
1か月ぶりの香港は亜熱帯独特の高温多湿の季節に入り、ビクトリア湾も靄で煙っています。
留守中の5月12日の中国大地震被害者への募金依頼の手紙やメールが各所から届いていて
TVでも香港の歌手、タレントたちの募金コンサートを中継していました。
これまでお世話になった中国ですから香港赤十字を通して零細企業として分相応の範囲内での
ことはさせてもらうようスタッフに依頼しました。
中国からのTVニュースは国家、国民一体となって復興を推し進めているという自画自賛的報道ばかり、
被害にあい親も家もなくした子供たちが援助を受けてやたらにこにこしているのにはどこか違和感を感じ、
日本で報じられていた被災地の悲惨な映像や政府の無策に対する抗議行動の報道は一切なし。
それにしても今回のミャンマーのサイクロン、中国地震への義援金は最終的にどこに
どうやって届けられるのか、ついつい疑心暗鬼になってしまいます。
インド洋津波のときも、義援金は末端の被災者に行く前にタイ政府、軍隊の
小役人によって中抜きされていましたし、義援物資は闇市場に流れていました。
今チェンマイでも継続的にカンボジアへの援助衣料の横流し市場が存在しています。
特に今回ミャンマーへの善意の金品はミャンマー軍事政権の下での管理になるでしょうから、
被害を受けたミャンマーの人たちに届かず、反民主主義運動の資金となるのではとついつい疑ってしまい
いまだミャンマーへの募金には躊躇しています。
明日タイへ移動します。今回も皆様からご協力いただいているHIVで親を亡くした子供たちへの貴重な奨学金と山岳民族、難民キャンプの子供たちへのスーツケースいっぱいの善意のピアニカ第2便を
決して中抜きも横流しもせず、そのまま、直接子供たちに届けに行ってきます。
新たな笑顔の子供たちとの出会いを楽しみに・・・
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大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中