
不登校や引きこもりの子供たちを自宅に合宿させ、自分の子供たちと不耕農業や大工作業をしながら共同生活している五色塾の主宰者 小川さんから日本出張期間中、時間があれば塾へ来て子供たちにアジアの話をしてもらえないかとの熱いリクエストにお応えして、日本滞在最後の夜、相模原の五色塾におうかがいして車座になって子供たちや、ボランティアの人たちとのアジアの生活やプーディン村紹介の懇談会に妻と二人で参加させていただきました。
子供たちは目をきらきら輝かせながら、まだ見ぬアジアの話しに聞き入って、子供ならではの発想の思いもよらぬ質問も飛び出してこちらもあたふたしてしまうような新鮮な驚きがありました。
懇談会の後、その日スイスからの里帰りから帰国したばかりのいブリギッタ小川夫人の心のこもった手料理を10数人が一斉においしくお頂き、山盛りの料理も食べ盛りの子供たちの前では気持ちがいいほどまたたくまになくなってしましました。どの国でも大勢でわいわい談笑しながらの食事はやはり最高の至福の時ですね
食事の後、小川さんのお嬢様たちのピアノでベートーベンの演奏、ブリギッタ夫人がスイスから持参のライアを塾生のふゆみちゃんが<千と千尋のテーマ曲>を演奏し、どんな豪華なコンサートホールの演奏よりも心の琴線に響く日本での最後の晩餐を経験させていただき、子供たちとも次回はチェンマイでの再会を約して五色塾を後にしました。
今の日本の偏差値教育で落ちこぼしている大事なものをひとつひとつ拾い集めて大切している五色塾での奥深い感動を胸に家路を急ぎました。
小川さんから帰り際に手土産にといただいた子供たちと作った自家製のカリフラワーを早速翌日いただいたところ、今まで味わったことない大地の甘さあふれる美味しさでした。
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大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中