タイ北部 ラフ族訪問記

<日本の皆さまからお贈りいただいたピアニカ第2便、先週タイ北部の山奥、

少数民族ラフ族の子供たちに届けてきました>

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タイ北部 南北へ走る107号線は山間を縫うようにミャンマー国境の町メーサイへと通じ

付近の山岳地帯は古くから少数民族が中国、ラオス、ミャンマーから移り住み

悪名高い、麻薬の生産地<ゴールデン トライアングル>の一帯となっていました。

タイ王室、政府の懸命の努力の結果、マリファナから農業への産業転換が実施され、今ではほとんどが

付近の山奥の地で米、野菜の生産、栽培を生業とするようになっていますが、まだまだこの少数民族の

問題は中国同様、経済発展を遂げる国勢から取り残された社会問題として残り続けています。


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北の都チェンマイから車で北へ3時間のメーアイの街から東へ車1台やっとの凸凹山道を4WDをジャンプ

させながら走らせる上ること30分、山奥深く山岳民族ラフ族60所帯200人が暮らすポンパー村へ、

ここで日本カトリック信仰宣教教会(http://jlmm.net)からひとり入りこんでボランティア活動をしている

日本人女性 Wさんの案内で皆様からいただいたピアニカ第2便を届けに行ってきました。

タイでの山岳民族の多くはいまだIDカードも持てずそのため町への移動、医療、教育に

大きな障害となっています。

また、タイ語がしゃべれず、コミュニケ―ションにも大きな問題があり職業が制限され、

今なお農業での現金収入は一世帯あたり1か月1000~2000バーツ(3500~7000円)と低く、

ID(身分証明)ないまま違法な出稼ぎに頼らざるを得ない状況が続いています。

病気になっても村の長の祈祷によっての治療に頼り、よっぽどの重病でない限りはなかなか山を降りて

タイの病院には行けません。

W さんは毎週週末はチェンマイから乗り合いバスで3時間かけ麓のメーアイの町まで来て、そこから待ってくれているラフ族の若者のバイクの後ろに乗って山道を駆け上がって半日かかってこのポンパー村にたどり着き、この村で泊まりがけで子供たちの教育の手伝いをやっています。

ポンパー村は、今まで行ったタイのどの村よりも貧しく、子供の半数は裸足、

家も簡素な板張りの立て床式、床下では鶏や豚を飼っています。

3年前当時の首相タクシンが少数民族助成対策として無料で全所帯に配布したはずの

ソーラシステムがなぜかここでは県の役人からは2000バーツを請求され、

一部金持ちの家庭しか電気が通じてない納得できない現状。

水は近くの川の水をそのまま使用。

学校も校舎はありますが、麓から泊まりでタイ語を教えに来る先生も一人、それも1か月に1-2週間で

帰ってしまい、子供たちも農繁期には皆、親の手伝いで畑に行ってしまい、ふだんは教室は閉鎖状態。

ここでは義務教育、教育の平等など以前の状況。


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村人は日の出とともに起き、家族そろって畑にでて、

家族そろって3度の食事をし、日の入りとともに寝るという自然の摂理に従った生活。

家電も携帯もPCもないシンプルな家庭ですが、家族の絆に結ばれた人間的な生活が営われている

うるるんの舞台になるよう集落。

一緒に行ったタイ人スタッフにとっても、このようなタイにありながらタイ語もあまりしゃべれず、

前文明的な村の生活に軽いカルチャーショックを受け、日本人でありながらこの村へ深く入りこみ、

ボランティア活動をするWさんをタイ人でもなかなかできないとひたすら感嘆賞賛。

Wさんは日本で音楽大学卒のピアニスト、すでに1か月前、ピアニカの第一便を届けてくれて

子供たちはもうゆっくりですが、メロディーを弾けるまでになっていて、お母さんの一人は

毎日の練習でタイで毎朝夕流れる<国王賛歌>を弾けるまでに上達、さっそくの演奏に皆からの拍手喝采。

何もまともな教材もない学校にとって、子供たちだけでなく親にとっても今回の日本からのピアニカは

歓喜と興奮とともに迎えられたうれしいプレゼント。

今まで音楽教育も受けたことのない子供たちが、Wさんの指導でいつの日か子供たちが

合奏できる日が楽しみです。

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お贈りしたピアニカ以上にこちらが価値ある人生体験をさせてもらったラフ族の村訪問でした。

ラフ族の皆さま、Wさん、そして日本のピアニカを贈ってくださった皆様に

オブーチャ !(ラフ語のありがとう !)


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世界からの便り

主宰者プロフィール

ガチャマンダオーナー

大宅 一裕
(おおたく かずひろ)

1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)

1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)

1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)

1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)

1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)

1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる

2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中