香港島中央にあるコンベンションセンターで開催されている雑貨、おもちゃ、家庭用品など巨大見本市
MEGA SHOWでのこと。展示ブースの前で配られているサンプルを何気なく受けっとってみると得体の
知れないプラステッィックの輪っか、手のひらでくちゃくちゃやると変幻自在に形が変わる、ブースに入っ
て展示業者の女に子に<これいったい何?>と尋ねると<子供のストレス解消するおもちゃ>とのこと、
判ったような,判らないような答えに・・そのままサンプルをさらに何点かもらって立ち去ったが、オフィスに
帰って、カタログを見てびっくり、この商品すでに1981年にアメリカ人ザーウィッツ氏によって考案され900
0万個の売り上げ実績のある超ヒット商品Tangleであるとのこと。
さっそくネット検索してみると
タングル」は世界中で大人も子供も夢中になっているオモチャ。いくつものパーツを回転させたりし
て、遊び方を想像できるアートオブジェです。このタングルはクローム製。連結した曲線のパーツを回転さ
せてあなただけのオブジェを作ってください。パーツは17個ですが、生まれる形は無限にあります。デザ
イナーのリチャード・X・ザーウィッツは彫刻家、仏教徒、ヒッピー。ハワイ大学を卒業後、日本やチベットな
どアジアで自分探しの旅をする中でタングルをひらめき、自作の彫刻を基本にさまざまな素材のタングル
製品を発表しています。 効能はスロレス解消、禁煙にも役立つ・・・とのこと
プレスリリースには何とあのダライラマ師がTangleを手に取っている画像も掲載。
アマゾンを検索するとすでに売り切れ、しかも入庫予定なし・・・
そんなレア商品ならばあの見本市で誰彼となく湯水のように配りまくっていたサンプルは一体何だったの
かと??
益々このTangleなる商品の謎は深まるばかり・・・
どなたか日本でのTangle情報ご存知の方はおしえてくださいませんか・・・・
鈴木眞弓さんの<ベルリン旅物語>によれば <カリーブルストを食べながら、ビールを片手に
サッカーの話をすることがベルリーナーの日課>とのこと、そこでミーハーにもこのカリーブルスト
(ソーセージを焼いて秘伝のケチャップにこれまた秘伝のカレー粉をふりかけたベルリン名物
(
2~3ユーロ)を立ち食いでも、フードコートでもカフェででもビール片手に毎日食べ続けました。
(サッカーのことは無知ゆえ語れず)
この高カロリー、高タンパクの食事は体にいいはずがないのですが、ベルリンの空気に
ずっぽりはまった最高に美味なメニューでした。
ベルリン初日ホテルへの帰路偶然に立ち寄って気に入り毎晩通ったのが1930年開業の居酒屋
DICKE WIRTIN(デブの女将)店名のデブ女将はすでに他界してしまっているが息子たちが
母親の遺志を継いでやっていて今も大繁盛。ほとんどが常連のような客もビールを注ぐ
おっちゃんもウェイトレスも皆ベリリンっ子らしく粋でスタイリッシュ、壁の液晶TVでは
いつもブンデスリーグのベルリンチーム戦番組。
ここでも、一つ覚えのカリーブルストと地ビール各種注文、ついにガイド書にある
ウンターデンリンデン通りの高級レストランでのフルコースにも一回も行くことなく
3週間のヨーロッパ最後の夜もベルリン下町の居酒屋の喧噪の中、
相変わらずの定番ベルリンジャンクメニューで更けていきました。
翌朝6時起きベルリンから何と34時間を費やして翌日深夜神奈川県の自宅へたどり着き、
人生の区切りとなった3週間の欧州旅行を終了しました。
旅路の果て初めてのベルリンは感動的かつ魅惑的でした。
ミュンヘンから北上してきて観てきたドイツらしいメルヘンテッィックな中世の町、
ロマンティックな古城の町のイメージからかけはなれた躍動するアート、
音楽あふれる近代都市べルリンでした。
プロシア、ナチファッショ、東西分割、壁崩壊、東西統合、この200年
激動する現代史のはざまでこの都市は大変遷を遂げてきました。
それはあたかも極東の上海、香港、サイゴンの歴史にも似ていて、
ドイツの他のどの町にもないどこか世紀末の虚栄とデカダンスの
香り漂うときめきの都市のようにも思えました。
明治維新後、文明開化の日本は当時世界の最先端の文明国
プロシアから多くの学者、技術者を招請し、
また森鴎外を含む多くの留学生を首都ベルリンへ派遣しました。
舞姫を書いた鴎外の当時住んでいたルイゼン通りの下宿は
今は鴎外記念館として残っていました。
1920代ロンドン、パリとともにヨーロッパ代表するベルリンは
第2次大戦で70%を焼失、1961年からの東西分割、
89年の壁の崩壊後の東西ドイツ統合、首都移転、
そしてこの20年間世界中で上海と並んでもっとも土木、
建設工事が行われ変貌を遂げているエネルギーに満ちた都市でした。
昨年この地を訪問した友人のアドバイスに従い初日は日本語音声ガイド付き
観光バス(20ユーロ)で観光名所ブランデルク門、カイザーウィリヘム教会、
シャルロッテンブルク宮殿、ベルリン大聖堂、国会議事堂、ユダヤ博物館などを巡り、
2日目からは電車(Sバーン、Uバーン)の1日券(6.1ユーロ)を購入して
DEEPにベルリン探訪を行いました。
ハイデルベルク最後の夜は休養、睡眠充分にとり、翌朝は元気一杯で早起きし、
ハイデルク中央駅発7:55amのケルン行き特急ローレライ号に乗車、
列車は昔懐かしコンパーパートメント6人席1室。
他の同室客もなく二人でゆったり独占、列車はマンハイムからライン河沿いを走り、右側通
路の窓越しにライン沿いの町や古城が現れては消えていき、思わず
<なじかわ知らねど♪♪>と口ずさみなくなるようなまさしくローレライの世界
2時間半の乗車後、妻の35年前の留学先ボンで次のベルリン行きまで約2時間の
途中下車、ボン駅地下の大型コインロッカー(4ユーロ)へトランク2個、手荷物2個を預け、
駅裏の妻が下宿していた修道院寮、通った大聖堂、ボン大学、ドイツ料理に飽きて行った
中華食堂、本屋、望郷の思いいだいて眺めに行ったライン河畔などを駆け足で廻り
12:23ボン発のベルリン行きに乗車。
車両は最新のインターシティー特急、空が冬の鉛色に変わりつつある北ドイツの穀倉地帯
を走ること4時間半、首都ベルリンの威信をかけて2年前完成したガラス張りのベルリン中
央駅に到着。
そのまま駅前からタクシーでホテルへ(ドイツのタクシーのほとんどがベンツか
フォルクスワーゲン)
たまたま乗った旧式ベンツのタクシー運転手のベルリン生まれの青年はやけに愛想がいい、
英語で<Welcome to Berlin! ホテルまでは約15分かかります>
<日本のどちらから来られましたか?>
香港、時々チェンマイたまに湯河原&神戸などと本当のこというとややこしくなるので
<TOKYO>と答えておく・・・
<左に見えるのは1943年連合軍に爆撃されたカイザーウィリヘルム記念教会で
戦争のメモリアルとして今も残されています>
とか言って観光案内もやってくれる。
<第2次大戦でベルリンは空襲で70%焼失しました。日本も広島、長崎で原爆被害を受
けましたが東京は空襲を受けましたか?>
<前に見えるのはメルケル首相の所属するCDU(キリスト教民主同盟)本部ビルです。
メルケル首相を知っていますか?>
などと突っ込んだ質問もしてくる。
<ところで日本の首相はだれですか?>
これまた本当のことをいうとややこしくなるので
<FUKUDA>と答えておく。(9月19日現在)
<そうですか・・・知りませんでした>
日本の首相はすぐに突然辞めるので知らなくてもOK、OK・・・
そうこうするうちに車は10分でホテルへ到着、ハンス君自らホテルの中へ入って荷物用の
トローリーを取りに行ってくれるサービスぶり・・
長年の海外生活の経験上このように多弁のタクシー運転手やホテルのボーイ、盛り場の
ぽん引きには要注意なのですが、この運転手君はわずかなチップも受け取らず
<良い旅を!>とさわやかに去って行き、
こちらの疑心を恥じる結果になりました。
ベルリン訪問前に読んだ鈴木真由美さんの<ベルリン旅物語>によれば、ベルリン人は
気むずかし屋が多くベルリンを訪れた人は無愛想なベルリン人に接してドイツ嫌いになる
ことが多いとありましたが僕たちはこの彼のお陰で初日にしてベルリンが大好きになりまし
た。
ドイツの公衆トイレは駅でもドライブインでもほとんどが有料(0.30ユーロ~0.80ユーロ:50円~120円)
おっちゃんかおばちゃんがトイレの入口にいる場合とコインを入れて自動ゲート形式といろいろ。
フッセン手前のドライブインのトイレの前でポケットからコインを取り出そうとごそごそやっていたら
後ろから来たおっちゃんがこれ使えと50セントを差し出してくれました、思わず得意(?)のドイツ語で
<ダンケ!ダンケ!>
また日本のようにいたるところにコンビニや自動販売機があるわけではないのでミネラルウォーター
の購入もひと苦労、これも町の食料品店、スーパー、Bar,観光地の移動車、それぞれ値段が違い、
スーパーで50セント(80円)のペットボトルが観光地では2ユーロ(350円)、ホテルの冷蔵庫では
3.5ユーロ(600円)にまで跳ね上がってしまいますからご用心。
今回の旅でのミネラルウォーターの最安値はフッセンのスーパーマーケットでの1リットルボトル
54セント(85円)。
気温32度のミラノからアルプスを越えたミュンヘンは5度、あわててトランクからキルティング、マフラーを
取り出し冬装備、この寒さの中でも夕食にでかけたカールスプラッツのレストランの屋外ではドイツ人はコ
ートを着てビールを飲んでいました。
翌日、ミュンヘン駅のAVISで事前に予約していレンタカー オペルをピックアップ、
ロマンティック街道を経由し、2泊3日でハイデルベルク乗り捨てで保険フルカバー込、ガソリン代別で
239ユーロ。ガソリン代は90ユーロ(600km)
車にはナビ装備、英語の説明書片手に悪戦苦闘の末、操作完了、まず行先の住所を入力すると距離
数、走行方向のみが画像にでて、その都度、音声(英語)で指示あり、日本のように詳細な道路マップの
表示はないれど簡単明瞭、慣れれば至極簡単便利。ドイツの道路はアウトバーンも含め街道にいたるま
で道路環境は最高、標識も分かりやすく南ドイツの田園地帯を時速120km平均で走行でき、快適その
もの、そしてなによりどこの道路も通行料金無料。
ミュンヘンからロマンティック街道の北端フッセン(泊)ノイシュバインシュタイン城、シュバンガウ、
ランツベルク、アウグスブルク、ネルトリンゲン(泊)、ディンケルスビュール、ローテンブルクを周りながら
600kmのドライブ、街道沿いの町々はすべて中世そのままのメルヘンの世界、まさしくロマンテック街
道。街道の途中、気になる街があればそのまま進路を横道に入り、その町の中心の教会広場へ進行、
そのまま街中をドライブして行くもよし、駐車して探索、休憩、食事してもよし、気楽、気ままな旅ができる
のがレンタカーならではの魅力です。
ところがロマンティック街道を走る車中での我々ぐうたら夫婦の会話は
「今晩の夕食はどうする・・」とか
「そろそろユーロのキャッシュがなくなりかけてる・・どうしよう」とか
「次のトイレ休憩はどこにする・・」とか
ロマンテックとは程遠い超低次元の話題ばかり・・・
それでも何とか無事故、無違反で無事なつかしの大学町ハイデルベルクへ到着し、
早速、目抜きとおりハウプトシュトラーゼの学生ビアホールへくりだし学生たちにまじって乾杯!
今回の旅行中初めての雨のミラノでした。
それも朝から雷雨。
1週間前いつもイタリアでなにかとお世話になっている阪神トラベル ローマ
の小貫さんにお願いしていたミラノでのレオナルド ダビンチの最後の晩餐
拝観の予約が取れていたので、雨の中 サンタアリア デッレ グラッツェ教
会脇の展示館まで行ってきました。
もともとの壁画は修道院の食堂の正面上部に描かれたもので今はこの作
品のみの立派な展示館になっていました。
10数年前来た時は早い者勝ち、長い行列の末の入場で壁画も修復中でし
たが、今では修復も完成、建物も新装され、拝観も完全予約制になったと
か、予約カードを受付に提示し、12時45分の入場券と交換し、
並ぶことなく20人ほどのカナダからの団体観光客の人たちといっしょに入
場。20年かけて修復された天才画家の壁画を日本語説明端末を聞きなが
ら15分間ゆっくり拝観できました。
端末での細部までの説明で作品の素晴らしさ、巨匠レオナルド ダビンチの天才たるゆえんを
理解できたような気になりました。(館内は撮影禁止、下記画像は絵葉書から・・・)
午後お訪ねした三井物産イタリーの大竹さんのお話では通常最後の晩餐
の日本からのインターネット予約では6が月待ちもあり、闇価格は数万円で
でも流通しているとか・・・
1週間前に申し込んでチケットが取れたことは超々ラッキーとのこと、
あらためて小貫さんのご尽力に感謝。
2000年以上前の史跡の中で生活するイタリアでは、年々劣化していく建造
物、美術品の修復が各地で必要となってきます。
そしてその修復費用のスポンサーになっているのが政府ではなく一般企
業、銀行が利益の社会還元の一貫として行っているとのこと。
この最後の晩餐の20年にも及ぶ修復にはオリベッティ社がスポンサーにな
ったことが入口のパネルにも掲示されていて、会社の決算が赤字になった
年も社会的責任において資金協力を続けたとのこと。
現在外部を修復しているミラノ大聖堂ドウモも美観をそこなわないように本
来あるはずの建物の写真幕で周囲を覆い、やはりスポンサーになっている
ESPRIT社のマークが掲げられていました。
ボローニアでも市内各所に修復中の遺跡が写真幕で覆われ ボローニア
銀行の社名とともに現在8つの遺跡の修復中であると掲示されていました。
井上ひさし氏の<ボローニア紀行>によればローマのコロッセオはローマ
開発銀行財団が、ベネッアのグラッソ宮殿はFIAT社がスポンサーになって
修復されたのこと。
そしてバチカン美術館内のシスティーナ礼拝堂の最後の審判の大壁画の
修復のスポンサーはわが日本の日本テレビ社が行ったことは今回、ピタウ
大司教様そして現地日本人ガイドの佐藤さんから初めて知った情報で、先
日のフィレンツェの大聖堂の落書き事件とは対照的に日本企業がイタリア
(バチカン)の世界遺産の修復に貢献していることに日本人として少し誇ら
しく思いました。
明日からは再びドイツ ミュンヘンに戻り、レンタカーでロマンテック街道を
北上の予定です。
1週間、大学の恩師ピタウ大司教のご案内で師の故郷サルディニアからバ
チカン、ローマ、アシジ、フィレンツェと30名の同窓ご家族の皆さまとのツア
ーに参加させていただき感動、感激の旅を終えふたたび夫婦二人となりボ
ロニアに入りました。
街は37kmに及ぶ天井付き歩道ファサードが巡らされ、歩けば中世そのまま
の文化と学芸の町ボロニア、この町を拠点に20年前独立したころ、Carpiと
いうニットの町へセーターの買付に通っていたことがあり、懐かしのボロニ
ア再訪を井上ひさし氏の<ボロニア紀行>を片手に果たしました。ヨーロッ
パの石造りの町並みはいつ行っても変わることなく重厚な歴史の時空間へ
迎えてくれます。
街の中心はマジョーレ広場にある SAN PETORONIO寺院の後、ドミニコ
修道会の本山 SAN DOMENICO教会へ行き<ボロニア紀行>にあるミケラ
ンジェロ作の彫像、モーツアルトに弾いたパイプオルガンを親切なガードマ
ンのおっちゃんに尋ねながら見学。そして以前からどうしても果たしたかっ
たボロニアの町にそびえる石の高楼ツインタワー THE DUE TORRIの
498段の年季の入った木製階段を息ゼイゼイ、足ガクガクで昇り、そこから
眼下に360度拡がるボロニアの町の全景を見ることができました。
今回の旅でバチカンのサンピエトロ寺院、フィレンツエのドーモ、そしてボロ
ニアの高塔を最高階まで踏破(?)でき積年の思いを人生最後のヨーロッ
パツァーで遂げることができました。
<馬鹿と煙は高いところに昇る>の言葉通り、立派に馬鹿の証明もここイタ
リアでも果たしました。
ボロニアの町には中世の古い建物を利用した美術館、博物館が各所にあ
ります。たとえ改修する際も外観は中世のまま残し、内装は現代イタリアデ
ザインが施された施設が多くあります。
そのひとつマジョーレ広場に隣接する Palazzo Communale、400年前から
集会所、学校、体育館などに使用されていましたが、今では見事な近代的
デザインの改修がなされ図書館として多くの市民に利用されていました
<ボロニア紀行>にあるようにボロニア市民は中世の古い町を残すことで
過去の歴史を共有し現在の財産とし、その精神も共有しながら生活して
いることを実感しました。
話は古くなりますが映画<ひまわり>でロシアへ出兵するマストロヤンニと
妻ソフィアローレンが最後の抱擁するシーンのミラノ中央駅。70年前ムッソ
リーニ時代に建造された大理石の重厚壮大な建物。

ミラノ中央駅10:00am発ナポリ行きES(ユーロスター)ファーストクラスに乗
車。車内はシックなイタリアンデザイン。飲食できるBAR車もあり。
(でも内装設備は新幹線グリーン車のほうが数段上)
無料の飲み物、スナックのサービスもあり、ボローニア、フィレンツェに停車し、ローマまで4時間半、
車窓からイタリア中部ロンバルディア平原を見ながらの快適な旅。
これも映画<終着駅>の舞台となったローマテルミニ駅到着は定刻14:3
0、今回の旅はじめてタクシーを利用し、ローマでいつもお世話になってい
るバチカンのサンピエトロ広場に隣接している女子修道院
<Istituto Maria SS.Bambina>にチェックイン。
修道院ゆえ門限は23時、館内は禁酒、禁煙、禁放歌高吟、禁不純異性行
為。
それでも1泊朝食付きひとり55ユーロ(税サ込9000円)は今回の旅のホテ
ルの中では超最安価。
にこやかにほほ笑むイタリア語しかしゃべらない老シスターの案内で部屋
へ、テレビも冷蔵庫もないけれど部屋はひろくバスタブもあり快適そのも
の、隣の聖ペトロ寺院からの鐘の音が四六時中流れきてバチカン情緒いっ
ぱい。
早速徒歩3分のカトリック大本山、聖ピエトロ寺院拝観、ここでもセンサーで
持ち物、身体検査。寺院内は多くの観光客でうまり、壮大な装飾にいつもな
がら感動、それにもましてラッキーだったのは今回タイミングよく正面大祭
壇での17:00からのラテン語のミサに参列させていただいたこと。
さすが本家本元、聖歌隊のおっちゃんのテノールにも荘厳なパイプオルガ
ン音色にも深く心打たれました。

イタリアへ空路北から入る楽しみは眼下に拡がるスイスアルプスの大パロラマが
堪能できること、そのために座席は窓側、ただし翼の上以外のリクエストがおすすめ。
昨日はあいにくアルプス上空は曇天、それでも雲の合間からいくつもの峰々が顔をだしていましたが、
ここでも、山頂付近の万年雪は少なくなり黒い地肌が表出し、地球温暖化の影響は年々加速度的に進行していることが分かります。
EUからのミラノ到着は3つある空港のうちのマルペンサ空港、EU間の移動はパスポートチェックが
なくなり国内移動のようにそのまま荷物をピックアップし入国、列車マルペンサエクスプスで(11ユーロ)
30分ミラノ北駅に到着。
ホテルチェックイン後、地下鉄でまず大聖堂のあるドーモへ、昔はフリーパスだった聖堂への入場も、今は手荷物、身体チェックあり、これもテロ以来の世界標準システム。
その昔、夢を追ってここミラノのファッション、靴、バッグの展示会へ頻繁に出張していたころ、この大聖堂にもよく訪れ、夢の満願成就を祈っていましたが、残念ながらヨーロッパビジネスの夢は完遂できずアジアの藻屑と化したビジネス人生でしたが、今日こうしてまた大聖堂に再訪できたことを伽藍サイドにある小祭壇にロウソクを捧げ目を閉じ頭を垂れ感謝の祈りをしているとあのころのことが脳裏を駆け巡り、熱いものが湧いてきました。
聖堂を出ると広場は観光客でいっぱい、観光客目当ての物売り、大道芸人、すり、かっぱらいの間を抜けてガラス天井ショッピング通り<ギャラリア>、スカラ座前を通り。昔の定宿ホテル デラビレそばのよく通ったレストラン Di Gennaroで今回の旅はじめてのイタリアン想い出ランチ。
![]()
フランクフルトより特急列車ICEで南ドイツののどかな田園地帯を走ること3時間
バイエルン州都ミュンヘンに到着。駅前ホテルではインターネットサービスがないため
今後のことも考えネットで無線ラン契約(1か月ー29ユーロ:消費税19%込)
ミュンヘン観光のメッカ、市庁舎の仕掛け時計、本日最後の18時からの演奏を観に、
地下鉄でマリエン広場へ、まだ20分前なのに広場は演奏を待つ人でいっぱい。
やがて18時の時刻を告げる鐘の音とともに人の大きさの仕掛け人形が動き出し、見物客は
歓声をあげ一斉にカメラを上に向け撮影。約10分間で演奏終了。
夕食は1589年創業のビアホール<ホーフブロイハウス>へ・・体育館のような大きさの店は屋内も中
庭もすでに満員、なんとか空いていた席に座りチロル服のウエイトレスに黒ビールとソーセージを注文。
やがて運ばれてきたビールは持ち上げるのもずっしりの1リットルジョッキ、それをウエイトレスたちは
4つも5つもいっしょに運んでくる。
席は木むきだしの長テーブルとベンチ、テーブルクロスもなく一面落書きだらけ、まるで学生食堂
これも400年の歴史?
場内では楽団がドイツのアップテンポの曲を演奏し、客は飲み、食い、歌い、踊り、場内騒然、興奮のる
つぼ。
香港で上品におしとやかに育っている僕のささやくような声はで打ち消されてしまい思わず絶叫状態に、
周りの同席の学生たちといしょに曲に合わせ手拍子、足拍子でハイテンションになり、
すっかりいつもの居酒屋気分の乗りでミュンヘン第一夜は更けていきました。
翌日は市内散策を兼ねて美術館、博物館巡り、ミュンヘンには数多くの世界級の展示施設があり、
普段見る機会の少ないドイツ絵画やドイツの誇るベンツ、BMWなどの歴史的展示物をゆっくり
鑑賞することができました。
大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(?1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中