遥かなり六甲颪

先週末の阪神巨人戦は球史の残る試合だったようですね
香港では映像での観戦はできませんでしたが日刊スポーツのWEBサイトの
リアルタイム中継にかじりついて見ていました。
(今週に入ってから阪神は燃え尽きたような状態ですが・・)

5月帰国の際、友人のT氏からもらった神宮でのバックネット裏のチケットで
ほとんど阪神ファンに埋まった阪神ヤクルト戦をナイター観戦しました。
試合の前、得点の度、試合の後、あの<六甲颪>が歌声が球場に響き
おっちゃんもおばちゃんもおねえちゃんもおにいちゃんも子供も声をからさんばかり、なかにはなみだ目でメガフォンを振りながら絶唱していました。

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先日神戸帰国の際、夕方に乗った阪神電車でも今から甲子園球場へ父親と行くタイガースのユニフォームを着た5歳くらいの男の子が独り六甲颪を小さな声で3番までくちずさんで練習しているのを見かけました。

阪神ファンのとって六甲颪は魂の歌となり、元気の源のような歌で、
朝日放送で毎朝放送されている番組で道上洋三アナは阪神が勝った翌日には毎朝六甲颪を3番まで絶唱しhttp://abc1008.com/ohapaso/frame.html、
その放送聞いた阪神ファンはその日一日気分をよくして出かけていくようです。
この放送はWEBラジオで海外でも聞くことができ元気をもらっています。

それにひきかえ・・・・・・

サッカーの国際大会の前に流れる国歌<君が代>、大写しにされた選手は何か気恥ずかしそうに声を押し殺しているように
くちをぼそぼそさせているだけで、他の国の選手たちが誇らしげに謳っている姿に比べまったく元気が感じられません。
それは君が代の旋律のせいか意味不明(?)の歌詞のせいかは判りませんが、大相撲の千秋楽以外にはスポーツの応援には全く不向きな国歌ではないでしょうか?(そんな発言をすると右翼の人にどつかれそうですが)

本来国歌は<六甲颪>や<若き血>や<都の西北>や、<見よ永遠に>や<青垣なせる>のようにそれを謳うことによって

士気を鼓舞されたり、国家の連帯感をもつような意味あいをもつものとすれば、君が代の廃止、変更が無理であればせめて国民が肩を組み合ったり、拳を振り上げながら謳えるような国歌的応援歌を制定してはいかがでしょうか?

(ここではあえて六甲颪を国歌にとはいいませんが・・)

タイでは毎朝8時全国の学校で国王賛歌(国歌ではなく)が流れ、映画の前にも観客は規律してこの歌を斉唱し、国民は国王の下愛国心を再確認しています。

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ふと考えれば僕がキチンと君が代を謳ったのはいつの日か思い出せないほどの昔になってしまっています。

(そして我が家にはいつのころから日の丸もなく、国旗掲揚もしていません)
アジアの家々はことあるごとに家の前に国旗を掲揚していますが・・・

日本在住の方々はいかがでしょうか?

ちなみに六甲颪は年に何回かカラオケでバカ友だちといっしょに絶唱し
その後でついついハイになって叫んでしまっています「ママ ボトルもう1本!」

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世界からの便り

主宰者プロフィール

ガチャマンダオーナー

大宅 一裕
(おおたく かずひろ)

1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)

1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)

1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)

1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)

1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)

1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる

2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中