
亜熱帯生活に慣れた還暦前の体には今年の日本の寒さは沁みるように厳しく、早くも舞い始めた花粉もあいまって外出が億劫になり湯河原の寓居で
半ば冬眠状態のように毎日引きこもっていましたが、今回の日本滞在中どうしても果たしておきたいことのため、香港へ発つ前の27日横浜へでかけました。

横浜の街はふるさと神戸に似た坂道のある港町でどこかなつかしい町並みです。とりわけ山手のみなとが見える丘公園あたりは遠くに霧笛が鳴り
文明開化の面影が残り歴史を感じさせるハイカラで瀟洒な建物が並んでいます。その一角にあるはずのその人のお墓を訪ねる前にまず山手カトリック教会の信徒会館で墓地の場所を確認し鍵をお預かりし、港を見渡す外人墓地に隣接したカトリック山手教会墓地へ向いました。
カトリック墓地の中央にある横浜教区司教司祭のための三角錐の大きな墓碑に昨年11月8日帰天された濱尾文郎枢機卿のお名前を見つけ、訃報の連絡をいただきながら、葬儀ミサにも参列できなかったお詫びの気持ちをこめて凍るような水をタオルにたっぷり浸し、墓石を丁寧に拭きなで、あの2度にわたってバチカンでごいっしょしていただいた日のことを感謝をこめて回想し、妻といっしょに声を出して主の祈りと天使祝詞を唱えさせていただきました。
これでやっと昨年来から気になっていて今回の日本帰国中の大きな宿題を果たすことができほっとした気持ちで坂道を降りて行きました。
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旧正月を1週間後に控え喧噪に包まれた年末の香港に帰国しました。
気温は異例の9度、どの建物にも暖房設備のない香港の室内体感温度は日本以下、オフィスではスタッフも、もこもこの厚着をし、マフラーを巻いて震えながら年末の追い込み業務に追われています。日本を出る時、これで寒さから解放されると思っていたのに
どっこい・・これでは日本より寒い・・トホホ・・・
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大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中