
5年前から交流を続けているプーディン小学校へ定期奨学金(HIVで親を亡くした生徒への奨学金)を届けに日本からの友人たちと行ってきました。

今回は東大サッカー部のヒデ ナカタ(?)こと倉林啓士郎コーチのサッカー教室も開催し、休日にもかかわらずいつものように男子生徒のみならず、女生徒、父兄も大勢、校庭で待っていてくれました。
奨学金と文房具の授与と卒業する6年生二人への記念品贈呈のあと、いよいよサッカー教室が始まり、倉林コーチの指導のもと、以前所沢少年サッカークラブの辻 稿一氏寄贈のコーンを使ってのドリブル、パス、シュートの練習、生徒は誰も日本のようにユニフォームもスパイクも持っていません(半数はぞうりか裸足)が、ムエタイ仕込みの鋭いシュートを連発していました。
その後、2組に分かれてのミニゲーム開始、ユニフォームがないので裸チームとTシャツチーム(判りやすくていい)、皆フォーメーションも何も関係なく、石ころだらけのグラウンドで全員で一心にボールを追ってゲームセット 2-1で裸チームの勝利
昼食は休日で給食がないのでチェンマイから買ってきたカップヌードルに女生徒たちが沸したお湯を入れてくれ、
生徒代表の6年生モンメンちゃんから<今日も日本からプーディン小学校へ来ていただいて有難うございました>との挨拶のあと
全員でわいわいがやがやいいながらの昼食を終え、日本語で<アリガトウ><サヨナラ>と言って手を振る生徒たちに送られて小学校を後にしました。
この日もいつものように心に残る訪問となりました。
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大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中