
1ヶ月ぶりに舞い戻った、開港4ヶ月経過したバンコクスワナプーン新空港には人目を避けるようにうごめく作業員がそこかしこに、見上げればガラス天井の上にも数人の作業員が・・・
バンコクポストによれば、この新空港そもそもコブラの沼といわれた沼沢地に規格外の土砂を使ったために、早くも地盤沈下が始まり、滑走路、誘導路に亀裂が生じ、51基の搭乗ブリッジのうち11基が使用不可、旅客ターミナルの外面に多用されているガラスにもかなりのひびが入ってきているとか・・・
もし地盤の埋め立てに使用した規格外の土砂が沈下の原因であれば、その場しのぎの補修では間に合わず地盤そのものからの気が遠くなるよな大がかりな改修工事が必要となり時間的にも経費的にも問題はかなり深刻になってしまいます・・
それを察したのか政府は急遽、旧ドムアン空港を国際線として併用復活開港すること6日政府決定してしまい、事態はますます混乱していくことは必須となっています。(ドムアンの再利用の準備にも45日はかかるとか・・)
チャオプラヤ川辺のカフェでシンハービールでものんびり飲みながら、川を渡ってくる熱帯の肌にまとわりつくような高温多湿の大気を吸って、日本から引きずってきた風邪を一機に吹き飛ばそうと、河畔のホテルに宿泊したのですが今年のバンコクは50年ぶりの(50年前の記録を取っていたとは思えないので、おそらく史上初)涼気襲来とかでプールにも入れず冷えたビールを飲むと肌寒くなり、かえって風邪をこじらせ、はなや咳まで出て来てなんとも情けない状況になってしまいました。
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大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中