チェンマイメルヘン

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チェンマイ市内にあってひときわ瀟洒なたたずまいをみせる白亜の寺院、ワットスワンドーク(ワット:寺、スワン:庭、ドーク:花) 、今から12~3年前、まだ僕が真面目に真摯に懸命(?)に働いていたころ、仕入れ出張で訪れたチェンマイで、工場訪問の道すがらにあった、その美しい仏教寺院を訪ねました。金色の仏舎利の前に白く輝くチェンマイの歴代の王様の廟を逍遥し、ふと入口の階段を見るとひとりの少女が絵を売っていました。近寄って見せてもらいしばし立ち話、彼女はチェンマイ生まれで両親はすでに他界してしお坊さんのお世話でここで絵を売らせてもらっているとのこと、ふと手を見ると両手の指がない、母親が妊娠中に薬物を飲んでいたことが原因という、油性ペンを握りしめ描いたデッサンに水彩で色をつけた小品がいくつか、絵もさることばがら彼女のこぼれるような笑顔に心打たれ買った数点の絵は、残念ながらその後度重なる転居のため、今はどこかにいってしまいしたが、あの時の少女の笑顔と肉のくびれた指先がいつまでも脳裏に焼き付いていました。

その後、何度もこの寺を訪れ少女の姿を探しましたがその時以来、少女は寺院から消えてしまっていました。
昨日、日本からチェンマイ来訪の友人たちを案内したワットスワンドーク、何気なく菩提樹の下をみると絵を売っている一人の女性、近寄って顔を見た瞬間、「サワディカァ・・(こんにちは)」と微笑みかけるその笑顔に思わず立ちすくんでしまいました。まさかと思い指先をみるとまさしく・・・思わず「あなたは10数年前あの階段のところで絵を売っていたのでは??」彼女はまた花のように微笑んで「そうです、わたしです、もう12年前です。」

彼女はあのとき以降、バンコクの里親のもとへ引き取られ、絵の才能を見出されバンコク芸術大学で絵画を学び卒業、その後東北地方イサンからの同級の画学生とめでたく昨年結婚しすでに25歳、先月チェンマイに帰郷し、昔から知り合いの僧侶の後押しもあり同じここワットスアンドークで自分の作品を販売させてもらい始めたこと・・・

作品は寺院の境内にある菩提樹の葉の上に油性ペンで細かく寺院を描き仏像に奉納する金紙片を一枚添付して額装、いかにも霊験あらたかになるようなオリジナル絵画の数々と菩提樹の葉を押し葉にしてプラステックコーティングした葉脈ブックマーク。傍らに日本人のお客さんに作ってもらったという作品説明の日本語サインカード
<この作品は菩提樹の葉を用い8-9時間かけてチェンマイのワット田園風景を描いた作品です。チェンマイの思い出は1枚の絵から・・・1枚600バーツ Pong>

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<Pongちゃん 12年ぶりの再会の記念に1枚買わせてください>
<とてもうれしいです。・・・>
僕はお釣りは取っておいてくださいと1000バーツ札を渡すと
彼女は顔を赤らめ<コップンカァ・・有難うございます>とうつむきながらブックマークをおまけに入れてくれ、はにかむように<今日の再会を私のホームページに掲載したいのでいっしょに写真を撮ってください>の申し出にもちろんOK,お互いに記念撮影を撮り合い、「がんばってネ、また来ますから・・」の言葉を残してワットスワンドークを後にしました。

大きな菩提樹の葉陰を渡る風が少し上気した頬をやさしくなで昼下がりの古都の空は蒼く澄み渡っていました。

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投稿者: otaku 日時: 18:47 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

中華年末騒動

中華年末騒動

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旧正月を今週末に迎えた香港国際空港はすでに海外出国ラッシュが始まっていました。
中国南東部の大雪寒波の影響で香港も想定外の連日気温10度以下の氷雨模様・・・
昨日タイへの出国前、エアポートラウンジで純度100%中国製の冷凍シュウマイをパクパク、新聞をペラペラめくっていると、香港紙では日本での毒入り餃子の一件は掲載されていましたが中国紙では英字紙 CHINA DAILYでは事実のみの簡単報道と中国政府が速やかで適正な処置を執ったとの自画自賛記事あり、華字紙には一切の報道はなく、紙面のほとんどが大雪で鉄道網麻痺のため正月休暇で帰郷する群衆が積み残され都市駅では暴動寸前の大パニック状態の報道ばかり。昨日は温家宝首相自ら広州駅へ飛び、群衆を慰問したとのこと・・・
今回の餃子事件、中国側としたら正月前にややこしいいいがかりつけられ大迷惑の感じ、また北京オリンピックを前にしてたとえ中国側の非があったとしても絶対に表ざたにはしたくないところ、
正月休みをはさんで解決にはしばらく時間がかかり、USビーフのときと同じく、これからは衛生検査をしっかりやっていきましょうねということでうやむやに治まっていくのでは・・?

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今回のことで、また日本の食料自給率40%の脆弱な食糧事情が明らかなり、家庭用、業務用の冷凍中華総菜もほとんどが中国製だったことが判明しました。食糧海外輸入の依存度は年々増加しているにもかかわらず、食品製造業での原料ロス、流通段階、家庭での消費期限切れの在庫廃棄、家庭や飲食店での食べ残しの廃棄、食糧廃棄は年々増加しています。
あるスーパーでは廃棄する弁当がもったいないということで鶏の飼料として転化したところ弁当に使用している保存料、添加物のため奇形の鶏が発生したとの笑うに笑えない状況になってしまったとのこと・・・

飽食の時代を謳歌しているかに見える日本も実態は実に危うい綱渡りをしているように見えます。
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バンコク スワナブン空港から一歩外にでて湿度たっぷりの絡まるような熱帯の大気に体を包まれ今まで寒い国で収縮していた体細胞、脳細胞が溶解し、解放されていくような感じがしました。

反対に昨日成田入りしたサッカーのタイの代表選手たちは、生まれて初めて見る東京の雪と寒さに驚き、震え練習どころではないでしょう。寒中お見舞い申し上げます。

食糧自給率100%以上のタイ人のモットーは<どこでも寝れる、食べられる>、飢え死も凍え死の心配もなく自然のライフラインが確保されたタイなればこそ、タイ人のおおらかさ貧しくとも心の余裕ある生活があるのではと思いながらホテルへの車に乗りました。

<衣食足って礼節を知る>・・?

<いつまでもあると思うな親と食>・・?

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投稿者: otaku 日時: 11:59 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

ヨコハマ ラプソディ


亜熱帯生活に慣れた還暦前の体には今年の日本の寒さは沁みるように厳しく、早くも舞い始めた花粉もあいまって外出が億劫になり湯河原の寓居で
半ば冬眠状態のように毎日引きこもっていましたが、今回の日本滞在中どうしても果たしておきたいことのため、香港へ発つ前の27日横浜へでかけました。

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横浜の街はふるさと神戸に似た坂道のある港町でどこかなつかしい町並みです。とりわけ山手のみなとが見える丘公園あたりは遠くに霧笛が鳴り
文明開化の面影が残り歴史を感じさせるハイカラで瀟洒な建物が並んでいます。その一角にあるはずのその人のお墓を訪ねる前にまず山手カトリック教会の信徒会館で墓地の場所を確認し鍵をお預かりし、港を見渡す外人墓地に隣接したカトリック山手教会墓地へ向いました。

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カトリック墓地の中央にある横浜教区司教司祭のための三角錐の大きな墓碑に昨年11月8日帰天された濱尾文郎枢機卿のお名前を見つけ、訃報の連絡をいただきながら、葬儀ミサにも参列できなかったお詫びの気持ちをこめて凍るような水をタオルにたっぷり浸し、墓石を丁寧に拭きなで、あの2度にわたってバチカンでごいっしょしていただいた日のことを感謝をこめて回想し、妻といっしょに声を出して主の祈りと天使祝詞を唱えさせていただきました。
これでやっと昨年来から気になっていて今回の日本帰国中の大きな宿題を果たすことができほっとした気持ちで坂道を降りて行きました。

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師の墓碑の陽だまりに猫ぽつり

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旧正月を1週間後に控え喧噪に包まれた年末の香港に帰国しました。
気温は異例の9度、どの建物にも暖房設備のない香港の室内体感温度は日本以下、オフィスではスタッフも、もこもこの厚着をし、マフラーを巻いて震えながら年末の追い込み業務に追われています。日本を出る時、これで寒さから解放されると思っていたのに
どっこい・・これでは日本より寒い・・トホホ・・・

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投稿者: otaku 日時: 09:47 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年02月23日更新! 世界からの便り

主宰者プロフィール

ガチャマンダオーナー

大宅 一裕
(おおたく かずひろ)

1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)

1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)

1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)

1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)

1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)

1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる

2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中