雨の香港より

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連日 雨のち豪雨時々雷雨、晴れ間のない香港です。
オフィスから見るビクトリア海峡もうすらぼんやり煙っています。
バリ島で200%充電し香港に舞い戻り早朝から香港モードのフル稼働でPCに向い夜は友人たちと久々の情報交換を口実に夜の街へ連夜の沈没で放電しています。

ノートブックと携帯電話のお陰で、数週間香港を留守にしても以前のように
帰ったら仕事が山積みということはなくなりました。(以前は1週間の海外出張が限度でしたが)ほとんどの連絡、確認、決済(といってもそんなたいそうなものはりませんが)はインターネットでどこ国へいても(バリ島のビーチで昼寝していても、チェンマイでゴルフしていても)即座に行うことができるようになり、本当に有難い世の中になりました。まさにIT様々です。
今のところ小切手や書類へサインのみが香港でなくてはできない業務ですが、そのうち電子認証が普及すると益々回遊生活に拍車がかかりそうです。

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日本からのニュースは連日、不穏、不都合、不適切なニュースばかり、特に日本社会、マスコミのベンチャーの起業オーナー叩きは日本独特の風土のようですね。古くはリクルートの江副(敬称略),昨年は村上、ほりえもん、そして最近はGWGの折口、昨日はNOVAの猿橋 

連日マスコミ、ワイドショー、の恰好の餌食となっているようですね。
あえて誤解を恐れずにいえば、彼等の日本での罪状は香港ではさして話題にならないほどの軽微なもの。チョット前までは時代の寵児のように持ち上げておいて、今となってはあれほど完膚なきまでに叩きまくる日本風土は香港の起業家たちにとっても大いなる疑問。
あれでは有能なベンチャー起業家はびびりまくるのではと・・・香港巷のうわさ

もともとは中国からの難民が一文無しから身を起こし違法と合法のボーダーを突っ走りながら財を築いてきたのが香港華商経済界。今はなき有名な財閥のオーナーも、もとはといえば着の身着のままで中国から香港にたどりつき戦後のどさくさに小麦粉をペニシリンだと称して稼ぎまくり一大財閥を築き上げたことは周知の事実、マカオのカジノ王、スタンレイ ホーも黒社会と経済界の清濁両界に君臨する大君

今となっては世間はその負の過去にはあえて触れず、築き上げた財とその社会貢献に評価を与えています。

この香港ドリームの一攫千金を夢見る起業社会で這い上がってきた男たちは誰しも少なからず叩けば埃がでる過去を背負っているのでは・・
またそれを大目に見る中国人独特の社会の風潮に保護されているのでは・・・
それを知ってか知らずか、村上もホリエモンも香港でのファイナンス活動を始めていたのでは・・(それが発覚して日本ではまたまた火に油を注ぐような事態になったとか)

かくいう我が社はこのなんでもありの香港で、持って生まれた生真面目な性格(???)ゆえ、ひたすら清廉潔白の経営手法(???)をかたくなに続けてるので20年たってもいまだ泣かず飛ばずのままでいるのですが・・・

何かご異論ございますか・・・?

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世界からの便り

主宰者プロフィール

ガチャマンダオーナー

大宅 一裕
(おおたく かずひろ)

1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)

1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)

1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)

1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)

1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)

1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる

2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中