沖縄彷徨

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30年前日本を離れこれまでアジアのほとんどの国に行ったけれど日本国内ではまだ行ったことのない県がいくつもあり、今回その中のひとつ沖縄に初めて香港から台北経由で行ってきました。香港から飛行時間2時間ちょっと、スペシャル運賃で2000香港ドル(約24000円)と羽田からよりは至近で格安であることを発見。
那覇空港を降りて外にでると体を包む湿潤な空気、町中に咲き乱れるブーゲンビリア、市場ではパイナップ、バナナが安く売られまさにここは香港、台湾同様のアジアモンスーン地帯。

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事前に読んだ数冊の沖縄書からこの島は15世紀から東南アジア、中国との交易で繁栄し、文化の影響も大、地酒となっている泡盛のもち米を原料とする製法もタイからの伝播。
町角のあちこちに建てられている石柱<石敢當>も中国の陰陽道の厄除け目的、首里城もその城壁も中国北京の故宮、万里の長城のミニチュア版。その中で独自の文化、芸術を
開花させていったとのこと。

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誤解を恐れずにいえば現代史における沖縄の悲劇は明治維新の廃藩置県で日本に帰属してからでは?無理に遠く離れた日本化に向かわずに地理的にも文化的にも近似の台湾、琉球諸島といっしょに同じ文化圏、経済圏を構築していたほうがあの悲惨な戦争もさけることができ、米軍基地問題も回避でき、経済発展してたのではと独り思いを巡らしながら修学旅行生で賑わう国際通りをホテルへと向かいました。

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世界からの便り

主宰者プロフィール

ガチャマンダオーナー

大宅 一裕
(おおたく かずひろ)

1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)

1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)

1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)

1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)

1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)

1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる

2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中