今から45年前、1961年1月卒業を間近にひかえた上智大学フランス語専攻のひとりの青年が恩師の教授のベトナムでの出張集中講義のお供のため同級生6人とともに横浜港からマルセイユ行きの汽船に乗り込みました。べトナムでの日程をこなし、帰途、観光気分で陸路カンボジアの首都プノンペンから乗り合いバスで6時間かけて訪れたアンコールワットで青年の人生の大変革が起こってしまいました。
大自然の熱帯雨林の中に悠久の神話と栄華の物語と深い信仰で塗り込められた壮大な建造物群に魅せられ、青年はその場で将来をアンコール研究の道に進むことを決め、そのまま一行と別れ半年以上も現地に居残り、遺跡の調査、修復の研究員となって、カンボジア人の保存官といっしょに、フランス人の保存事務所で働くことになりました。
1970年から始まった内戦の間は外国人の入国も許されず、1975年からの農村重視のポルポト政権は知識人という理由で、かって青年といっしょに研究していた仲間のカンボジア人の保存官のほとんどの36名を殺戮してしまったということを、青年は内戦終結後の1980年カンボジアを再訪した際に知ることになり、志半ばで命をたたれた仲間のカンボジア人保存官の鎮魂の思いでアンコール遺跡の保存、修復することこそ、自分に与えられた天命と思い一生を捧げられることになりました。
その青年こそ、日本のアンコール研究の第一人者で現上智大学学長の石澤 良昭先生です。先生の修復手法はあくまでカンボジアの遺跡(文化)、村落(人間)、森林(自然)を三位一体と考え<国際協力とは人間の協力>との理念のもと遺跡保存活動を通して肌の色、言葉の壁を超越した国境のない人間関係の構築を主眼に進められています。
カンボジア人の誇りであるアンコールの遺跡をカンボジア人での修復、研究者育成支援のため1996年上智大学アジア人材養成研究センターを開設され考古学者、石工の研修育成を始め、日本から鬼と呼ばれた80歳の名人石工 小杉孝行親方の指導の下2001年からアンコール西参道の修復をはじめ連日、ひとつ200kgの石の塊を4メートル人力で積み上げ、しかもその石の間には紙も通さぬいう建造当時の精密な研磨の技術で200mに及ぶ参道修復は今も続いています。
我々上智大学卒業生の仲間とアンコール遺跡、人材研修センターを訪問したのが昨年の10月末、この国境を越えた高遠なプロジェクトの精神に心打たれ
また、石澤先生のこのプロジェクトが政府からではなくあくまで個人の寄付で運営されていることを知り、何とか我々もご協力させていただきたいといっしょに行った仲間と計画、実現したのが今回のアンコールソフィアミッション支援の銀座バザール。
お陰様で商品面でも学外の皆さんにも多大のご協力を得て、連日大盛況のうちに3日間の会期を終え、寄付金額も目標金額に達しました。この場をお借りし、商品協力いただいた皆様、ご来場いただいた皆様(そのなかには、ご多忙の中、お運びいただいたピタウ大司教、石澤学長も・・)に厚く御礼申しあげます。
昨日、寄付をお渡しに石澤学長をお訪ねした際にも先生の静かに淡々と語られるアンコールでの国際交流にかける熱き思いに、人生の浪漫と海外在住の一人として日本人としての誇りを感じました。
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大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(?1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中