ヒロシマに想う


昨日8月6日は広島で原爆が投下された日
母方の祖父も広島で被爆し犠牲になりました。
僕も原爆投下から11年目の昭和31年から35年までの小学生時代広島市内で過ごしました。そのころ広島の人々は原爆のことを<ピカドン>と呼び、街にはまだ痛々しいケロイドの傷をもつ人たちが大勢いました。
よく遊んだ比治山にはABCCというアメリカの研究施設があり、原爆被害の人たちの治療にあたっていると聞いていましたが、

実は被爆の人たちを運び込みモルモットのように検査生体として扱い一切の治療を施してなかったことを最近知りました。

原爆記念碑.jpg

原爆ドームの近くにある原爆記念碑には<安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから>と刻まれていますが、
この文面は主語不明、誰のどういう過ちなのか?

原爆を落とされるようなボコボコの仕打ちをうけた日本の過ちなのか?
戦争の終結を早めるため投下したと主張するアメリカの過ちなのか?
そして何よりも原爆投下にまで至った戦争がどうして始まり、どうして負けてしまったのかという歴史もはっきりと教えられないまま、

平和記念資料館展示の惨たらしい写真、遺品のみを見せつけられていたような記憶だけが残ってしまいました。

昨日、日本の家人からのメールで町役場のスピーカーから広島原爆投下の8時15分、皆で黙祷しましょうとの呼びかけがあったとか・・・・

あれから60年以上も経った今、人々は何を思い、何を祈って黙祷しているのでしょうか?

2005年8月6日午前8時15分、87回夏の甲子園、全国高校野球広島代表の高陽東の工藤真司主将が開会式を前に集合した48チームの選手たちに<被爆地の高校生としてピカドンで亡くなられた人々のために黙祷を>と提案したところ、高野連の田名部参事が<原爆は広島だけのこと、この場で皆を巻き込むのはよくない>と制止され、高陽東の選手たちは列を離れ自分たちだけで広島の方向に向って黙祷したとのこと

15日の終戦記念日の正午には高野連(or主催者朝日新聞)の指示のもと原爆被爆とは違ういかなる意向でか、いまだに高校野球の球児たちはプレイを中断して黙祷させられています。

当の高校では日本史は選択科目で選択しても受験に余り関係のない昭和史は適当にはしょってしまっているとか・・どれだけ高校生はあの戦争の教えられて黙祷を捧げているのでしょいうか?

アジアで生活をはじめるようになって初めて認識するようになった日本人としての自分の立ち居地、中国、韓国では小学校から近代史の歴史教育はことのほか熱心で多くの歴史オタクを輩出しています。

そんな中で彼等の発するかっての日本軍占領時代の過剰なネガティブな情報にまどわされることなく、客観的な情報を得ようと日々、研鑽、勉強せねばと思いながらもまた

今年も8月が巡りきて、香港、中国のTVではいつもの日本軍のむごたらしい行為の映像が流されはじめます。

先月読んだ関連本
<あの戦争は何だったのか>保坂正康 新潮新書
<僕の見た「大日本帝国」>西牟田 靖 情報センター出版局
<中国はなぜ「反日」になったか>清水美和 文春新書
<憲法九条を世界遺産に> 太田光 中沢新一 集英社新書
<国の理想と憲法> 野村昇平 七ッ森書店 

そして僕の青春グラフィティを彷彿させてくれた人生読本
<バンカー.そして神父> 谷口 幸紀 亜紀書房 

グラフィティ2.JPG

グラフィティ.JPG

|

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.gachamanda.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/168

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

世界からの便り

主宰者プロフィール

ガチャマンダオーナー

大宅 一裕
(おおたく かずひろ)

1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)

1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)

1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)

1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)

1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)

1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる

2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中