
50歳を過ぎて意を決してのソウル延世大学へ語学留学を始めたRIKAさんからの奥様ソウル留学レポートを掲載させていただきます。
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ソウルより 3月25日
昨日これから3ヶ月間過ごすソウルに到着。
インチョン(仁川)空港からお迎えの車に同じ斡旋業者で留学する5人の若い女性に混じっておばさん約一名。
ソウルまでの道中、若者の会話を聞いていたらほとんどが我が息子ほどの年齢。こんなに若い時にお勉強したらどんなに上達するだろうなと、6ヶ月、1年間留学する若者を羨ましく思いつつ、周りの景色をキョロキョロしているうちに滞在地に到着。
ここは韓国ではコシテルと呼ばれるアパートのような、寮のような。
これから通うことになる延世大学からは徒歩5分。京義線の新村(シンチョン)駅のすぐ裏側、
地下鉄の新村駅からは徒歩7から8分の便利なところ。ロケーションは最高。
さて案内されて入った建物自体はさほど新しくはないけれど、一応ちゃんとエレベーターがあり、3階へ。真新しいコシテルが目の前に。
管理人のイ・チョンチョンとか言う(聞いたが忘れた)若い男性が迎え入れてくれていざ自室へ。
わーー、スーツケース置いたらスペースがないじゃん!!が私が心の第一声。
でもシャワー、トイレ、ベッド、テレビ、冷蔵庫、机と椅子がコンパクトに(コンパクトにならざる得ない)据え付けられ、とりあえずとても清潔でセキュリティーもOKということで納得させ、イソイソと荷物の整理。この狭いスペースなのに、結構簡単に荷物が収まり一安心。

自室の他に清潔なキッチンがあり、そこにはいつもご飯とキムチとラーメンが
食べられるようになっている。共用のPC、洗濯機、冷水・温水サーバーも有り、
その他にはアイロンとアイロン台が自由に使えるようになっている。
管理人が(マネージャと呼べとか言ってたっけ?)私のスーツケースをなんとかすると言って預かってくれた。ホッ。
ヤレヤレということで、自室の有線LANでPCをインターネットに接続と思いきや、これがどういう訳だか失敗。先程の管理人のお兄ちゃんに相談したら、すぐ来てくれて、彼にしてみれば慣れない日本語のPCを私のつたない韓国語と彼のつたない英語でやり取りしながら色々試行錯誤。
もう私はまたあとでのんびりやり直そうと思っても、彼は超一生懸命にあーでもない、こうでもないと・・・
彼の粘り勝ちで2時間後にやっと使用可能に。いやあーーー助かった。感謝・感謝。チョンマルカムサムニダ!
これで私の生命線は確保されたとひどく安心したころには、もう外は暗くなり、今夜過ごすのに必要なものだけでも
お買い物をしなくてはと地下鉄シンチョン駅付近をブラブラ。
とりあえず必要な日用品と牛乳・お水・そしてこれが大事な焼酎を買ったら、もう8時近く。朝から機内で出たお弁当と言うにも恥ずかしいような粗末な食事しかしていないのに、空腹感ゼロ。
それでもどこかで何か食べていこうとものすごい数の食堂が並ぶ駅付近をウロウロ。でもなんだか一人でと思ったら、段々気持ちがなえてきて、今夜は自室で焼酎とさっき管理人さんが入居のご挨拶と言って持ってきてくれたあずきの粉をまぶしてあるお餅を夕飯にすることにして帰宅。
バスルームの窓(ここしかない!)から入ってくる空気はなんとなくキムチ臭い。
そのせいか昨夜、夢で自分が電車に乗っていたら「あなた臭いからあっちに行って」と言われ、憤慨したところで目が覚めた。
「このキムチ文化の中にどっぷり漬かったらキムチ臭くなるのでは?」との強迫観念の表れ?
こんな調子で一日目は終了したのです。
つづく・・・・・
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大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中