バンコクは地下鉄に乗って

連日立ちくらみしそうな暑さのバンコク、慢性的な交通渋滞、移動に涼しさと快適さを求めるならば地上モノレールBTSか地下鉄が最適、料金も路線バス、タクシーに比べれば割高ですがバンコク市民だけでなく、観光客にも利用されています。

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地下鉄の切符は自動発券機でまず画面で<ENGLISH>を押し、行き先を選びその金額のコインか紙幣を入れると黒いポーカーチップのような丸いプラスティックがでてきてビックリする。このチップを改札機のパネルに当てるとドアが開くという優れもの、開業2年、その間車両事故もあり、しばし休業期間もあったりしてまだまだ利用客は少なくゆったりとしかも渋滞なく市内移動ができます。

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車内には高齢者、妊婦 子供(?)そしてタイらしく僧侶に席をゆずりましょうとの
表示あり、東南アジアの地下鉄にはキオスクもなく車内の飲食禁止また構内にはトイレがないので念のため・・・

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目的地に付いたらチップ改札機の表示の穴に入れるとドアが開き、無事脱出完了できます。

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現在1路線の18駅のみで移動範囲は限られていますが、一味違ったバンコクウォッチングにお勧めのコースです。

投稿者: otaku 日時: 09:05 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

香港 ラプソディ

たとえば、香港に来られる機会があり、たとえば夜フリーの時間がとれるとすれば、夕食の時間を少し早めに6時ごろからにするか、少し遅めに9時ごろからにして是非是非午後8時にビクトリアハーバーのハーバークルーズに乗られるか、九龍半島の先端のプロムナードへ行かれシンフォニー オブ ライトをご覧になることをお奨めします。
毎晩8時から海峡を挟む香港摩天楼の33の超高層ビルの外壁に点灯するネオンとそこから放つレーザービームの七色の光が海峡に響く大音響のリズムに乗せて夜空に躍動する音と光の20分間の一大ページェントが繰り広げられます。その光が海峡に反射し空海一体になった百万ドルの夜景香港ならではのショーでなんと観覧無料。

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20分間のショーの後は対岸の夜景を見ながら、恋人どうしでも新婚カップルでもシルバーカップルでも愛人どうしでも男どうしでも女どうしでもこの最高にロマンチックな情景の中、愛を語らいながらしばし歩き、とどめは僕のいきつけのインターコンチネンタル ホテルのロビーバーでのおしゃれなドリンクでことは決まり・・・

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なじみのボーイにいつものようにチップを握らせ、ウィンドウサイドの席に案内してもらう、相手は眼前に広がる星屑をちりばめたような夜景に思わずうっとり
生バンドが甘くせつないブルースを奏で、ボーイにおもむろにオーダー 

「いつものを2つ・・・」
「・・・・・・」 
しばしの沈黙  
「エックキューズミー サー いつものって何でございますか??」
「・・・・・・」
遠くで霧笛がボー・・・・・・

投稿者: otaku 日時: 11:04 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

タイ日本食事情

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4月11日ー17日ソンクラン(水ぶっかけ祭り)期間の交通事故(主に酔っ払い運転による)の死者は361人(昨年375人)負傷者は4805人(昨年4726人)
と死傷者がでるのが当然のように発表され今年も命がけの祭りも終え、バンコクはいつものむせ返るような暑さと喧騒の街に戻っています。

その体感気温40度もあろうかという暑さの中、我々外国人は外に出ただけで汗が吹き出てくるというのに、タイ人は汗もかかずに平然としているのも不思議なことですが・・

タイのシンクタンクKRCの発表によればタイ国内には現在約660店の日本料理店があり(海外ではアメリカ、中国、韓国、台湾に次ぐ軒数)前年比10~15%の売り上げの伸びを記録しているとか・・・
特に日本人居住区のスクンビット通り一帯とか、大型ショッピングセンターには数多くの日本レストランがあり、日本人のみならずタイ人でいつも賑わっています。
今までは現地滞在の日本人、タイ人経営の店がほとんどでしたが、最近は日本のレストランチェーンも進出し、大戸屋は進出2年にしてすでに11店舗、僕は日本の大戸屋を知りませんでしたが、大戸屋ファンの家人に言わせればメニュー、味は日本と同じ、価格は7掛け、スペースは広く、従業員は多く、サービスもよく、食材も日本以上に美味しいものもありと大好評で益々多店舗化する様相です。

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また最近初上陸のモスバーガーも早くも行列ができ、すでに現地で根付いているアメリカ資本のファーストフードとの熾烈な商戦が予想されます。

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今一番の話題の日本食店は現地資本<おいしい>の経営する<SHABU SHI>まさにしゃぶしゃぶと寿司のフュージョン店、従来の回転寿司のベルトに寿司としゃぶしゃぶの食材が皿に乗って流れ、各テーブルにはしゃぶしゃぶの鍋が埋め込まれていて、客はしゃぶしゃぶと寿司をいっしょに楽しめるという日本人では思いつかないアイデアがあたり、いつもタイ人客で超満員です。

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その昔、タイの日本食といえば米はタイ米で独特の香りが残り、調味料も限定されていてお世辞にも美味しいといえるものではありませんでしたが、昨今、タイ国内で日本米も調味料も日本野菜も生産されるようになり、新鮮な寒流魚貝類を望まなければ日本よりも安く広い座席でゆっくりと、行き届いたタイ人のサービスを受けながら日本食を楽しめるようになってきました。

益々日本食ブームが多様化し過熱していくタイでは日本人にとってゴルフ、マッサージに次いで日本食でもパラダイスになりつつあります。

投稿者: otaku 日時: 12:46 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

ずぶ濡れ狂乱のチェンマイより

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鮮やかなサフラン色のタイ国花 ゴールデンシャワーと紅に燃える火炎樹が満開のタイ、チェンマイでいよいよタイ正月 ソンクランが13日から始まり、多くの国内外からの観光客も加わり街は例年通りの盛り上がりを見せています。
インド暦で太陽が白羊宮に入る4月13日ー15日のこの季節は飛ぶ鳥も暑さで落下するといわれるほどの盛夏に祝われるソンクラン(水掛祭り)
本来は人々は捧げ物を持ってお寺に参り仏像に水をかけお祈りするところからの慣わしらしいのですが、今や水をぶっ掛けあう祭事として有名になってしまいました。このソンクラン期間のバカ騒ぎで有名になってしまったここチェンマイでは街のそこかしこで朝早くから夜遅くまで大音量スピーカーからタイ歌謡が流れ昼間からビールや安ウィスキーで酔っ払ってラリッた男女が道端で踊り、通り行く人や車に嬌声を発しながら水をぶっかけ狂乱の祭りが始まり、街中がトランス状態(?)に突入しています。

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とりわけ旧市街を取り囲むお堀の界隈は祭りのメッカ、通りにはステージが組まれ、スポンサーによる派手場なキャンペーンイベントがが行われていたり、携帯防水用ビニールホルダーが配られていたり、水掛け用の水鉄砲やリカちゃんバケツを売る屋台、露店が並び、タイ人のみならず観光客、老若男女、犬,猫まで集い、お堀の水を汲みだしてはひたすらぶっかけ続ける。
女の子のグループは男たちの格好の標的になりあちこちからバケツや水鉄砲で手洗い洗礼を受け、髪の毛もビシャビシャ、下着もくっきり状態、それでもやる方もやられる方もキャッッキャ、キャッッキャと奇声をあげて楽しんでいる。

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通りは恋人や家族を3乗せたモーターバイクや荷台に箱乗りした多くの若者や水一杯のタンクを乗せたトラックからも水が激しく飛び交い超交通渋滞状態になり、通り一帯は人も店も車もグシャグシャ状態,そんな中で水浸しの中で悠然とソーセージを焼くおばちゃんがいたり、トラックの荷台でお堀の決してきれいでない水をぶっ掛けられながらひたすらとうもろこしをほおばり続ける少年がいたり、まさしくマイペンライ(気にしない、気にしない)の国民性のタイ民族の祭りです。

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毎年この奇祭を知らないで道を歩いていたらいきなり水をぶっ掛けられ、怒り心頭に達して警察に駆け込む外国人後を絶ちませんが「濡れるののがいやならソンクランの期間は外出しないように」 と諭されるのが関の山、もし、このソンクランの期間のタイ滞在されるならば、財布、携帯、パスポートなどは防水ケースに入れて水浸し覚悟の服装でこの祭りを大いに楽しんでください。

 

投稿者: otaku 日時: 11:03 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

RIKA さんのソウル留学レポート NO4

50歳を過ぎてから、ソウル延世大学へハングルの語学留学に挑戦中のRIKAさんの留学体験レポートNO4転載,させていただきます。
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ソウルより   2007年4月13日

延世大学韓国語学堂の授業が始まって早いもので2週間が過ぎた。と言うか、勉強に追われているうちに日記を更新する時間もなく、あっという間に2回目の花の金曜日が来た。

先週の週末(4月8日)はソウルの桜が満開で、今を逃してはとしばし勉強から逃れて桜の名所ヨイドへ行った。特に素晴らしい桜並木でもないここ、ヨイナル(ヨイドの一つ手前の駅)付近、でも地下鉄の駅はものすごい人・人・人。(他に娯楽がないのか?)

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駅のトイレで列に並んで私の番になった時にアジュンマ(おばさん)が突然割り込んできた。“チョギヨ! ヨギソ キダリセヨ!!”「ちょっと ここで待ってくださいよ!」とその人の手をつかんで叫んだ!だって、その前日にもパンやさんの会計で並んでいたら前に割り込んできたアジュンマがいて、かなり頭にきていたのダ!
日本にもお行儀よく待てない人がいるが、韓国にも・・・ここでぐっと言葉を飲み込む。ヤレヤレ

でも、この日は久々にポカポカ陽気で漢江(ハンガン)沿いでやっと訪れた春を満喫したい人々の気持ちもわかるような気がした。今週、クラスの先生が「ヨイドの桜もいいけれど、キャンパスの桜もきれいよ」とおっしゃったので、そう言えばいつも韓国語学堂が近い裏門から出入りしていて、しばらく正門方面に行ってなかったと久しぶりに放課後キャンパス内を散策した。
前回、写真を撮ったときには見られなかった“春”が目の前に広がっていた。
灯台下暗し。

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桜の木下でスーパーマンやバットマンの格好をして学生がイースターエッグを配っていた。(実は教会の勧誘なのだが。こちらはひどく熱心。要注意!)一日の授業が終わった開放感とキャンパス内の輝く春の風景にしばし幸せな気分に浸った。

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前回、私のクラスが2級だったと報告したら、心温かい友人何人かから“すごいですね!”とのコメントが届いた。その有難いお言葉に熨斗紙をつけてお返ししなければ。韓国では日本と違い、程度が低いほうから1級→2級→・・・6級と言う具合になる。と言うことで、私は単なる初級にちょっと毛の生えた2級。クラスは12名で、私のクラスはチト日本人が多く6名。他はアメリカ人2名、中国人3名、そしてモンゴル人1名(この男の子がなかなか格好いい)。年齢は18歳から私の下は既婚のアメリカ人男性33歳。ほとんどが20歳前後の若者達である。この年齢になって自分の子供よりも若い人と机を並べて勉強することになるなんて、でも不思議と違和感なし。(私の一方的な気持ち)
こんなオバサンでもお勉強では負けないぞ!!

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担任の先生はパク・エリム先生。↓ とても姿も美しく韓国語も美しい。
パク先生は主にDialogの教科書の単語・文型・応用のWritingを担当。
その他に毎日ラボ教室で30分程度Dialogと応用のリスニング練習。
(色々な先生が日替わりで担当)

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そしてもう一人読解担当の先生が1時間Readingの授業をする。
授業はすべて韓国語で行われる。授業初日は一生懸命耳をダンボにして
先生の言葉を聞き取るのに夢中。でも1週間終わる頃には自然に耳に入ってくるようになった。(先生が分かり易く話してくださるからだろうけど・・・)
いやはや、この歳になっても人間って順応する力が残っているもんだなあーと
一人で感心することしきり。流石に韓国語教育では歴史が長い語学堂だけあり、授業の進め方が実に良く研究されており、そして何より先生方の説明が実に分かり易い。教科書の内容を見るだけだと今まで自分がすでに学んだ事がかなり多く、ちょっと足踏みかなと思うが、いざ先生の説明にかかると一つ一つの単語、文型が霧が晴れたようにはっきり理解できるのには驚き。素晴らしい!!

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こんな調子なので朝9時から午後1時迄の授業はあっという間に終わってしまう。友人とランチを食べて、さてお部屋に帰ってのんびり・・・としたい所だが、
そうは問屋がおろさない。その日学んだ新しい単語や文型の例文をそれぞれ
いくつかずつノートに書き、翌日提出するのが毎日課せられる宿題。
それ以外にもスピーチなどの課題が出される。宿題が終わると4冊ある教科書の予習が。これも結構な量。何しろ毎日すごいスピードで進んでいくので。

学校の授業に加えて放課後に延世大学韓国人学生の中で日本語を学びたい学生に日本語を教える代わりに韓国語を教えてもらうエクスチェンジというシステムがあり、私も希望したものの数に制限があり、じゃんけんで負けた私は没に。なのでなんとか韓国語を話す機会を作らなければと、このコシテルの管理人のお兄ちゃん(あの親切な李さん)に「誰かいないか?」と聞いたら“ネガ ハルッコエヨ”「私がやってあげますよ」と言ってくれ、ほとんど毎日1時間~1時間半程、授業の復習や雑談をしてもらったり。タダではあまりに申し訳なくて「アルバイトでやってくれないか?」と言ったが“サービス”なんて言われてしまったので、
本日、現代百貨店でビールの味がするビール・バドワイザー(韓国のビールは味が薄くて呑んだ気がしない)をソンムル(プレゼント)として進呈。6本渡したらその中の1本を取って、“これはリカッシ(RIKA氏)に”と言ったけど、もちろん私のもイッソヨ!(ありますよ!)

    ↓ネッコ(私の)
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3時頃から机に向かっても、宿題・予習・李先生とのお勉強で夕食までに終わらないことがほとんど。コシテルの友人とせっかくサムギョプサル(豚の三枚肉の焼肉←ひどく美味)を夕食に食べに行っても焼酎はお預け!ガマン!
お部屋でやっとお勉強が終わってからのナイトキャップが唯一の楽しみの今日この頃。
さあ、今夜は花の金曜日なので心置きなく飲もうっと。 

投稿者: otaku 日時: 12:09 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

タイ料理のエッセンス

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タイ料理味の3要素は<辛い><甘い><酸っぱい>町の食堂のテーブルには必ず画像のような4つの入れ物がセットになた調味料入れがおいてあり、それぞれナンプラー(魚醤)、唐辛子、砂糖、酢が入っていてタイ人は料理が出てくると味見もせずに、この4つの調味料をスプーンで入れ始めます。

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カオトム(おかゆ)、カオパット(チャーハン)、バーミンナム(ラーメン)にもこのナンプラー(魚醤:日本のしょっつる)を入れるとそのナンプラー単体の発酵臭さからは想像できないほどの魚の旨味のエッセンスが料理全体に拡がりタイ料理にはかかせない調味料ひとつです。

また、タイ料理にはマナオと呼ばれるライムもかかせません、スダチに似た大きさで柑橘系のさわやかな酸っぱさは南国の暑さを癒してくれます。
チャーハンにも、焼きそばにも世界3大スープといわれるトムヤムクンにも必ず絞って入れる一品で、特にメコンなどの安いタイウィスキーもソーダーで割り、氷をぶち込みこのマナオをギューギュウー絞っていれると絶品のトロピカルハイボールになり、夜風に吹かれながら何倍でも飲んでしまいます。

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タイ料理での要注意は唐辛子、特にねずみのウンコと呼ばれるブリックキーヌという小唐辛子、辛さに慣れない日本人がこれを一粒でも口にしていまうと口中、火を吹いたようにしびれてその後の食事の味が判らなくなってしまうほど、あわてて水を飲んだり、氷で冷やしたりしても効果なしむしろ、もち米などのご飯や、果物を食べたほうが辛さは幾分和らぐ感じがします。

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また、この唐辛子、口だけでなく事後 お尻のほうでも火を吹く感覚になる可能性もあるので、その病のある方は特に要注意です。

投稿者: otaku 日時: 12:12 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

トロピカルフルーツ

ソンクラン(タイ正月 水掛け祭り)を今週末にひかえた酷熱のバンコクです。
バンコク市内では市内の街路樹に混じって日本の桜よりは大振りの花びらの南洋桜が遠めには日本の満開の桜と見紛うばかりの鮮やかなピンクの花を咲かせています。

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タイは今が真夏、連日35度を突破する酷暑が続いて、じっとしていても汗が吹き出てくる感じです。この真夏はまたフルーツの季節でもあり、街角にはいたるところで果物売りの屋台が店を出し、色鮮やかなトロピカルフルーツを並べています。

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果物の王様といわれるドリアンもこれからがシーズン、そのえも言われぬ臭さゆえ一般ホテルや乗り物へ持ち込みは厳禁、スーパーでカットされたドリアンをラップで何重にもパックして冷蔵庫にいれておいてもいっしょに入れておいた野菜やアイスクリームまでに臭いが感染するという代物、また発酵性が強いためかアルコールといっしょに食べると死ぬいわれていて半信半疑でいましたが数年前、香港でよく行く食堂のおばちゃんが突然死し、部屋にはブランデーの空き瓶と食べかけのドリアンが残っていたとか、それでも東南アジアの人たちにとってはドリアンは最高の果物であることは間違いなく、命がけでも食べたくなるようです。僕の長年の経験では日本人で初めてドリアンを食べられる人は20人に一人くらい・・?中にはそのままドリアン狂いになってしまう人もいますが・・・

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見た目の異様さではうににパーマをあてたような、虎の●玉といわれているランブータン(もっとも虎のものをまじまじと見たことがないのでなんともコメントはできませんが)見た目とは違い爪をたてて皮をむくと乳白色のジュゥシー果肉が現れ、南国ならではの美味な果物です。

そして今(4月~6月)、タイでの一押しはマンゴ、露店でもスーパーででも売られ,タイレストランでもこの季節、甘くしたたるような完熟マンゴはタイ料理の食後の辛さを中和させるデザートには最適です。

もし、この季節東南アジアを旅行される機会があれば是非日本ではみかけないトロピカルフルーツをトライされることをお勧めします。

投稿者: otaku 日時: 16:39 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

RIKAさんのソウルレポートNO3

RIKAさんの奥様ソウル留学体験レポートNO3転載させていただきます。

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ソウルより   2007年4月3日

ソウルは一昨日天気予報通り黄砂が舞った。
この時期日本では花粉予防のマスクをする人が目立つが、ここソウルでは
花粉症はあまり騒がれていないようだ。こちらの人に聞くところによると、
韓国人は発酵する食物をよく摂取しているので免疫力が高く、花粉なんてへっちゃらとか?これもキムチパワー?
そんなソウルっ子も黄砂にはやはりマスク。
地下鉄の中でおじさんが売り歩く姿も見られた。

   ↓黄砂で霞む江南(カンナム)地区の狎鷗亭(アップジョン)付近
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今日はこのあたりの桜も八部咲きだと言うのに、朝の気温は2度、
学校の授業が終わって外に出たら冷たい風邪が吹き、そのうちにみぞれが降り出した。ソウルの春はもう少しお預けらしい。

             
3月29日、以前から訪れてみたかった非武装地帯へのツアーに参加した。
たまたまこの日は学校の予定もなく、私にとっては都合が良かったのだが、
参加した人に聞いたらこの日をはさんで前後とも満席で予約が入れられなかったとか。
日本人の観光客には人気のコース、私も負けずにミーハーか?
最初に案内されたソウルからバスで40分ほどの
오두산통일전망대(オードゥサン統一展望台)は南を流れる漢江(ハンガン)と
北を流れる臨津河(イムジン河)が合流する地点に有り、晴れた日には北朝鮮を見ることができる。この日は生憎お天気が悪く霞んで見る事が出来なかった。

       ↓漢江とイムジン河が合流する地点
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ここでは脱北者が生々しい体験談を交えながら北朝鮮の生活を紹介してくれた。現在、韓国に亡命した脱北者は1万人、そして北から脱出を果たし、その他の近隣国で韓国への亡命のチャンスを待っている人は35万人いる。彼女も中国にいる知り合いを頼り、ブローカーに100万ウォン(日本円で13万円程度)を払い、命懸けで中国へ。その後中国で3年半もの間、苦しい生活に耐えながら亡命のチャンスを待った。北では1ヶ月の収入が2000~3000ウォンでお米を
3キロも買ったらなくなる程度のもの。中国人の知り合いの手助けで100万ウォン払うことが出来た彼女はかなり恵まれた例かもしれない。

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ピョンヤンは外国人に見せるために作られた都市で、そこに住める人は一握りの特権階級。ピョンヤン市民には特別な証明書が発行されるが、そんな特別扱いの人々も障害を持った子供が生まれればすぐに地方に追放されると聞いた。
徹底して都合の悪いものには蓋をする北の体質そのもの。
この展望台の建物内には北の小学校の教室、民家の内部などが再現されており、中央に飾られている金日成、金正日の写真が印象的だった。彼女の説明がすべて終わった後、参加者から様々な質問が寄せられた。

「ご苦労されましたが、今は幸せですか?」
『はい、同じ脱北者の男性と韓国で知り合い、結婚、子供にも恵まれ、 今は幸せです。北に残してきた家族が気掛かりですが。』

「北からの圧力で身の危険を感じることはありませんか?」
『脱北者が1万人を超えた今はあまりそれは感じませんが、このように人前で脱北者だと語ることは勇気がいることです。』

「南の太陽政策はどのように思われますか?」
『韓国に亡命した当時は素晴らしい政策だと思っていましたが、 結局、援助は一般市民には行き渡らず、金正日の力を助成することにしかならないことに気が付き、今では反対しています。』

不幸な南北分断の現実を見せ付けられ、なんとも暗い気持ちで次の目的地・板門店へ。板門店(共同警備区域JSA)はソウルから西北に62km、北朝鮮の平壌から南に215km、開城市からは10kmの地点にあり、非武装地帯の中で韓国人が行くことが出来る最北端の場所である。
第二次世界大戦後の東西対立を象徴する1950年6月に始まった朝鮮戦争
(韓国では韓国戦争と呼ばれる)は当初は北朝鮮軍と韓国軍によるものであったが、のちに米軍をはじめとする国連軍や中国軍まで参戦、1953年7月27日に停戦協定が成立したが、その結果朝鮮半島(韓国では韓半島)の南北分裂が決定となった。
休戦協定の締結と共に作られた非武装地帯は韓国と北朝鮮の軍事境界線(西方の漢江入り口の橋洞島から開城、南方の板門店を通って中部の鉄原、金和を過ぎて江原道高城郡の名呼里にいたる248kmが朝鮮半島を横切っている)に沿って南と北それぞれ幅2km、計4kmを武装無しにあらゆる軍事行為及び敵対行為を一切中止する緩衝地帯である。

まずバスが非武装地帯に入ると国連軍司司令部最前方基地であるキャンプボニパスで国連軍によって用意された軍司専用バスに乗り換え、見学者は全員ブリーフィングを受け、その際には軍事境界線を越えて北朝鮮軍の管理する総合警備地域へは立ち入らない、万が一敵の行動によって危害を受け、また死亡するなどの有事があっても責任を追及しないなどの宣言書にサインを要求される。この場所に入る為には穴の開いたジーンズは禁止(北朝鮮の軍人はジーンズを米国を象徴する服装として見ることから、不用意に彼らを挑発しないため)、その他、事件が起きたときに国連軍の支持に従って敏速に行動することを妨げるミニスカートやサンダルなどの着用が禁止されている。
ブリーフィング後、いよいよバスは非武装地帯内の南側にある
大成洞「自由の村」(戦争以前から住み続けている原住民の村で現在約230名が農業を営みながら、韓国政府より兵役免除、税金免除などの特別待遇を受け豊かに生活している。)を左手に見ながら板門店へ

この共同警備区域(JSA)は前後左右の距離がわずか800mにすぎない狭い空間で、南北双方の行政管轄権の圏外にある特殊な地域である。

ブルーの建物が軍司停戦委員会の会談場

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↓境界線沿いにある北朝鮮の見張り小屋(左手に北朝鮮兵士が立っている)

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軍司停戦委員会の会談場は南北の境界線上に建てられ、建物内部においては境界線をまたがり実際には北朝鮮側に立つことが出来る。

下の写真の会議テーブルの中央が境界線である。
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建物外部で警備する国連軍兵士↓
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この軍事停戦委員会の会談場の前を通過し、小高い丘に登ると
休戦協定後、戦争の捕虜交換が行われた「帰らざる橋」(捕虜達が一度どちらの方向に行くかを決めたなら、二度と帰ることが出来なくなることから名づけられた)、そして1,8km先の北朝鮮の気静洞「宣伝村」(キジョンドン村)を一望することができる。

帰らざる橋
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この橋をまたがり、南北の兵士の友情と悲劇を描いた悲しい物語の韓国映画「JSA」を思い出さずにはいられない。

気静洞
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この気静洞は以前は偵察兵士以外の民間人は誰も住んでいなかったが、ここ何年かは実際に住民がいるとのこと。暖房用に木を燃やすためか、北朝鮮側には重要な軍事施設の周りを除きまったく樹木がない。初めて目にする北朝鮮の地は寒々しく荒涼としていた。あの中でどんなに不条理なことが繰り返されているのだろうか?たった1,8kmのこの差は何なのだろう?

非武装地帯内の見学にはすべてバスに国連軍兵士が同乗し、バスの前には武装した兵士が乗るジープが護衛のために先導する。この板門店を訪れる韓国人は特別な申請をし、3ヶ月後に許可が下りた者のみで、しかも子供を置いて北に亡命できないように夫婦での参加は認められていないとのこと。
このようなことを聞くにつけ、常に緊張状態が続いていることを実感させられる。同じ民族でありながら、同じ家族でありながら南北に分かれて生きる悲劇。
脱北者の話から推測する北朝鮮の悲惨な実態、益々広がる南北の格差。
彼らが抱えるこれらの痛み。韓国人を理解する上でやはりこの事実から
目を逸らせてはならないと自分に言い聞かせながら板門店を後にした。

余談だが、非武装地帯に勤務を命ぜられる韓国兵は身長175センチ以上のエリート中のエリートとか?どおりで私が乗ったバスに同乗した兵士もすぐにでも映画俳優になれそうな凛々しいお方だった。ソウルの地下鉄内ではなかなかお目にかかれない。

さて、板門店ツアーの翌日はいよいよ延世大学韓国語学堂のクラス分け発表と
オリエンテーション。1級から上級は6級まで、1クラス約12名ごとに名前が書かれた紙。ありました。2級でした。
初級と中級の中間といった位置づけ。まあ、自分なりに妥当かな?と納得。
(後日、実際に授業がスタートしてみて、なかなか身の丈にあったよいクラスと感謝・感謝)
オリエンテーションはまず全員が一同に集まり教授陣の紹介の後、英語・日本語・中国語に分かれて細かい説明を受けた。

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延世大学の韓国語学堂の歴史、学生の実際の生活などを口頭とビデオで紹介された。若者の中に混じって受けるこれから始まる10週間の授業に胸を躍らせる私であった。

さてさて、実際の授業の様子は次回に!!  

投稿者: otaku 日時: 09:59 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

香港的遊歩道

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東京の満開の桜もかろうじて観ることができ、3月31日の深夜香港に帰国し、、
やっと日本の花粉症からも寒さからも解放され、心身ともにアジアモードに転換し、昨日の日曜日、家人と香港でお気に入りの散歩コースへ出かけ新緑の英気を胸いっぱい吸いながらのウォーキング、夜はこれまた広東海鮮料理をいつも行く近所の金賞受賞レストラン、太湖海鮮城でむしゃぶり食って久々の香港休日ライフを満喫しました。

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もし、香港に来られる機会があり2時間フリーな時間があればお奨めの一押しスポットがこの僕のお気に入りの散歩コース MORING TRAILです。
香港島の観光客のメッカ、ケーブルカーで登る展望台のピークの近くからスタートする一周2.7kmの亜熱帯林を抜けての遊歩道で、歩くにつれてはるか東シナ海、摩天楼にはさまれたビクトリアハーバーが眼下に広がり、きれいに整備された小道にはそこかしこに可憐なトロピカルフラワーが咲き絶景を眺望しながら贅沢な森林浴を楽しめます。

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そしてウォーキングの後は老舗のピーク カフェで一休み・・・僕は生ビールをグビ飲み・・・

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特に昨日のような週末には、このコースは地元の香港人や香港在住の外国人にとっても香港島の住いから至近で絶好のハイキングコースになり、

家族連れや老夫婦、恋人どうし、それぞれのスタイルでジョギング、ウォーキングを楽しむ人たちをウォッチングしていても飽きないコースです。

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めまぐるしく躍動する喧騒の香港金融街セントラルからケーブルカーで10分、パノラミックな静寂の自然の世界が広がっています

投稿者: otaku 日時: 16:47 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

主宰者プロフィール

ガチャマンダオーナー

大宅 一裕
(おおたく かずひろ)

1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)

1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)

1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)

1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)

1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(?1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)

1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる

2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中

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