バリ島へ捧ぐ

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もう20年来のおつきいただいている京都の洋品業界の先駆者ザ.スカイ社の渡邊社長は僕にとっては人生、ビジネスの師と仰ぐ方のおひとり。

社長は今から50年以上も前から単身アメリカ、カナダへと渡り毛皮の買付を手掛けられその後、香港、台湾、中国で傘、ショールの商品開発生産をされ、そして80歳を過ぎた今でも毎月のように内モンゴルに飛ばれ中国工場でカシミヤビジネスの開発指導をされ、多くの中国の人たちからも尊敬、敬愛され、現地の砂漠化の防止のための植林活動にも巨額の寄付を行われ、日中ファッションビジネスの第一人者。

縁あって20年以上前から海外でのビジネスのご指導を受け、ご夫妻で香港出張お越しの度、社長の定宿ペニンシュラホテルでまた日本帰国の際、京都でご馳走になり貴重なお話をうかがい、いまなお親しくお付き合いいただいています。

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僕が長年往来しているバリ島へ奥様とご一緒での訪問の計画を数年来からお聞きし、ご案内できる日を楽しみにしていたのですが、その度、テロの勃発や鳥インフルエンザの発生で延期、延期となってしまっていました。

ところが昨年末奥様が急逝され、お悔やみに京都へ伺った際、、お二人で楽しみにされていたバリ島への訪問を奥様供養の意味をこめて実現したいと涙ぐみながらのお申し出があり、今回宿願のバリ行きに同行させていただくことになりました。

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地上の楽園、神々の棲む島、バリ島はいつ来ても新たな発見、驚き、感動で旅人を迎えてくれ、世界中からの多くの訪問客でにぎわっています。昨今、従来からの常連のオーストラリア、日本、台湾、韓国に加え中国、ロシアからの観光客が急上昇し、ヌサドゥアにあるホテル専門学校も急きょロシア語学科を急設したとか、

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蒼く澄み渡る大空、サンゴ礁を渡りくる潮風、原色のトロピカルフラワーが咲きほこり、島の大自然は旅人の心を癒してれます。
バリの人々は木にも草にも花にも精霊が宿るとし、朝な夕なに花を供えて祈り、夕刻にはあちこちからガムランの演奏、村々では民族舞踊が奉納され、音楽や舞踏で地上に降りる神を迎え、また天上へ帰る神を送る宗教生活が日々送られています。多くの観光客が訪れても、自分たちの神々と密着したライフスタイルを変えることなく日常的に営まれる

その静かな祈りの生活に旅人はまたまた心打たれ、この島へのリピーターとなってしまい、各国からこの島へ移住してしまう人も数あまた。

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渡邊社長と亡き奥様へのいろいろな思いを回想し、いろいろなことを話しながら、山の村ウブド、海辺のクタ、ジンバラを巡り、最終日は僕の一番好きな、ヌサドゥアの高台にあるインド洋を一望するアマンヌサのカフェで奥さまのご冥福を水平線の彼方へ捧げ記念撮影。
今まで以上に想い出深く意義あるバリ紀行となりました。

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投稿者: otaku 日時: 10:07 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

奥飛騨慕情

名古屋からJR高山線 特急ひだ3号に乗り換え、列車は幾度も飛騨川と交叉しながら山合いを縫うように走ること2時間半、観光のメッカ飛騨高山で名古屋からの乗客のほとんどが降車、我々中学、高校時代の仲間は次の駅、雪なお残る終点飛騨古川の降車場で、級友陶芸家の渡部徹兄と10年ぶりの再会を果たしました。お久しぶりの挨拶もそこそこに彼の運転する車で山越えの雪道を走ること40分で春まだ遠い奥飛騨神岡にある渡部家の住居兼工房兼カフェ<やまの庵>東雲窯に到着しました。

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渡部 徹 (わたなべ とおる)
   陶  歴

1949年 兵庫県西宮市に生まれる

1968年 私立六甲学院高等部卒業
      少年期より美術を志し、柳宗悦著『工芸の道』で
      焼き物の民芸美に魅せられ河井寛次郎の高弟
      上田恒次の門をたたく

1970年 京都五条坂の府立陶工訓練校卒業
      洛北の上田家にて修業、登り窯による作陶に携わる    

1978年 独立。滋賀県蒲生野に築窯し『標野窯』と命名する

1982年 日本民芸館展奨励賞受賞(白磁平鉢三種)

1983年 神戸にて初めての個展を開催

1984年 国展の野島賞受賞(染付印判手草文大皿)

1986年 日本民芸館展奨励賞受賞(呉須刷毛目七寸組皿)

1991年 国画会会友に推挙

1996年 国画会を退会

2004年 岐阜県飛騨市神岡町東雲に古民家を移築再生し、
      やまの庵を有志により設立。『東雲窯』と命名する

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神岡はかっては銀、銅、亜鉛などを産し東洋NO1の鉱山として繁栄を極めた町,今は鉱山の採掘中止、移転、公害問題などですっかり衰退し、かって3万人の人口も1万人以下になり、話題となるのは坑道跡に施設されたノーベル賞受賞の小柴教授のニュートリノの実験施設くらいになっていました。2004年神岡の町おこしNPOの誘致の縁があり、渡部兄はそれまでの拠点滋賀県蒲生郡から家族で神岡へ移住し、神岡鉄道の駅舎の前の絶好の立地に古民家を移築、改装した<やまの庵>
工房、窯を立ち上げ制作を始め、観光客も訪れ奥様は民家の1階でカフェを開店し、飛騨牛のスジカレー、手作りケーキも人気を呼び、、町のバックアップもあり第2の人生を順調に船出したかにみえました。

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不幸はある日、突然、雪崩のように襲ってきました。
●町起こしのNPOの破たんによるプロジェクトの中途挫折、旗振り役、スポンサーの消滅、
●観光客動員の要であった神岡鉄道の廃線、
●そして昨年、渡部兄の身体に病魔が襲い、入院、大手術

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我々の今回の訪問はそのような暗澹たる状況を知った上でのお見舞いをかねた奥飛騨行きでした。いろりを囲み奥様、お嬢さんが丹精こめて作っていただいたカレーをいただきながら、渡部兄のこれまでの神岡生活のこと闘病生活、これからの創作生活の次第を拝聴。神岡を取り巻く逆境は変わらないけれど、健康状態も創作意欲回復基調のようで一安心。
この山里で家族の愛に支えられ、地獄を見た匠の懸命に飛翔しようとする姿に心打たれエールの盃を重ねる我々の傍らで酒も飲まずに渡部兄は静かに熱く語り続けていました。そばにはいつも笑顔を絶やさないN夫人、どんなときも渡部兄は彼女に支えられてきていることを再確認。

踏まるほど、強く芽を吹け雪割草

神岡鉱脈からの陶土の1級品は瀬戸、多治見の尾州産地へ販売され、残った多種の鉱物の混じった陶土を渡部兄は譲り受け、時間をかけて手作業で精製しその東雲窯ならではの独特の土をろくろにかけなおかつ、ピンセットで丁寧に砕片を除去しながらの創作作業、その器は粗にして優雅、奥深い緑色の中から匠の生命の息吹が伝わってくる、名付けて<神岡青磁>
今まで滋賀蒲生の窯で焼いていた白磁と並べると渡部兄の壮絶な人生が鮮やかに浮き上がってくるような世界。

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病後まだあまり制作していない庵にあった数少ない作品を皆で購入させてもらい、庵を辞し、運転のため酒を飲めなかった渡部兄に再び飛騨古川まで送ってもらい、列車を待つ間、しばし古川の町を探索、古川は司馬遼太郎が<街道をゆく 飛騨紀行>で絶賛している町

ともかくも古川の町の町並みにはみごとなほど、気品と古格がある。
観光化されていないだけに、取りつくろわぬ容儀や表情、あるいは人格さえ感じさせるのである。

NHK連続小説<さくら>の舞台となった古川の創業300年の和ろうそく屋、酒蔵などを巡り、駅前の食堂でおばちゃんお薦めの昔ながらの中華そばを皆で食べながら、渡部兄へ再度のエールを送り、すがすがしい思いで飛騨の郷を後にしました。

奥飛騨の匠に幸あれ・・・

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渡部徹兄の作品ご希望の方は是非ご一報ください。
<やまの庵>tfngk363@yahoo.co.jp

投稿者: otaku 日時: 08:26 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

タイからのお願い

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縁あって罪深い僕がタイ、チェンマイの山里のプーディン小学校との支援、交流を始めて7年目になり、多くの友人、知人、先輩、後輩、親戚縁者、一族郎党の皆さまに支援、訪問をいただいてきました。

その間母校ソフィア会からの鼓笛隊の楽器、盟友木元兄からのエレクトン他、多くの方々から日本の小学校で使ったピアニカをチェンマイ訪問の際1台、2台とハンドキャリーでその都度寄贈していただき、すでにその数30台以上、先生、父兄、生徒にも大好評で小学校にはピアニカ合奏隊(プーディン30楽坊?)も編成され、校内行事のほか、村の行事ででも演奏を披露するまでになっています。また日本の曲もタイの音符に直しての音楽教室の甲斐あり、レパートリーに組み入れられています。

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先日タイ奥地山岳民族の村やミャンマー国境の難民キャンプで活動中の日本人ボランティアの若者たちにこの話をしたところ、もし余分のピアニカがあれば是非寄贈してもらい自分たちの活動にも取り入れたいとのこと。
また、日本での保管、タイへの搬送の手伝いをしたいという友人の会社からの申し出もあり時は熟せり、

春3月まさに卒業シーズン、ご家庭、ご近所、お知り合いで不要のピアニカがあればタイの子供たちに寄贈いただけないでしょうか?
1台でも2台でもありましたら、是非ご連絡ください。送料着払いでの日本国内送り先ご連絡します。下記コメントをクリックしてご連絡ください。

そして近い将来、タイの辺境に大地、メコンのほとりに響く子供たちのピアニカ演奏を聴きに是非お越しください。

投稿者: otaku 日時: 14:18 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

主宰者プロフィール

ガチャマンダオーナー

大宅 一裕
(おおたく かずひろ)

1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)

1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)

1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)

1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)

1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(?1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)

1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる

2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中

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