
3週間の日本滞在を終え香港に帰国しました。
週末から街で多くの日本人観光客を見かけると思っていたら日本はSILVER WEEKですね。
昨日の日曜日、朝から久々に近くのビクトリアパークへでかけ朝日を浴び南洋樹林の中を海風を受け
ゼーゼーいいながらの1時間のジョギングでなんとか心身ともに香港モードにシフトチェンジできました。
ところが昨日は公園の中央広場がすっぽりと頭からスカーフを被った数千のインドネシア人の女性で
埋め尽くされている。彼女たちは皆香港への出稼ぎのホームヘルパー。
これは何事かと聞いてみると断食明けのハリラヤプアサの祝日のセレモニーが開催されるとか・・・
それにしてもメッカを思わせるような大集会、すでにここは中国特別自治区。
中国本土ではまだ宗教、集会の自由がままならないのに香港ならではの宗教イベントを見ることができました。
帰宅しシャワーを浴びて、そのままセントラルにある香港で最古の歴史のあるセントジョン大聖堂の
英語ミサへ直行、ここも香港人他多くの欧米人、それより多いフィリピン人のホームヘルーパーの女性た
ちといっしょに国籍を超えた国際都市香港ならではの感謝の祭儀に与りました。
アジアNO1の金融街も日曜日は閑散としていますが、一歩セントラルのほうへ行くとそこは
フィリピン人ホームヘルパーの集いの場所、そこはまるでリトルマニラ。
そのような異質の外国人の文化、習慣もすべて受け入れてガラガラポンして経済発展のエネルギーに
昇華してきたのが香港の活力の源だったように思えます。
香港人の女性のほとんどが結婚しても出産しても働き続けることができるのは家庭を支える彼女たち
外国人ホームヘルパーのお陰です。外国人の労働ビザに厳しい香港政府も彼女たちホームヘルパーに
は優先的にビザの発行をして香港人女性の労働環境をサポートしています。
(それはシンガポール政府も同様です)
日本も同じように外国人のホームヘルパーを受け入れれば日本人女性の社会進出を促進できるので思いますが、
上野公園に少しイラン人が増えたからといって気味悪がったり、治安が悪くなると懸念する島国日本の
国民性には
外国人労働者の増加政策はなかなか馴染まないかもしれませんね。
大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中