
鈴木眞弓さんの<ベルリン旅物語>によれば <カリーブルストを食べながら、ビールを片手に
サッカーの話をすることがベルリーナーの日課>とのこと、そこでミーハーにもこのカリーブルスト
(ソーセージを焼いて秘伝のケチャップにこれまた秘伝のカレー粉をふりかけたベルリン名物
(
2~3ユーロ)を立ち食いでも、フードコートでもカフェででもビール片手に毎日食べ続けました。
(サッカーのことは無知ゆえ語れず)
この高カロリー、高タンパクの食事は体にいいはずがないのですが、ベルリンの空気に
ずっぽりはまった最高に美味なメニューでした。
ベルリン初日ホテルへの帰路偶然に立ち寄って気に入り毎晩通ったのが1930年開業の居酒屋
DICKE WIRTIN(デブの女将)店名のデブ女将はすでに他界してしまっているが息子たちが
母親の遺志を継いでやっていて今も大繁盛。ほとんどが常連のような客もビールを注ぐ
おっちゃんもウェイトレスも皆ベリリンっ子らしく粋でスタイリッシュ、壁の液晶TVでは
いつもブンデスリーグのベルリンチーム戦番組。
ここでも、一つ覚えのカリーブルストと地ビール各種注文、ついにガイド書にある
ウンターデンリンデン通りの高級レストランでのフルコースにも一回も行くことなく
3週間のヨーロッパ最後の夜もベルリン下町の居酒屋の喧噪の中、
相変わらずの定番ベルリンジャンクメニューで更けていきました。
翌朝6時起きベルリンから何と34時間を費やして翌日深夜神奈川県の自宅へたどり着き、
人生の区切りとなった3週間の欧州旅行を終了しました。
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大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中