
ソウル延世大学へ語学留学を始めたRIKAさんの奥様語学留学体験レポート NO 2 を転載させていただきます。
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ソウルより 2007年3月28日
早いものでソウルにやって来てこの狭いお部屋で暮らし始めて、はや5日が過ぎようとしている。今日はソウルは朝から厚い雲が立ち込め、雨がいつ降りだしてもおかしくないような空。案の定、お昼過ぎに降りだしたと思ったらなんと小さな氷の粒、ひょうだった。
地下鉄 신촌역(シンチョン駅)へ向かう道沿いにやっと咲き始めた桜の花もびっくり。
(今までは夢中で目の高さばかり見ていたが、今日初めて上を見る余裕が生まれ、見上げてみれば咲いていた!)
先程Yahooのニュースで上野の桜が満開の写真が載っていたので、やはりソウルは東京より少し寒いようだ。
地下鉄のシンチョン駅には8つ程出口があり、私のコシテルに行くにはヒョンデペクファジョン(現代百貨店)の横を通り一番遠くの出口へ。出口の右手には韓国ドラマ「美しき日々」の舞台となったシンナラレコード店がそのままの姿で。今にもリュ・シウォンがバイクで乗り付けてきそう。
ここから賑やかな繁華街を7分ほど歩くと見えてくるのは立派な病院。
私がこれから通う延世大学の医学部(ドラマの中でリュ・シウォンが通っていたのはこの医学部という設定らしい)付属の病院で、道を挟んで右側のレンガ色の建物の3階に私のお部屋がある。
さてさて、今朝はソウルに来て初めて目覚ましで起きた。
今日は大切なクラス分けのテストがあったのだ。
部屋から歩いて5分、丘の中腹に延世大学の韓国語学堂(The Korean Language Institute)がある。
9時半の集合時間には中くらいのホールがいっぱいになるほどの生徒が集まってきた。ほとんどが東洋人系、欧米人は見たところざっと20%といった感じ?
学校からもらった資料によると今までこの語学堂で学んだ約62500名中
1位 Japanese 18,632名
2位 American 16,196名
3位 Japanese-Korean 9,453名
4位 Chinese(本土) 3,726名
5位 Korean 2,532名
6位 Canadian 1,316名
7位 Russian 1,211名
といったことらしく、やはり東洋人が圧倒的に多いようだ。
ホールで一般的な説明を受けたあと13名くらいのグループに分けられ、
各クラスルームで筆記と面接試験を受けた。筆記は難度の低い問題から段々進むにつれて手に負えない問題へ。説明の先生が自分が無理だと思ったところで止めろと言ったのを「悔しい!」と思いながらもそれに従わざるを得なかった。シクシク・・・
面接は筆記と平行して一人ずつ隣の教室で行われ、それがドアを開けっ放しでするものだから全部聞こえてくる。
黒人の男性がひどく流暢な韓国語で答えていた。彼はなんで日本語でもなく、中国語でもなく、中国語を勉強するのだろう?なんて余計なことを思ったりして。
私の面接ではもっと聞いて欲しかったことは聞いてもらえなく、ちょっと肩透かしにあった感じ。日韓の問題とか格好良く話そうと思っていたのに。そう言えば娘が中学受験のとき、
親子面接で最後まで何も聞かれずに終わろうとした時に、用意万端で行ったダンナが我慢しきれずに何か口走ったら、面接官の先生に「お子様の面接ですから」と言われ、なすべもなくその場を去ったのを思い出した。
あの時「もしも落ちていたら父親の責任だ」と娘に言われた。しゃべり過ぎないくらいが良いのかも?
今日のクラス分けテストの結果は明後日の午後発表になる。この延世大学では日本語、中国語を母国語にする生徒に対しては6級(1級から6級すべて受講すると1年半)と西洋の言語を母国語にする生徒に対しては8級(2年間)に分けて学習するシステムになっている。数ある韓国の大学、語学学校の中でもこの延世大学のプログラムは比較的評価が高く、こちらに来てからの情報では中級クラスの生徒でもかなり流暢に韓国語を話すことができるとのことなので、私は欲張らずに自分の背丈にあったクラスで学習できればそれでヨシとしよう。
キャンパスはソウルの中心地(明洞ミョンドンや市庁シチョンなど)から地下鉄で数駅、駅から徒歩7~8分という地の利の良さと言うのに、広大で自然も多く残り、天気の良い週末ともなれば大学関係者でもない親子連れがお散歩を楽しむ姿が見られる。
これから若葉が芽吹いてきたらきっと美しい姿を見せてくれるだろう。
とりあえず、結果はさて置き、無事に試験が終わったので、
明日は板門店ツアーに。朝10時にロッテホテルを出発の1日ツアーだ。
初めて見る北朝鮮はどんなだろう?
50歳を過ぎて意を決してのソウル延世大学へ語学留学を始めたRIKAさんからの奥様ソウル留学レポートを掲載させていただきます。
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ソウルより 3月25日
昨日これから3ヶ月間過ごすソウルに到着。
インチョン(仁川)空港からお迎えの車に同じ斡旋業者で留学する5人の若い女性に混じっておばさん約一名。
ソウルまでの道中、若者の会話を聞いていたらほとんどが我が息子ほどの年齢。こんなに若い時にお勉強したらどんなに上達するだろうなと、6ヶ月、1年間留学する若者を羨ましく思いつつ、周りの景色をキョロキョロしているうちに滞在地に到着。
ここは韓国ではコシテルと呼ばれるアパートのような、寮のような。
これから通うことになる延世大学からは徒歩5分。京義線の新村(シンチョン)駅のすぐ裏側、
地下鉄の新村駅からは徒歩7から8分の便利なところ。ロケーションは最高。
さて案内されて入った建物自体はさほど新しくはないけれど、一応ちゃんとエレベーターがあり、3階へ。真新しいコシテルが目の前に。
管理人のイ・チョンチョンとか言う(聞いたが忘れた)若い男性が迎え入れてくれていざ自室へ。
わーー、スーツケース置いたらスペースがないじゃん!!が私が心の第一声。
でもシャワー、トイレ、ベッド、テレビ、冷蔵庫、机と椅子がコンパクトに(コンパクトにならざる得ない)据え付けられ、とりあえずとても清潔でセキュリティーもOKということで納得させ、イソイソと荷物の整理。この狭いスペースなのに、結構簡単に荷物が収まり一安心。

自室の他に清潔なキッチンがあり、そこにはいつもご飯とキムチとラーメンが
食べられるようになっている。共用のPC、洗濯機、冷水・温水サーバーも有り、
その他にはアイロンとアイロン台が自由に使えるようになっている。
管理人が(マネージャと呼べとか言ってたっけ?)私のスーツケースをなんとかすると言って預かってくれた。ホッ。
ヤレヤレということで、自室の有線LANでPCをインターネットに接続と思いきや、これがどういう訳だか失敗。先程の管理人のお兄ちゃんに相談したら、すぐ来てくれて、彼にしてみれば慣れない日本語のPCを私のつたない韓国語と彼のつたない英語でやり取りしながら色々試行錯誤。
もう私はまたあとでのんびりやり直そうと思っても、彼は超一生懸命にあーでもない、こうでもないと・・・
彼の粘り勝ちで2時間後にやっと使用可能に。いやあーーー助かった。感謝・感謝。チョンマルカムサムニダ!
これで私の生命線は確保されたとひどく安心したころには、もう外は暗くなり、今夜過ごすのに必要なものだけでも
お買い物をしなくてはと地下鉄シンチョン駅付近をブラブラ。
とりあえず必要な日用品と牛乳・お水・そしてこれが大事な焼酎を買ったら、もう8時近く。朝から機内で出たお弁当と言うにも恥ずかしいような粗末な食事しかしていないのに、空腹感ゼロ。
それでもどこかで何か食べていこうとものすごい数の食堂が並ぶ駅付近をウロウロ。でもなんだか一人でと思ったら、段々気持ちがなえてきて、今夜は自室で焼酎とさっき管理人さんが入居のご挨拶と言って持ってきてくれたあずきの粉をまぶしてあるお餅を夕飯にすることにして帰宅。
バスルームの窓(ここしかない!)から入ってくる空気はなんとなくキムチ臭い。
そのせいか昨夜、夢で自分が電車に乗っていたら「あなた臭いからあっちに行って」と言われ、憤慨したところで目が覚めた。
「このキムチ文化の中にどっぷり漬かったらキムチ臭くなるのでは?」との強迫観念の表れ?
こんな調子で一日目は終了したのです。
つづく・・・・・
旧友のS氏は上海から200km西にある江陰市での大型プラント建設のため現地駐在生活中、彼が日本からのお客様と中国の旅行社の日帰りバスツァーで行った蘇州旅行記が届きました
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3/18日曜日出張応援で来てくれている人と こんどは蘇州に日帰り観光
江陰から蘇州までは1時間半今回もバスの駅で宣伝してた1日観光のバス15元+入場料140元に乗った朝10時から夕方4時半まで45人乗りのバスに22人 当方2人は最後列に陣取って ほとんどわからない観光案内を聞きながら 気楽なバス観光。
寒山寺周辺は11年半前とはまったく変わっていた 寒山寺西側の橋の向こうにあった道路(橋)はない 周辺は駐車場とお土産屋で様変わり鐘楼入場(鐘突き代)は10元(変ってないかも) 一人三発ずつ突いたバス会社が連れて行く物売りはつるんでいるでのでしょうが シルク工場 紫砂の急須屋では誰もなんにも買わなかった 日本人的には何の興味もない復元の塔や城 運河クルーズ(これは悪くない) 昼飯は清潔なレストランという定食屋で5元の1汁4菜に飯 世界遺産石の名園獅子林(日本人の感覚では奇妙の一語)最後に行ったなんとか寺は最高にひどかった 寺のおねえさんのやたら詳しい寺の説明(開山以来1750年の歴史)の後 坊さんのいる建て屋に連れ込まれ 長いこと話聞かされ(ほとんど何も聞き取れない) 自ら 両親 子供の長寿や健康
幸せを望むでしょ ときた これが引っ掛け 当然みんな望みますと答えるこのあと家族ごとにどこかに連れて行かれ 我々バラの人間には一束三本の背丈を上回る巨大線香が渡された どうするのかと思いきや一束130元だという
即プッツン バスが出てしまうもう時間ない まあだいじょうぶですよ いやバスに戻るすぐ行く と大声で喚いて どこの人ですか 日本だ でド坊主はやっと諦めた巨大線香押し返してバスに戻った
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とまだ誰も戻ってきていない かなり待って帰ってきた連中は もう文句たらたら
400元いかれた 2000元(約3万円)いかれた カードでもいいよと言われた
あの太った女性二人連れは8000元(約12万円)いかれてた など
ビタ一銭出さなかったのは我々だけのよう 中国人は面子があるので 一銭も
出さないとは言えないのでしょう とんでもなくひどいぼったくり寺2000元いかれたおばはんが 物売り屋はバス会社とつるんでいる云々 そうでしょ と言ってくるので この寺ともつるんでいるのやろ? と大笑い
今から45年前、1961年1月卒業を間近にひかえた上智大学フランス語専攻のひとりの青年が恩師の教授のベトナムでの出張集中講義のお供のため同級生6人とともに横浜港からマルセイユ行きの汽船に乗り込みました。べトナムでの日程をこなし、帰途、観光気分で陸路カンボジアの首都プノンペンから乗り合いバスで6時間かけて訪れたアンコールワットで青年の人生の大変革が起こってしまいました。
大自然の熱帯雨林の中に悠久の神話と栄華の物語と深い信仰で塗り込められた壮大な建造物群に魅せられ、青年はその場で将来をアンコール研究の道に進むことを決め、そのまま一行と別れ半年以上も現地に居残り、遺跡の調査、修復の研究員となって、カンボジア人の保存官といっしょに、フランス人の保存事務所で働くことになりました。
1970年から始まった内戦の間は外国人の入国も許されず、1975年からの農村重視のポルポト政権は知識人という理由で、かって青年といっしょに研究していた仲間のカンボジア人の保存官のほとんどの36名を殺戮してしまったということを、青年は内戦終結後の1980年カンボジアを再訪した際に知ることになり、志半ばで命をたたれた仲間のカンボジア人保存官の鎮魂の思いでアンコール遺跡の保存、修復することこそ、自分に与えられた天命と思い一生を捧げられることになりました。
その青年こそ、日本のアンコール研究の第一人者で現上智大学学長の石澤 良昭先生です。先生の修復手法はあくまでカンボジアの遺跡(文化)、村落(人間)、森林(自然)を三位一体と考え<国際協力とは人間の協力>との理念のもと遺跡保存活動を通して肌の色、言葉の壁を超越した国境のない人間関係の構築を主眼に進められています。
カンボジア人の誇りであるアンコールの遺跡をカンボジア人での修復、研究者育成支援のため1996年上智大学アジア人材養成研究センターを開設され考古学者、石工の研修育成を始め、日本から鬼と呼ばれた80歳の名人石工 小杉孝行親方の指導の下2001年からアンコール西参道の修復をはじめ連日、ひとつ200kgの石の塊を4メートル人力で積み上げ、しかもその石の間には紙も通さぬいう建造当時の精密な研磨の技術で200mに及ぶ参道修復は今も続いています。
我々上智大学卒業生の仲間とアンコール遺跡、人材研修センターを訪問したのが昨年の10月末、この国境を越えた高遠なプロジェクトの精神に心打たれ
また、石澤先生のこのプロジェクトが政府からではなくあくまで個人の寄付で運営されていることを知り、何とか我々もご協力させていただきたいといっしょに行った仲間と計画、実現したのが今回のアンコールソフィアミッション支援の銀座バザール。
お陰様で商品面でも学外の皆さんにも多大のご協力を得て、連日大盛況のうちに3日間の会期を終え、寄付金額も目標金額に達しました。この場をお借りし、商品協力いただいた皆様、ご来場いただいた皆様(そのなかには、ご多忙の中、お運びいただいたピタウ大司教、石澤学長も・・)に厚く御礼申しあげます。
昨日、寄付をお渡しに石澤学長をお訪ねした際にも先生の静かに淡々と語られるアンコールでの国際交流にかける熱き思いに、人生の浪漫と海外在住の一人として日本人としての誇りを感じました。
アジアを旅していても、確実に地球が壊れていっていることを感じます。
4ヶ月ぶりに訪れたシンガポールでも昔のような太陽がサンサンと照り注ぐ青く澄み切った空が消えてかかっています。
毎年のようにエルニーニョ現象によるインドネシアの相次ぐ山火事の煙がシンガポール、マレーシアの空を薄黒く覆うヘイズ、この煙害は環境問題だけではなく、国民の健康問題にまで波及し、互いの政治不干渉原則のアセアン各国の絆を揺るがしかねないような国際政治問題にまで波及していっています。
国内では世界一喫煙の煙害に厳しいシンガポール政府も上空から国境を越えて進入してくるこの煙害にはお手上げ状態。
タイの度重なる洪水、そして年末年始の低温の異常気象同様,、この2-3ヶ月シンガポールでも100年来(ということは初めて)の長雨現象、あの南国独特の短時間のバケツをひっくり返したようなシャワーではなく、日本の梅雨のようなシトシト、ジトジトの長雨が続いています。
いつも海外からの宿泊客で賑わうシャングリラホテルのプールサイドも人影はまばら・・・
日課のエクササイズのためか朝から雨の中、黙々と泳いでいる老人もいましたが・・(その昔、学生寮で台風の暴風雨の中、外に洗濯物を黙々と干していた先輩もいましたが・・)
それにしてもこの<不都合な真実>は地球をどこまで不都合にしてゆくのでしょうか?
大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中