東京通勤事情

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梅雨入りの紫陽花咲き零れる6月の東京でつかの間,滞在しています。
帰国便、香港ー成田間のANAの機内で観たインフライトムービーは<それでもボクはやってない>機内誌によれば

『Shall We ダンス?』の周防正行監督が、11年ぶりにメガホンを取った本格的な社会派ドラマ。
満員電車で痴漢に間違えられた青年が、“裁判”で自分の無実を訴えながらも有罪となってしまうという日本の裁判制度の問題点を浮き彫りにした作品

こんな不条理なことが現実にあるのかなと水割りをぐびぐびやりながら観ていました。

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過日家人と新宿から乗った小田急線、折りしも夕方のラッシュアワーと重なり、久々に経験するスシ詰め満員電車、
携帯か何かをバッグから取り出そうとごそごそやっている家人に、ワンレンのOLが振り向きざまに
「さっきから手があたるんですけど!」とはきすてるような思いもよらぬセリフに家人も仰天・・・

思わず映画のシーンを思い出してしましまうような光景、これがもし、僕が真後ろにいて痴漢呼ばわりされたら思うとぞっとしました。

発展途上国で1日に数本しか電車が通らないアフリカやアジアの国ならともかく、世界の経済大国日本で首都圏のこのスシ詰めのラッシュアワーの
状況はどう見ても異常。律儀にも3分おきにキチンと次から次へやってくるい電車に後ろから押されながらギュウギュウに詰め込まれての出勤は家畜並(?)

こんな中で、期せずして廻りの女性のどこかお気に召さぬ個所に接触したからといって痴漢よばわりされてはいい迷惑、

疑われぬように両手を挙げて乗ったらといわれても数分間ならともかく拷問のようにいつまでも万歳ポーズをやり通せるものではないでしょ。

かって香港から日本へ出張で連れて帰った香港人の女性スタッフはこのラッシュの状況に驚愕しどうしても乗車を拒否し、やむなくタクシーで移動したこともありました。

友人のN氏は娘さんと一緒に乗った満員電車内での内輪話しの最中、何気なく肩においた手に愛娘から「さわらないでよ!」と一喝され、周囲からの刺すような視線に背筋が凍りついたとか・・・・これってかよわいお父たちへの逆セクハラと違いますか・・?

こんなおぞましい状況をハイヤー通勤のエライ役人や政治家に判るわけもなく、団塊の世代が定年で通勤しなくなる自然減によるラッシュ緩和を待たねばならないのでしょうか?

このラッシュ通勤のお陰で日本人は足腰が鍛えられ平均寿命が延びたなどというトンチンカンな説もありますが、

アジアでの職住接近の生活に慣れきってしまった身には、帰国時に経験する首都圏でのラッシュアワーの乗車は、いつ人生を踏み外す冤罪に巻きこまれないとも限らず、この上なくスリリングで体力消耗する苦行の他の何物でもありません。

電車内での2度目の冤罪(?)と闘っているミラーマン 植草一秀先生は今はいかにおわしますのでしょうか?

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世界からの便り

主宰者プロフィール

ガチャマンダオーナー

大宅 一裕
(おおたく かずひろ)

1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)

1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)

1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)

1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)

1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)

1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる

2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中