香港利休物語

今回の3日間だけの香港滞在期間中、どうしても行っておかなければいけない店があり、会っておかなければならない人がいました。
日本料理店「利休」、香港の駐在員でこの店を知らなければモグリとまで言わさしめた名物日本料理店オーナーの島田さんは御歳72歳の関学OBとしても香港駐在日本人としても最長老のお一人。

その「利休」が2月17日旧正月までで17年間の歴史の幕を引き、島田さんご夫妻は故郷兵庫県に帰国されると昨年末お聞きしていたので、明日から3週間の南の国へ旅発つ僕としては最後の伝説の店「利休」での食事をと、今日昼食を兼ねてご挨拶にうかがいました。(香港駐在20年の僕も開店以来お世話になった店)

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「利休」の開店は1990年、それまで香港駐在の経験のない島田さんは日本でのサラリーマン生活を早期退職され、55歳で単身香港へ渡来、駐在している土地勘のある人間ならばまず出店しない日本人の立ち寄らない天后の倉庫街に日本料理「利休」を開店、案の定開店数ヶ月は閑古鳥が飛び回り、見るに見かねた奥様が日本からかけつけメニューからサービスすべてをを洗いなおしてのマイナスからの再スタート、そして苦節1年、ご夫妻が昼夕いつも、自ら店内に立っての家庭的なサービス、奥さん指導の繊細なおふくろの味付けが話題を呼び、そのうわさは口コミで拡がり、金融マン,商社マンは3駅向こうのセントラルから、航空会社の日本人キャビンアテンダントたちは海峡を渡った九龍から車を飛ばしてまで駆けつけ、数年後には予約なしでは席につけない超繁盛店になり、利休の近所には次々と日本レストランが開店し日本食街になっていきました。

利休 3.JPG


いつも満席の店内で駐在員たちは異国での懐かしい日本の料理をほおばり、酒をあおり、あるときは香港ドリームを熱く語り、あるときは大陸での挫折に涙し、多くの友人同僚の歓迎会、そして送別会もこの店で行ってきました。

この17年間、香港はめまぐるしく揺れ動きました。中国返還、通貨危機、鳥インフルエンザ、そしてサーズ騒動、サーズ騒動の期間、家族を日本へ一時帰国させた単身駐在員で利休は連日超満員となり、利休のおふくろの味は単身駐在員の胃袋を支え続けました。

今回市街地の再開発のためのビルの立ち退きとなり「利休」は香港駐在の日本人のみならず、多くの香港人、欧米人に惜しまれ、客一人一人の思い出のシーンを残して閉店していくことになります。

今日も島田さんはフロアで奥様は厨房で忙しくされていました。

僕の最後のオーダーのメニューは迷わず「利休」名物,世界一美味ともいわれているカレーうどん、その昔若かりし頃は大盛りのカレーうどんを食べた後、残ったスープに大盛りのライスを注文してカレーライスとして<一品で2度美味しいと言いながら>食べていましたが・・・(あのときは若かったなぁ・・)

利休 5.JPG

レジ近くに座り、島田さんと昔話をしながら感慨深く、ゆっくりと味わいながらく最後のカレーうどんを汁まで完食し、島田さんと記念撮影、またいつの日かいずこの国かでの再会を約束して、お互い目頭を熱くして硬い握手で店を後にしました。
時は流れ、人は去り、またひとつ香港の日本人社会の歴史と記憶に残る店の灯がまもなく消えて行きます。

利休 4.JPG


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世界からの便り

主宰者プロフィール

ガチャマンダオーナー

大宅 一裕
(おおたく かずひろ)

1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)

1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)

1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)

1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)

1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)

1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる

2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中