憧れのハワイ航路

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香港から成田へ到着、翌日、同じ成田発ホノルル行き搭乗のため、3時間以上もかけて神奈川県のはずれ湯河原へ帰宅せず、空港隣接ホテル泊、
翌日、出発が21時のため、思い切ってレンターカーで南房総探索ドライブへ出発高速道路沿いに咲く春の花々に日本の四季を感じながら、一路南房総へ・・・

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途中一般道沿いの古民家、看板には有形文化財 宮醤油店駐車して店内に入ると創業天保5年(1834年)とあり、外国暮らしの目から見ればすべて美味しそう思わず、醤油、漬物、ポン酢醤油などハワイ土産に買いこんでしまう。車は館山、白浜を過ぎて千倉へネットで調べておいた、これも創業明治2年の寿司屋 大徳屋でランチ、うわさ通りの地の魚を堪能、食後そのまま鴨川経由で成田空港到着は予定通りの18時。

100kgの大荷物とともにチェックインをすませ、定刻離陸、気流の影響か20分早くホノルル到着は同日午前9時現地在住義妹の迎えの車で一路今回の宿泊でお世話になるコムテック社のコンドミニアムへ、26階のベランダからの眺めは絶景、吹きわたる風はアジアでは経験できないドライで爽快。黄砂、花粉、工業排ガスの混入しない純度100%このおいしい空気こそ、ハワイならではと思いっきり深呼吸

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7日(日)朝ワイキキの海岸通りにあるカトリック セントアウグスティン海岸教会でミサ拝受、ハワイらしい陽気な歌ミサに身も心もハワイアン。
ハワイ在住信者のおじいちゃん、おばあちゃんたちと笑顔で握手、抱擁の<主の平和>の挨拶。前の老夫婦はチューしてた。

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午後はかねてから行きたかったパールハーバーの記念館、1941年12月7日、日本空軍の奇襲で犠牲になった2390名の米兵の鎮魂と歴史的資料展示のため建造されたUSSアリゾナ記念館へ、入場は無料、$5で日本語説明のヘッドフォーンを借りて館内見学、真珠湾攻撃までの歴史的経緯、襲撃当日の刻々の事実が説明パネルと写真で展示してあり、その後シアターでの25分のドキュメンタリー映画、そして海軍の小型船で今なお引き上げられずに犠牲になった兵士の遺体とともに水深10mに残る撃沈された戦艦アリゾナの赤錆びた船体の上に建てられた記念館へ、そこには犠牲になったアリゾナ乗艦兵1177名の
名前が刻まれていて、戦艦の残骸から60年以上たった今でも、当時戦艦から抜かなかった油がプクプクと浮かび上がってきて、まるで戦死した兵士の慙愧の涙のようとのヘッドフォーンからの説明。

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かって、ソウル、南京、ベトナム、シンガポール、クワイ川、知覧などなどいくつかの戦争関連の記念館を観てきたけれど、そのすべてが対戦国をこき下ろし、自国の都合のいい説明の展示に終始しているのに比べ、

このアリゾナ記念館は、いたずらに反日的な展示説明に偏ることなく、日本帝国軍部がなぜ、真珠湾攻撃に走らねばならなかったかという歴史的事実を極めて客観的に展示することに徹しさすが大国アメリカの大人の歴史分析の姿勢に感銘を受けました。

真珠湾攻撃で犠牲になった2390名の米兵に加え、死を覚悟で突撃して太平洋の藻屑となって散っていった64名の若き日本兵の御魂にも深く祈りを捧げさせていただきました。

日本人にとっては余り居心地のいいところではない記念館のせいか、日本人観光客の数は少なかったけれど、太平洋戦争の引き金にもなり、原爆投下、敗戦への発端となったこの事件を知るためには、日本人も是非観ておくべき資料館だと思いました。
またアメリカ人とつきあう上でも日本人として知っておかなければならない事実がここにあると思いました。

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世界からの便り

主宰者プロフィール

ガチャマンダオーナー

大宅 一裕
(おおたく かずひろ)

1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)

1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)

1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)

1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)

1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)

1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる

2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中