関西の高級住宅地といわれている<芦屋>で僕は10歳から19歳の間
世にいわれる<芦屋のぼんぼん>たちに囲まれて非ボンボン的少年時代を過ごしました。
19歳の時の父親の急死で一家は芦屋からの転居を余儀なくされ今まで以上の貧乏生活に突入しその金欠基調の人生は今にいたるまで継続しています。
芦屋からの転居以来、故郷芦屋との関わりはそのまま途絶えてしまっていましたが、今年初めタイでの絵本図書館開設にご協力いただいたT夫人から芦屋国際交流協会(ACA)の皆様をご紹介いただき5月日本帰国の際、ACA事務局でチェンマイの山里のプーディン小学校での活動をお話しさせていただく機会で是非とものチェンマイご来訪をお願いしたところ、話しはとんとん拍子に進展し、この度 稲鍵会長夫妻はじめ10名の役員のかたがたにプーディン小学校を訪問していただくことになりました。
時はおりしも、秋最大のセレモニーロイカトンの日、学校では生徒たちのロイカトンの演奏と踊り、そして父兄が前々日から作った祭りの日に水に流す花灯篭カトンが全員に献上され、熱烈歓迎式典で迎えられました。
またACAの森女史がわざわざ日本からお持ちいただいた平安時代の狩衣をまとっての厳かな笙の演奏をご披露いただき、初めて聴く妙なる調べは先生、父兄、生徒たちの大喝采を受けました。
式典の後、校庭に出て、各人が思い思いの願いを書いて紙気球を秋空高く飛ばしました。
人生巡り巡っての今回の故郷芦屋との奇縁、とても故郷に錦は飾ることはできないしがない人生でしたが、今回チェンマイの山里に故郷芦屋との友好交流の一粒の種が蒔かれたような気がする感慨深い1日でした。
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大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(?1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中