RIKA さんのソウル留学レポート NO4

50歳を過ぎてから、ソウル延世大学へハングルの語学留学に挑戦中のRIKAさんの留学体験レポートNO4転載,させていただきます。
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ソウルより   2007年4月13日

延世大学韓国語学堂の授業が始まって早いもので2週間が過ぎた。と言うか、勉強に追われているうちに日記を更新する時間もなく、あっという間に2回目の花の金曜日が来た。

先週の週末(4月8日)はソウルの桜が満開で、今を逃してはとしばし勉強から逃れて桜の名所ヨイドへ行った。特に素晴らしい桜並木でもないここ、ヨイナル(ヨイドの一つ手前の駅)付近、でも地下鉄の駅はものすごい人・人・人。(他に娯楽がないのか?)

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駅のトイレで列に並んで私の番になった時にアジュンマ(おばさん)が突然割り込んできた。“チョギヨ! ヨギソ キダリセヨ!!”「ちょっと ここで待ってくださいよ!」とその人の手をつかんで叫んだ!だって、その前日にもパンやさんの会計で並んでいたら前に割り込んできたアジュンマがいて、かなり頭にきていたのダ!
日本にもお行儀よく待てない人がいるが、韓国にも・・・ここでぐっと言葉を飲み込む。ヤレヤレ

でも、この日は久々にポカポカ陽気で漢江(ハンガン)沿いでやっと訪れた春を満喫したい人々の気持ちもわかるような気がした。今週、クラスの先生が「ヨイドの桜もいいけれど、キャンパスの桜もきれいよ」とおっしゃったので、そう言えばいつも韓国語学堂が近い裏門から出入りしていて、しばらく正門方面に行ってなかったと久しぶりに放課後キャンパス内を散策した。
前回、写真を撮ったときには見られなかった“春”が目の前に広がっていた。
灯台下暗し。

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桜の木下でスーパーマンやバットマンの格好をして学生がイースターエッグを配っていた。(実は教会の勧誘なのだが。こちらはひどく熱心。要注意!)一日の授業が終わった開放感とキャンパス内の輝く春の風景にしばし幸せな気分に浸った。

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前回、私のクラスが2級だったと報告したら、心温かい友人何人かから“すごいですね!”とのコメントが届いた。その有難いお言葉に熨斗紙をつけてお返ししなければ。韓国では日本と違い、程度が低いほうから1級→2級→・・・6級と言う具合になる。と言うことで、私は単なる初級にちょっと毛の生えた2級。クラスは12名で、私のクラスはチト日本人が多く6名。他はアメリカ人2名、中国人3名、そしてモンゴル人1名(この男の子がなかなか格好いい)。年齢は18歳から私の下は既婚のアメリカ人男性33歳。ほとんどが20歳前後の若者達である。この年齢になって自分の子供よりも若い人と机を並べて勉強することになるなんて、でも不思議と違和感なし。(私の一方的な気持ち)
こんなオバサンでもお勉強では負けないぞ!!

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担任の先生はパク・エリム先生。↓ とても姿も美しく韓国語も美しい。
パク先生は主にDialogの教科書の単語・文型・応用のWritingを担当。
その他に毎日ラボ教室で30分程度Dialogと応用のリスニング練習。
(色々な先生が日替わりで担当)

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そしてもう一人読解担当の先生が1時間Readingの授業をする。
授業はすべて韓国語で行われる。授業初日は一生懸命耳をダンボにして
先生の言葉を聞き取るのに夢中。でも1週間終わる頃には自然に耳に入ってくるようになった。(先生が分かり易く話してくださるからだろうけど・・・)
いやはや、この歳になっても人間って順応する力が残っているもんだなあーと
一人で感心することしきり。流石に韓国語教育では歴史が長い語学堂だけあり、授業の進め方が実に良く研究されており、そして何より先生方の説明が実に分かり易い。教科書の内容を見るだけだと今まで自分がすでに学んだ事がかなり多く、ちょっと足踏みかなと思うが、いざ先生の説明にかかると一つ一つの単語、文型が霧が晴れたようにはっきり理解できるのには驚き。素晴らしい!!

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こんな調子なので朝9時から午後1時迄の授業はあっという間に終わってしまう。友人とランチを食べて、さてお部屋に帰ってのんびり・・・としたい所だが、
そうは問屋がおろさない。その日学んだ新しい単語や文型の例文をそれぞれ
いくつかずつノートに書き、翌日提出するのが毎日課せられる宿題。
それ以外にもスピーチなどの課題が出される。宿題が終わると4冊ある教科書の予習が。これも結構な量。何しろ毎日すごいスピードで進んでいくので。

学校の授業に加えて放課後に延世大学韓国人学生の中で日本語を学びたい学生に日本語を教える代わりに韓国語を教えてもらうエクスチェンジというシステムがあり、私も希望したものの数に制限があり、じゃんけんで負けた私は没に。なのでなんとか韓国語を話す機会を作らなければと、このコシテルの管理人のお兄ちゃん(あの親切な李さん)に「誰かいないか?」と聞いたら“ネガ ハルッコエヨ”「私がやってあげますよ」と言ってくれ、ほとんど毎日1時間~1時間半程、授業の復習や雑談をしてもらったり。タダではあまりに申し訳なくて「アルバイトでやってくれないか?」と言ったが“サービス”なんて言われてしまったので、
本日、現代百貨店でビールの味がするビール・バドワイザー(韓国のビールは味が薄くて呑んだ気がしない)をソンムル(プレゼント)として進呈。6本渡したらその中の1本を取って、“これはリカッシ(RIKA氏)に”と言ったけど、もちろん私のもイッソヨ!(ありますよ!)

    ↓ネッコ(私の)
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3時頃から机に向かっても、宿題・予習・李先生とのお勉強で夕食までに終わらないことがほとんど。コシテルの友人とせっかくサムギョプサル(豚の三枚肉の焼肉←ひどく美味)を夕食に食べに行っても焼酎はお預け!ガマン!
お部屋でやっとお勉強が終わってからのナイトキャップが唯一の楽しみの今日この頃。
さあ、今夜は花の金曜日なので心置きなく飲もうっと。 

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世界からの便り

主宰者プロフィール

ガチャマンダオーナー

大宅 一裕
(おおたく かずひろ)

1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)

1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)

1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)

1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)

1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)

1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる

2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中