チェンマイはいわゆるひとつの<ゴルフ天国>、市内近郊に新旧あわせて7~8つあるコースはすべて車で30-40分以内の距離、山々に囲まれたレイアウトはバンコクにない景観を楽しめます。観光客の少ないこの時期の週日はプレイヤーもまばらで日本より安価でもしかしたら今の酷熱の日本より涼しくゆっくりとタイ式ゴルフを満喫できます。
タイ式ゴルフ
●1パーティ 5人(コースによれば6人)までいっしょに、ハーフでの休憩なしでスルーでプレイ可
●1人に1人(かっては2-3人)のキャディが付き、歩くもよし、キャディの運転で一人1台のカートで廻るもよし。
●バンカーの修復、グリーン上のマーク、パットのコースの読みはすべてキャディ任せ(中にはスコア記載も・・)
●というわけで、お気に入りのキャディ(概しておばちゃん、なかには若い子もいる)の指名も可
●キャディが自分でもってきた食べ物やコースで採った果物をくれ、ピクニック気分でプレイを楽しめる
先週も僕と同じく、アジア回遊生活 (彼等は仕事で)をしているシンガポール在住のH氏、K氏を チェンマイ,メイジョーゴルフコースに迎えての快楽ゴルフ後、シャワーを浴びて、コースを渡り来る風に吹かれながらオープンエアのクラブハウスのレストランでビール(+スプライトがこれまたコロニアル)にピリカラタイ料理の悦楽の時にひたりながら最高!最高!を連発しながら語ることしばし・・・
〆の話題はいろいろな国を移動する生活の中での最近の物忘れのひどさ、空港のDUTY FREE SHOPで提示したパスポートやクレジットカード、ホテル、機内での着替え、ジャケット、本、眼鏡、カメラ、充電器 携帯などなどの置き忘れ経験の数々・・・
俺も俺もと枚挙にいとまがないお互いの物忘れのひどさ
お互い齢重ねるにつれての物忘れ癖は嫌だね と言いながら、席を立ちクラブハウスを出て、迎えの車に乗ろうとしたとき、
後ろから呼び止める声、振り返ると 追いかけてきた さっきのレストランのボーイ
<マスター お勘定の支払いお願いします・・・・>
シンガポールの朝は7時になってからやっと白み始めます。
友人のH夫妻の誘いもあり、夜明けのボタニック ガーデンのウォーキングに行ってきました。
シンガポール市内に広大な敷地を有するボタニックガーデンは1856年、イギリス統治時代、ゴムの樹や欄の花の実験農場として開園され、その後150年の歴史の中で数々の南洋植物、樹木が植えられ成長し、緑に覆われた大公園になっています。
園内各所に池や広場、コンサートホール、カフェ、レストランがあり、1周、約40分の遊歩道には朝早くから、ウォーキング、ジョギング、太極拳、犬の散歩などなどの市民で賑わっています。
むせ返るような生命力の満ちた南洋樹の中、南国シンガポールならではのウォーキングは心地よい鋭氣を体内にインプットしてくれます。
--------------------
午後、シンガポールが初めてというY夫妻を、シンガポール観光の定番のセントサ島へ、市内のマウントフェーバーからロープウェイに乗ってご案内しました。
島内観光を終えて、またロープウェイの乗って帰ろうと空を見れば、時折の突風とともに真っ黒の雨雲が流れ来て、遠くで雷の音、
それでも運行しているロープウェイに乗ったまではよかったのですが、風は激しさを増し、遠くの椰子の樹はユサユサとゆれ、90m眼下の海に白波が激しく立っている。ロープウエェイの進行速度は超ゆっくりになり、ゴンドラは左右にスィングしはじめ、生きた心地せず、最初ははしゃいでした同乗者たちもそのうちロープウェイがこのまま宙吊りで止まってしまうのではないかという恐怖で窓の外ぴゅーぴゅうー吹きすさぶ風の中、押し黙ってしまいました。
海上90mでこんな思いをするらば、上空10000mで揺れる飛行機のほうが、どれくらいましかと思いながらやっとのことでワールドトレードセンターの中継地に辿りつき、一同、息を吹き返しました。
一度は捨てた命(?)、残された人生は世のため、人のための捧げようと・・・・・・そのときは決意していました・・・・
絶叫マシーンがお好きな方へ一押しのお勧め・・・強風の中のセントサロープウェイ・・・
![]()
香港に隣接する巨大都市深センはさながら香港の衛星都市(今や香港以上の人口になっていますが)その価格安さ、中国物資の豊富さゆえ、香港人の日帰りツァーコースとなっています。
食事、買い物から歯医者、ゴルフ、観光まで週末の国境は多くの移動客で溢ています。
北京まで通じる鉄道の香港からの始発駅 九龍駅から列車(KCR)で45分国境の駅羅湖(ロウウ)に着きます、
広々とした快適なシートのファーストクラスで料金66香港ドル(約1000円)
これがまた英国式(?)の乗客を信用する伝統のためか検札が来ない。(つまりグリーン券なしでも乗車可??)
スタッフの話ではたまに来る検札でファーストクラスのチケットがないことが見つかったら超 BIG PENALTYとか・・・
この列車内、いくら前が空いているからといって、日本式に靴を脱いで前の席に足を伸ばしていると車掌がきて、そんな行儀の悪いことはヤメロと注意されます、これも英国式(欧米か)?
香港からの出国後、国境の狭い川にかかるブリッジを歩いて渡ると中国の入国管理、、他の中国入管関門と違いここでは香港人、台湾人は別ゲートでごくごく簡略された手続きのため、外国人のゲートも比較的スムーズに通過することができ、入管をでるとそこは人の溢れる中国、
乗客は駅前からタクシー、バス、迎えの車、地下鉄で中国各地へ向い、さながらこの駅は中国へのゲートウエイになっています。
羅湖の駅に隣接した大型ショッピングセンター羅湖商業城はバスターミナル、商店、クリニック、サウナ、マッサージがところ狭しと入居した何でもありの迷宮ワンダーランド、中国各地から集まられたバッタ物、パチ物も含めた商品が山積みされ、(もちろん今一番人気の I am not a plastic bag のパチエコバッグも品数豊富にそろっています)中国各地からやってきた売り子が客引きをし北京語が飛び交う中国の縮図がここのあります。
客引きの少女が持つパンフレットにある1時間30元(450円)のタイ並の価格にフラフラとさそわれるままに入った足マッサージ屋
リクライニングシートに坐ると足を洗うためにお湯を入れた洗面器を持った兄ちゃんが現れ、北京語でまくしたてる、
韓国人か? シンガポール人か?だとか、どこに住んでるのか?とか(それくらいの北京語は判るがあとは意味不明)、
しばらくすると横から、後ろからネエチャン、ニイチャンが次から次へとビールを飲めとか、肩マッサージをしろとか、爪を切れとか、角質を削れとか、あげくのはてはほくろを取れとか料金表片手にシツコク迫ってくる、
これが初期価格を安くして追加料金で吊り上げていく中国商法かと思いながら、「不要!不要!」と懸命に追い払う。
足をもんでいるにいちゃんも一人ぶつぶついい続け、察するに「ケチな日本人野郎・・」のようなことを言っていたかとおもうと
突然下から<ぶ~っ>と大音響とともにかます始末、
<何ちゅうことするねん!>と顔をにらみつけてやると、
<失礼しました>とも言わず、自分はきっちりマスクで防御した顔がニタニタしている。廻りの連中も<今日もなかなかいい音だしてるね・・>というようなニタニタ顔。
一瞬こちらも日本男児としてお返しにと思ったが、変なものが出て恥をかいても困るし、日本人の品格も邪魔をして行動に起せず、 <チーシー(馬鹿者)!>と広東語で叱責してやったが、全く意に介せず、相変わらずニヤニヤ・・・
あんたら、オリンピックを前にしてこんなことで大丈夫??
巨額の資金を投じてハードの施設は何とかかっこをつけても、肝心のソフトのマナーの向上にやっきになっている北京政府の苦慮が思いやられます。
路上でつばを吐くな とか、タバコの吸殻をポイ捨てするなとか、テーブルの上に食べかすを撒き散らすな とか列の割り込みをするな などなどのモラル向上キャンペーンの標語に加え、
マッサージの客の前で平気で屁をかますな も追加お願いします。

1月日本帰国の際、JR新宿から高島屋へ通ずるサザンテラスに黒山の人だかり、何事かと近くによってよく見れば<KRISPY KREME クリスピークリーム>なるアメリカのドーナツ店、昨年12月15日開店とかで1ヶ月たってもこの行列、
それから5月帰国の際、その行列がまたまた長くなっていました。行列整理のガードマンのおっちゃんにどれくらい待つのと聞くと1時間半、おっちゃんも食べて超美味しかったとのこと1時間半も待っても食べる価値のあるドーナツとはいかなる味だろうとずっと気になっていましたが・・・
3日前、日本から到着した香港国際空港の到着ロビーに見覚えのある<Krispy Kreme>のロゴ
誰も並んでないひっそりとしたたたずまい、思わず駆け寄り店員お奨めのオリジナルグレーズド(10ドル、¥150)を買い求め、その場でガブリ・・・・
美味しいと言えば美味しいし、普通ドーナツといえば普通のドーナツ (今まで意識して他のドーナツも食べたことがないので評価は困難)
でも香港仕込みの国際的せっかちな性格ゆえ、わざわざ1時間半も行列しても食べたいとは絶対に思いませんでしたが・・・
古くより日本人は行列好き・・モナリザ、ミロのビーナス、パンダ・・・
ところが実際現地のルーブル、上海動物園に行って、誰も並んでないどころか人さえまばら状態には気が抜けてしまいました。
ではあの行列の仕掛けは口コミ、マスコミ、ネット、やらせ・・?
A嬢からの情報によればマーケティングを担当しているREVAMP社の仕掛けとか
農耕民族の日本民族は集団行動型、皆が田植えのときは皆で田植え、稲刈りのときは稲刈りのときは稲刈り、右へならえの行動をしていると安心できるようで、皆が行列すると、行列したくなるのでは・・・
日本人がよく言う、<場の雰囲気を読め>、日本人は大衆場面で独り異質のとんがった言動とるのを嫌うようですね。
例えばニュースショーでのコメンテーターなる人物たちも司会者(みのもんた、田原総一郎・・・)の意見に逆らうことなく場の雰囲気にあった適当なコメントばかり、
まかり間違っても
<領収書の付け替えなんて政治家は日常茶飯事、細かいこと気にせず、赤城農相も辞任せず、ぞのもまま堂々と公務優先すべきとか・・?>
<朝青龍も独り横綱で長年相撲協会に貢献してきたのだから仮病でもなんでもOK,4ヶ月くらいモンゴルでもどこでも行って有給休暇あげたら・・?>
とかは口がさけてもいえず、そんな発言をしようものなら、たちまち番組降板、自身のブログは炎上してしまうでしょうね。
マスコミ、風評が誘導すれば、さくらパパでも丸山弁護士でも選挙権のない丸川珠代でも簡単に当選できるし、
このままマスコミを味方につければ国民投票ででも簡単に憲法9条も改正され、日本はいつか来た道に逆戻りしてしまう危うさを感じています・・・
と、またくだんのドーナツを近所にもあったKrispy Kremeショップから買ってきてほおばりながら日本人の行列の思いをめぐらしているのですが、(もしかしたら このドーナツ美味しいかも・・)
ドーナツから憲法改正は飛躍しすぎでしたか・・??
昨日8月6日は広島で原爆が投下された日
母方の祖父も広島で被爆し犠牲になりました。
僕も原爆投下から11年目の昭和31年から35年までの小学生時代広島市内で過ごしました。そのころ広島の人々は原爆のことを<ピカドン>と呼び、街にはまだ痛々しいケロイドの傷をもつ人たちが大勢いました。
よく遊んだ比治山にはABCCというアメリカの研究施設があり、原爆被害の人たちの治療にあたっていると聞いていましたが、
実は被爆の人たちを運び込みモルモットのように検査生体として扱い一切の治療を施してなかったことを最近知りました。

原爆ドームの近くにある原爆記念碑には<安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから>と刻まれていますが、
この文面は主語不明、誰のどういう過ちなのか?
原爆を落とされるようなボコボコの仕打ちをうけた日本の過ちなのか?
戦争の終結を早めるため投下したと主張するアメリカの過ちなのか?
そして何よりも原爆投下にまで至った戦争がどうして始まり、どうして負けてしまったのかという歴史もはっきりと教えられないまま、
平和記念資料館展示の惨たらしい写真、遺品のみを見せつけられていたような記憶だけが残ってしまいました。
昨日、日本の家人からのメールで町役場のスピーカーから広島原爆投下の8時15分、皆で黙祷しましょうとの呼びかけがあったとか・・・・
あれから60年以上も経った今、人々は何を思い、何を祈って黙祷しているのでしょうか?
2005年8月6日午前8時15分、87回夏の甲子園、全国高校野球広島代表の高陽東の工藤真司主将が開会式を前に集合した48チームの選手たちに<被爆地の高校生としてピカドンで亡くなられた人々のために黙祷を>と提案したところ、高野連の田名部参事が<原爆は広島だけのこと、この場で皆を巻き込むのはよくない>と制止され、高陽東の選手たちは列を離れ自分たちだけで広島の方向に向って黙祷したとのこと
15日の終戦記念日の正午には高野連(or主催者朝日新聞)の指示のもと原爆被爆とは違ういかなる意向でか、いまだに高校野球の球児たちはプレイを中断して黙祷させられています。
当の高校では日本史は選択科目で選択しても受験に余り関係のない昭和史は適当にはしょってしまっているとか・・どれだけ高校生はあの戦争の教えられて黙祷を捧げているのでしょいうか?
アジアで生活をはじめるようになって初めて認識するようになった日本人としての自分の立ち居地、中国、韓国では小学校から近代史の歴史教育はことのほか熱心で多くの歴史オタクを輩出しています。
そんな中で彼等の発するかっての日本軍占領時代の過剰なネガティブな情報にまどわされることなく、客観的な情報を得ようと日々、研鑽、勉強せねばと思いながらもまた
今年も8月が巡りきて、香港、中国のTVではいつもの日本軍のむごたらしい行為の映像が流されはじめます。
先月読んだ関連本
<あの戦争は何だったのか>保坂正康 新潮新書
<僕の見た「大日本帝国」>西牟田 靖 情報センター出版局
<中国はなぜ「反日」になったか>清水美和 文春新書
<憲法九条を世界遺産に> 太田光 中沢新一 集英社新書
<国の理想と憲法> 野村昇平 七ッ森書店
そして僕の青春グラフィティを彷彿させてくれた人生読本
<バンカー.そして神父> 谷口 幸紀 亜紀書房
大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(?1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中