ハイデルベルク最後の夜は休養、睡眠充分にとり、翌朝は元気一杯で早起きし、
ハイデルク中央駅発7:55amのケルン行き特急ローレライ号に乗車、
列車は昔懐かしコンパーパートメント6人席1室。
他の同室客もなく二人でゆったり独占、列車はマンハイムからライン河沿いを走り、右側通
路の窓越しにライン沿いの町や古城が現れては消えていき、思わず
<なじかわ知らねど♪♪>と口ずさみなくなるようなまさしくローレライの世界
2時間半の乗車後、妻の35年前の留学先ボンで次のベルリン行きまで約2時間の
途中下車、ボン駅地下の大型コインロッカー(4ユーロ)へトランク2個、手荷物2個を預け、
駅裏の妻が下宿していた修道院寮、通った大聖堂、ボン大学、ドイツ料理に飽きて行った
中華食堂、本屋、望郷の思いいだいて眺めに行ったライン河畔などを駆け足で廻り
12:23ボン発のベルリン行きに乗車。
車両は最新のインターシティー特急、空が冬の鉛色に変わりつつある北ドイツの穀倉地帯
を走ること4時間半、首都ベルリンの威信をかけて2年前完成したガラス張りのベルリン中
央駅に到着。
そのまま駅前からタクシーでホテルへ(ドイツのタクシーのほとんどがベンツか
フォルクスワーゲン)
たまたま乗った旧式ベンツのタクシー運転手のベルリン生まれの青年はやけに愛想がいい、
英語で<Welcome to Berlin! ホテルまでは約15分かかります>
<日本のどちらから来られましたか?>
香港、時々チェンマイたまに湯河原&神戸などと本当のこというとややこしくなるので
<TOKYO>と答えておく・・・
<左に見えるのは1943年連合軍に爆撃されたカイザーウィリヘルム記念教会で
戦争のメモリアルとして今も残されています>
とか言って観光案内もやってくれる。
<第2次大戦でベルリンは空襲で70%焼失しました。日本も広島、長崎で原爆被害を受
けましたが東京は空襲を受けましたか?>
<前に見えるのはメルケル首相の所属するCDU(キリスト教民主同盟)本部ビルです。
メルケル首相を知っていますか?>
などと突っ込んだ質問もしてくる。
<ところで日本の首相はだれですか?>
これまた本当のことをいうとややこしくなるので
<FUKUDA>と答えておく。(9月19日現在)
<そうですか・・・知りませんでした>
日本の首相はすぐに突然辞めるので知らなくてもOK、OK・・・
そうこうするうちに車は10分でホテルへ到着、ハンス君自らホテルの中へ入って荷物用の
トローリーを取りに行ってくれるサービスぶり・・
長年の海外生活の経験上このように多弁のタクシー運転手やホテルのボーイ、盛り場の
ぽん引きには要注意なのですが、この運転手君はわずかなチップも受け取らず
<良い旅を!>とさわやかに去って行き、
こちらの疑心を恥じる結果になりました。
ベルリン訪問前に読んだ鈴木真由美さんの<ベルリン旅物語>によれば、ベルリン人は
気むずかし屋が多くベルリンを訪れた人は無愛想なベルリン人に接してドイツ嫌いになる
ことが多いとありましたが僕たちはこの彼のお陰で初日にしてベルリンが大好きになりまし
た。
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大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(?1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中