちっぱなしで腰も足パンパンになりながらも30年前のデパートマン時代の初心を思い出し、リフレッシュした気持ちでの毎日でした。
村のおばちゃんたちが丹念に手作りしたアクセサリーは多くのバイヤーから高い評価をうけることができこれを機会に日本での市場を拡大しアクセサリー生産を通じての村おこしのプロジェクトを一歩ずつ推進できそうです。
今回の日本滞在は個人的な事情もあり、寒い日本で異例の長逗留となり風邪気味のままずっとやってきましたが
やっと明日、旧正月前、喧騒の暖かい香港へ帰国できます。
今回の日本出張中、お世話いただいた皆様、展示会にご来場いただきました皆様にはこの場を借りて、あらためて厚く御礼申し上げます。お陰様で心に残る日本滞在となりました。
大震災から12年経った鎮魂の神戸にいます。
毎日まったく殺伐とするニュースばかりの日本ですね。その事件をマスコミがよってたかって2重3重に増長して伝えてTVのバカコメンテーターがありきたりのコメントをのたまっているのを観ていてもまったくウンザリしてしまいます。
-----------------------------------------
年に3-4回、それも1週間ー10日の短期間の日本での一時帰国の期間に信じられない不思議なことがよくおこります。
7年前、小学校時代の一時期をすごした広島の段原の街、住居、小学校を40数年ぶりに見たいと思いたち、当時住金広島支店勤務の白井兄(現在住金中国江陰勤務)を訪ね1泊で広島に赴き、そのまま夕食を兼ねて夜のネオン街へくりだし、いつものように2軒、3軒ハシゴの末、案内された店のカウンター越しに立った女の子、しおりちゃんとしばし広島談義、何の気なしに聞いた彼女の姓が<的場>、住んでるのは<段原>、ふとよぎったのがその昔よく家に遊びに来ていた妹の仲良しだった女の子の名前が確か<的場>、まさかと思いながらお母さんの歳を聞いたところ何と妹と同じ歳ビックリして何とかお母さんに確認してくれないかと依頼しましたがあいにくパートの工場での夜勤のため連絡とれず、次に叔父さんにTELしたところまさしく本人、兄弟でよく段原の我が家に遊びに来ていたとのこと・・・
翌日、奇縁のしおりちゃんの案内で白井兄の運転ですっかり変貌してしまった段原の街、昔のままの段原小学校への感慨深い故郷再訪センチメンタル ジャーニーを果しました。
------------------------------------------
そして先週、帰国の度に集まってくれる高校時代の同期、今回のメンバーのIT安井兄、植田外科医、井上弁護士、鈴木校長たちと大阪北の絶品の焼き鳥、焼酎で異業種懇談、日本の教育論から昔の彼女まで話題彷彿すっかりいい気分になった後、2次会は安井兄の事前の配慮で同じ歳の美人ママのなじみの店を週末休みにもかかわらず開けてもらっているということで、そのまま全員流れて、しばし飲み続けているうちに、大阪の出生地の話からママから出てきた地名にビックリ、此花区春日出町そして此花幼稚園、それはまさしく僕が広島へ行く前に3歳から5歳まで3年間過ごした町そして幼稚園、おまけに同じ歳 まさか、まさかのでてくる話題すべてに50数年前の記憶が酔った頭の奥から蘇って来て、思わず椅子からずり落ちそうになりました。
ママの想い出のひとつにひな祭りのときの学芸会での三人官女を演じたこととか、そういえば僕も五人囃子で出ていた我が家に写真があったような・・・
その夜、深夜、実家に帰宅し早速押入れから古いアルバムを引っ張り出し、見つけたのがセピア色の此花幼稚園時代のひな祭りの画像
五人囃子の一番左のふくよかな、いかにも品のある(?)男の子がご幼少のみぎりの僕ちゃん、それではママは上段の3人のうちのひとり??
週末をこのシンンジラレナイ 偶然に驚きながら過ごし、一昨日、北で友人、田中氏、島田氏と集まる機会があり、夕食後、両氏にも事情を話し再びくだんのママ(塗野友子さん)の店<LIVERTY HOUSE 大阪市北区西天満4-11-8 武智産業ビル 1F TEL06-63632618)へ写真を持って直行、早速、周りの客の迷惑顧みず写真を取り出し、ママも思わず老眼鏡を取り出して一発確認 <真ん中が間違いなく私です>
海外ならばこの感激、二人はハグしてキスの1,2発はかますところでしょうが、ここは日本、隣の友人たちから<欧米か???>と冷やかされかねないので熱い握手でとどめておきましたが・・・
そして証拠写真もいっしょに52年ぶりの記念撮影
この面通しの事実を先週同行していた友人たちにメール連絡したところ、「中国残留孤児の家族との再会のようなドラマ」 とは井上弁護士からの返信
島田氏からは「1億3000万人の中から52年ぶりに偶然再会するという奇跡的な場面に立ち会うことができたこともうれしい出来事でした。」
2度あることは3度・・神は今度はどのような再会のドラマを演出してくださるのでしょうか・・・?
タイ、プーディン村の工房で制作したアクセサリーを24日から東京宝飾展に出展するため日本に帰国しています。
今年は暖冬とのことですが、長年南国生活で開ききった毛穴から入り込む寒さが毎日、身に沁みます。
先日、東京からの神戸への移動の新幹線から久々に荘厳な富士山を見ることができ、今年は春から縁起がいいかなとひとり思っています。
昨日週末の故郷神戸のそぞろ歩きの途中、三宮地下街(サンチカ)のイベント広場の一隅で即売会をしていた山口善生さんという32歳の若き陶芸家の作品に足が止まりました。
どの国でも興味ある人物とは誰とでもすぐに話したがるのが僕の性、早速山口さんご自身としばし立ち話、山口さんは金沢の出身、実家の家業は大工、地元星稜大学卒業後、自然豊かな自宅敷地に穴窯(山法師窯)をかまえ独学で陶芸を始めたとのこと
その手法は焼締(やきしめ)という昔ながらの薪を焼く方法で、窯を焚くこと自体が数日に及ぶ重労働でさながら祭りごとをおこなう行者ような荘厳な作業となるとのこと、ゆう薬をいっさい使わず、そこから生まれる作品は高熱の炎と薪(赤松)の樹木の精が創りだす神聖な色彩、紋様を宿し作品の一点一点が自然が織り成す神秘的な表情を持ち不思議な存在感があります。
陶歴を拝見すると山口さんは地元金沢では今まで数々の賞を受賞している鬼才の新進陶芸家、早速いつものあつかましさで3月9日ー11日銀座6丁目の岩崎眼鏡店サロンで開催予定のアンコールワット修復基金バザールへの出品を依頼し、二つ返事で快諾してもらいました。
山口さんにとってもはじめての東京出展とのこと今から花の東京のど真ん中での反響が楽しみです
新春からすばらしいクリエーターにめぐり合うことができ、今年は本当に縁起がいいかも・・?
山形のJFC石井農場の石井さんから寄贈いただきチェンマイ郊外のプーディン小学校で生徒といっしょに2週間前に植樹した桜の苗木、生徒たちが毎日、この日本からの貴重なプレゼントをそれぞれ担当を決めてやさしく、いとおしむように水をやって育ててくれているお陰で、早くも緑の新芽が芽吹き始めたとのメッセージが画像とともに送られてきました。
南国チェンマイの山里でも今は朝夕気温15度くらいで桜には最適、これから次第に暑くなっていく桜に不適といわれている熱帯の気候にも力強く成長し、やがて満開の桜並木を見れる日を夢見ています。
五色塾主宰者 小川誠さんのチェンマイ旅行記ご紹介します。
*************************************
今年は我々3人と大宅さんとスタッフのウィラポンさんと5人でランバンにある象病院を訪ねました。前回行ったときに、モタラはもう象病院の生活にすっかり慣れているのがわかったので、そんなに心配していませんでした。むしろ、去年運び込まれて、地雷に飛ばされた足がまだ生々しく肥大していて、思うように歩けずにいらだっていた3歳象のモトーのことが気がかりでした。そして、そのお姉さんで7歳のモジャイのことも気になっていました。
元気なモタラの様子を見てから、モトーとモジャイのいた所へ行ってみると、そこにはどちらの象もいませんでした。ところが、まだ見るからに赤ちゃんの象が、右前足首を吹き飛ばされた赤ちゃん象が目に飛び込んできました。その象は鼻を揺らしながら、3本の足を上手に使ってちゃんと歩いているのです。そのそばには大きな象が一頭いて、見るとちゃんと4本足で立っていて、どこも悪くないようです。
<これは一体どういうことなんだろう>
その場にいた係りの若者にウィラポンさんが聞いてみると、その小象はモーチャという名前で、やはりミャンマーの国境で木材を運ぶ作業をしていたお母さん象についていたときに、地雷を踏んでしまって、象病院まで運び込まれてきたのだそうです。そのとき、モーチャは生まれてたったの5ヶ月だったそうです。象は人間と同じくらい長生きで60歳ぐらいまで生きるそうですから、5ヶ月の赤ちゃんの片足首が地雷で飛ばされたと想像してみてください。その苦痛は想像を絶するものがあったろうと思われます。そして、そもそも今は正常な精神状態なのか、仮にそうだとしても、今後も精神的なトラウマでおかしくなることはないのかどうかなどなど、様々な心配が次から次へと湧いて出てきました。
少し話しかけると、その係員は食料倉庫の方へ走って行って、わざわざバナナの束を取って来て、モーチャを我々のいるほうへおびき寄せてくれたのです。モーチャはそれに気づくと、3本しかない足を上手に使いながら、見る見る間に我々のところまでやってきました。そして、軽々とその吹き飛ばされた側の足を柵に乗せて、バナナをせがむのでした。
右前足首が吹き飛ばされたが、患部はかなりきれいに新しい皮で覆われている。後方に母親の象。
その元気なしぐさの愛らしいことといったらありません。我々が体をさすっても逃げようともしません。見た目にはもうあの日のことはすっかり忘れてしまっているかのようです。係員の話では、その傷口がすっかり皮で覆われたら、お母さん象と一緒に持ち主のほうに返されることになっているそうです。
それにしても、去年見たモトーの様子とはずいぶん違います。もしかしたら、この赤ちゃん象は3本足でちゃんと暮らしていけるようになってしまうのだろうかと期待したくなりました。それでも、やはり木材を運んだりして仕事をすることまでは無理でしょう。持ち主はモーチャを養っていけるのでしょうか。自然が豊かだから食べ物ぐらいは大丈夫なのでしょうか。同じ疑問は、数ヶ月前に持ち主の所へ引き取られたと言うモトーとモジャイにも当てはまります。生きていて良かったのは確かです。安心しました。でも、果たして生き続けることはできるのでしょうか。今回再び訪れてみて、このような悲劇は何度も繰り返されて、終わらないだろうと感じられました。私たちが「かわいそうに」とだけ言って、何も行動しないでいるかぎり。 (続く)
NY在住の映像ディレクター溝口尚美さんからの新春メッセージ添付します。
*****************************
新年、あけましておめでとうございます。
ニューヨークは日本よりも14時間遅れで2007年になります。
クリスマスにジェームスブラウン、その後、フォード元大統領、フセイン処刑執行・・などなど、世界的に名の知れた人たちがこの世から去り、歴史を感じさせる年の瀬でした。
私が働いているダウンタウンコミュニティテレビジョンセンターで1980年にジェームスブラウンを撮った古い映像(3/4インチ)があり、急遽、それを私が編集する事になり、New York Times と Democracy Now!に届け、12月29日に無事、放映されました。
Democracy Now! が下記で長めに放映してくれています。
(DCTVディレクターのジョンアルパートも番組に出演しています)
ジェームスブラウンが26年前にニューヨークに来たときの
インタビューとライブです。ファンの方、ぜひ下記をのぞいてみて下さい。
(Watch 128k stream または、Watch 256 stream をクリックすると見られます。6分ぐらいからです)
昨年は就労ビザを獲得する事ができ、やっと経済的・精神的に
落ち着いた生活が始まりました。
まだ、こちらで色々な事を吸収する必要性を感じていますので、
もうしばらく、ニューヨーク生活を続けようと思っています。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
ニューヨークにお越しの際は、気軽に声をかけてくださいね。
溝口尚美
その昔(僕が百貨店マンであったころ)正月3日間はほとんどの商業施設は休業していて繁華街も静まり返っていたはずなのに10数年ぶりに出かけた2日の新宿の街はデパートもレストランも開業し初売りで大賑わいでした。人ごみの中をかきぬけて、友人推薦の<武士の一分>を観て不覚にも涙しました。(今回香港からの帰国便の中で見た常磐ハワイアンセンターを舞台にした<フラ ガール>を観たときも機内で涙が止まりませんでしたが・・・すっかり涙もろくなってしまったのも年のせいですね)
山田洋次監督の宣言通り、新たなキムタク像を見ることができましたが、脇を固める笹野高史、桃井かおり、小林稔侍、坂東三津五郎、緒方拳らバイプレイヤーの燻し銀のような演技が光り物語を味わい深いものにしていました。寅さんシリーズ同様、山田監督のキャスティングの妙ですね。
この作品も<たそがれ清兵衛><隠し剣 鬼の爪>同様、国内外の映画祭でも間違いなく高く評価される作品となることでしょう。
作品のテーマである<武士の一分>、昨年のベストセラー<国家の品格>にも共通する古くて新しい武士道の心に国民が共感し、混迷する日本国の指針として求められているような気がするのですが・・・
20何年ぶりに東京新宿高層ビル群の一角のホテルで新年を迎えました。
「明けましておめでとうございます。今年もアジアの空の下で出会ったチョットいい話をお伝えしていきたいと思います」というメッセージを準備していたところに、飛び込んできたのが2日前にいたバンコクでの昨夜の連続爆破のニュース、それも1個所は10日前日本からの友人たちと宿泊したセントラルプラザ エリア、数年前のバリのテロに続き、また惨事からすり抜けたような滑り込みセーフ。
昨年のクーデター以降の戒厳令下、正常化宣言を直前にして首都バンコク中心部でのこの惨事は観光立国タイにとっては政局同様大きな痛手になり今後のこの混迷はしばらく後をひきそうです。
今年こそは、このブログでも平和で明るい話題満載できるようなアジアであってほしいとひっそり静まり返った新宿副都心のホテルの一室で祈念しています。
大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中