
今回縁あってハワイ日本人婦人会主催のファッションショー会場、ワイキキシェラトンホテル ボールルームでの展示即売会へわが社の商品の出展のお誘いを受けてのハワイ行きとなりました。
ハワイの人口の25%は日系人、アメリカ本土と違って、島のいたるところにいろいろな懐かしい<日本>と出会えます。
戦前、農園の賃金労働者として移民した日本人は20万人、第2次大戦中は米兵としてヨーロッパ前線で母国アメリカのために戦った422連隊の勇姿は今なお語り継がれ、軍隊経験の多くの日系人は戦後、アメリカ政界、実業界でも活躍しました。1965年アメリカの移民法改正を機に新一世の日本人移民が渡来し、今では30万に達した日系人はハワイの中核的存在となっています。
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13日開催のファッションショーは艶やかに着飾った日系人や華僑、白人の婦人が千人近く一同に集い、ランチョンパーティー+ファッションショーをはさんで賑やかな国際的エベントとなりました。
日系人といえど、会話のほとんどは英語、ファッションも日本の着物の生地をリフォームしたネオジャパネスクのハワイアンファッションも多く見受けられ、今まで経験したことのない雰囲気の一大パーティでした。
僕が日本、東南アジアからハンドキャリーした100kgの商品の中身は日本、東南アジアのクリエーター、職人の皆さんが丹精込めて制作したアクセサリーの数々、また日本発ベトナム生産のインターナショナルブランド
<HIKOSEN CARA>の最新コレクションそして奥飛騨、東雲窯で友人陶芸家渡部徹氏が焼いた陶器、いずれもハワイ初上陸の作品ばかり、期待以上に多くのハワイのご婦人の皆さまにお褒めのお言葉と過分なお買い上げもいただき、またいっしょに出展していたハワイのクリエーター、販売会社の人たちとの出会いもあり、その中の香港系の楊さん、中国系のNIUさんたちからハワイ、アメリカ本土の代理販売の申し出もあり、今後の展開が楽しみになってきました。
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たそがれせまるころワイキキビーチでサンセットを見ながらの打ち上げ宴会、100年以上も前、日本への退路を断って太平洋を渡りここハワイへ移民した日系人1世がこのハワイの地に種をまき根を張ってその努力が今、しかっりと実を結び、ハワイの政治、経済、文化を支えているのを目の当たりに体験することができ同じく日本を離れアジアに生活し25年の若輩のわが身を顧み、何か太平洋を越えた連帯の熱波のような元気を感じさせてもらいました。
遠くに聞こえるハワイアンのメロディが潮風の乗って流れ、ハワイの宵は酔いとともに更けていきました。
今回ハワイ滞在中、お世話にになった皆さまへ感謝の気持ちをいっぱいこめて ALOHA・・・
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大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中