
関西の高級住宅地といわれている<芦屋>で僕は10歳から19歳の間
世にいわれる<芦屋のぼんぼん>たちに囲まれて非ボンボン的少年時代を過ごしました。
19歳の時の父親の急死で一家は芦屋からの転居を余儀なくされ今まで以上の貧乏生活に突入しその金欠基調の人生は今にいたるまで継続しています。
芦屋からの転居以来、故郷芦屋との関わりはそのまま途絶えてしまっていましたが、今年初めタイでの絵本図書館開設にご協力いただいたT夫人から芦屋国際交流協会(ACA)の皆様をご紹介いただき5月日本帰国の際、ACA事務局でチェンマイの山里のプーディン小学校での活動をお話しさせていただく機会で是非とものチェンマイご来訪をお願いしたところ、話しはとんとん拍子に進展し、この度 稲鍵会長夫妻はじめ10名の役員のかたがたにプーディン小学校を訪問していただくことになりました。
時はおりしも、秋最大のセレモニーロイカトンの日、学校では生徒たちのロイカトンの演奏と踊り、そして父兄が前々日から作った祭りの日に水に流す花灯篭カトンが全員に献上され、熱烈歓迎式典で迎えられました。
またACAの森女史がわざわざ日本からお持ちいただいた平安時代の狩衣をまとっての厳かな笙の演奏をご披露いただき、初めて聴く妙なる調べは先生、父兄、生徒たちの大喝采を受けました。
式典の後、校庭に出て、各人が思い思いの願いを書いて紙気球を秋空高く飛ばしました。
人生巡り巡っての今回の故郷芦屋との奇縁、とても故郷に錦は飾ることはできないしがない人生でしたが、今回チェンマイの山里に故郷芦屋との友好交流の一粒の種が蒔かれたような気がする感慨深い1日でした。
12月28日のブログでご報告したタイ北部のプーディン小学校で植樹し、父兄の作った竹の柵で大事に囲われていた桜の苗木、夏休みの今でも生徒たちが当番制で水やりのお世話のお陰で、雨期になり気温も40度近くなり、桜にとっては厳しい天候の日々になっても13本中9本は元気に1mの高さにまで成長しています。
今までの最長生息記録を日々更新中、この南の山里での桜吹雪を夢みながら、先生、生徒、父兄そして日本人の我々もどうか無事成長してほしいと希望しています。
5年前から交流を続けているプーディン小学校へ定期奨学金(HIVで親を亡くした生徒への奨学金)を届けに日本からの友人たちと行ってきました。

今回は東大サッカー部のヒデ ナカタ(?)こと倉林啓士郎コーチのサッカー教室も開催し、休日にもかかわらずいつものように男子生徒のみならず、女生徒、父兄も大勢、校庭で待っていてくれました。
奨学金と文房具の授与と卒業する6年生二人への記念品贈呈のあと、いよいよサッカー教室が始まり、倉林コーチの指導のもと、以前所沢少年サッカークラブの辻 稿一氏寄贈のコーンを使ってのドリブル、パス、シュートの練習、生徒は誰も日本のようにユニフォームもスパイクも持っていません(半数はぞうりか裸足)が、ムエタイ仕込みの鋭いシュートを連発していました。
その後、2組に分かれてのミニゲーム開始、ユニフォームがないので裸チームとTシャツチーム(判りやすくていい)、皆フォーメーションも何も関係なく、石ころだらけのグラウンドで全員で一心にボールを追ってゲームセット 2-1で裸チームの勝利
昼食は休日で給食がないのでチェンマイから買ってきたカップヌードルに女生徒たちが沸したお湯を入れてくれ、
生徒代表の6年生モンメンちゃんから<今日も日本からプーディン小学校へ来ていただいて有難うございました>との挨拶のあと
全員でわいわいがやがやいいながらの昼食を終え、日本語で<アリガトウ><サヨナラ>と言って手を振る生徒たちに送られて小学校を後にしました。
この日もいつものように心に残る訪問となりました。
山形のJFC石井農場の石井さんから寄贈いただきチェンマイ郊外のプーディン小学校で生徒といっしょに2週間前に植樹した桜の苗木、生徒たちが毎日、この日本からの貴重なプレゼントをそれぞれ担当を決めてやさしく、いとおしむように水をやって育ててくれているお陰で、早くも緑の新芽が芽吹き始めたとのメッセージが画像とともに送られてきました。
南国チェンマイの山里でも今は朝夕気温15度くらいで桜には最適、これから次第に暑くなっていく桜に不適といわれている熱帯の気候にも力強く成長し、やがて満開の桜並木を見れる日を夢見ています。
山形JFC石井農場の石井さんのご好意でわけていただいた桜の苗木を友人の伊倉良子さんにチェンマイまでお持ちいただき、朝晩肌寒くなったチェンマイ郊外の山里のプーディン小学校で植樹を行いました。
校庭の正面一列にあらかじめ掘っていただいていた穴に子供たちといっしょにスコップを持って肥料を下地に13本の苗木(その品種は美和、希望、初夢吹雪)を早く大きくなれと皆で念じながら植え込み、水もたっぷり注ぎ、事前に父兄の方々が山から切ってきた竹で作った囲いをローマ字で書いた品種のプレートを添えて設置し、それぞれの苗木の前で記念撮影を行いました。
今まで何度か試みた桜の植樹でしたが残念ながら根付かせることはできませんでしたが、今度こそ無事芽吹きいつの日か日本から4000km離れたこのチェンマイの山里の校庭での桜吹雪を夢見ながら、小学校を後にしました。
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大分県の一品一村運動をモデルとした、タイ政府が推進しているOTOPプロジェクト.タイ国全土でのタイ伝統の手工芸品の技術にタイ政府が商品開発、デザインをバックアプして国内外市場に販売促進までしようとする国家プロジェクト。
交流しているプーディン村の村長さんからの依頼で、バンコク在住のデザイーと共同で村にアクセサリー工房を立ち上げたのが2年半前、国内外のデザイナーの協力を得て天然石とシルバーで生産した村の商品を僕もいちセールスマンとしてヨーロッパ、タイ、香港、日本の展示会で出展営業のお手伝いをさせていただき、お陰様で何とか軌道に乗りはじめ、農業しかなかったこの村の新たな雇用を創生することが出来、今まで外へ出稼ぎに行っていた若い女性も村に留まって働くチャンスができるようになりました。
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この度、日本でコムテック株式会社の宮倉さん。吉田さん、P2D2社の、木元英俊さん、木元主基さん、くりかみ まりさんの懸命の努力で開店までこぎつけた、楽天市場サイトにも村の工房で制作したアクセサリーを多数掲載いただくことになりました。
工房の女性たちは日本語は読めませんが、憧れの日本のきれいなサイト画面に自分たちの作ったアクセサリーが掲載されているのを見て<スワイ マクマク 超キレイ>を連発して大喜びです。
皆様も機会があれば是非 ユメ ギャラリーマリリン (ここをクリック)へアクセスいただきご意見、ご感想いただければ幸いです。
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(もしご注文いただければ、もっともっと幸いです たとえサクラの方でも)
タイ北部の村プーディン小学校のHIV(エイズ)で親を亡くした子供たちを支援するプーディン小学校基金を始めてから丸3年が経ちました。
この間延べ452口の個人、グループ、法人の皆さんからの善意の募金が集まり、3年に渡り延べ46人の生徒の奨学金、生活費、通院費として寄付させていただき、その都度子供たちから感謝の手紙と絵をいただいてきました。
また250人を超える友人の皆さんが小学校を訪問していただき、子供たちや村の人たちと友好の輪を拡げてくださり相互の心の絆ができたことが大きな収穫となっています。
この度、子供たちから贈ってもらった絵を職人ウィラポンが2007年の卓上カレンダーに製作しましたのでご希望の皆様にプレゼントしたいと思います。
ご希望の方は右上の掘り出し物 この商品を買う(象さんマーク)からお申込みください。
勿論、カレンダー、送料ともすべて無料でお送りさせていただきます。(ただし、日本での発送となりますので、年明け1月となりますことをご了解ください。)
カレンダーの絵から子供たちの笑い声と村のそよぐ風が伝わってくるようです
ハワイ在住 Rさんのハワイ通信 右の<世界からのたより>に掲載しました。
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先週のタイ北部、プーディン村での日本からの若い2人のお嬢さん(HちゃんとYちゃん)のホームステイでの滞在は、2泊3日の短期間ではありましたが、村にも小学校にとってもビッグイベントでもあり、彼女たちにとっても人生の宝となる経験だったようです。
初日、小学校の講堂では全校生徒80人、先生、父兄からの熱い歓迎を受けました。まずは女生徒による歓迎のタイ舞踊、そしてタイ民族楽器の演奏、そのお返しとしてのHちゃん、Yちゃんふたりの縦笛と合唱での<里の秋><ふるさと>の澄んだ音色と歌声が講堂に響き、生徒たちもうっとりと聴いていました。
その後の折り紙教室も彼女たちの周りに多くの生徒たちが集まり、かぶとと鶴を教えてあげ、手先の器用なタイの子供たちはすぐに上手に折れるようになり、自分の作品を大事そうに持ち帰りました。
2人のホームステイ先は小学校6年生のモンメンちゃん(タイ語のニックネームでどろんこ娘の意味、大きくなってきたらちょっとかわいそうな名前)の家、トイレもシャワーも外の小屋の典型的なタイの質素な木造農家、さっそく2人は子供たちに連れられて近所の沼へ水浴びを兼ねた水遊びに、夜は農作業から帰った家族といっしょに床に料理を置いて車座になっての夕食、そして近所の子供たちも集まり、楽器や指さしタイ語の本を差しながらタイ語を教えてもらったり、日本語を教えてあげたりの楽しい国際文化交流のうちに夜はふけて行きました。
翌日は家族全員でオートバイにリヤカーを曳いてのオープンサイドカーで畑へ行っての稲刈り開始、HちゃんもYちゃんも日本で農業経験があり、農作業はお手のもの、ただし、タイの暑さは日本と勝手が違いかなりの苦行となりましたが、どの国の農民も農作業をいっしょにすると心はひとつになり、現場に神宿る、お互い不思議な一体感が生まれ、みんなすっかり仲良くなっていました。
夜は小学校で星降る夜空の下、キャンプファイアの宵(前号で既報)
3日目の午前中も農作業を手伝い、昼食は小学校で生徒たちとチェンマイ名物のカレーうどん カオソイの給食をいっしょに食べ、その後、校長先生が校庭で全校生徒を集めてのお別れ会、校長先生の2人の訪問に対しての感謝と惜別のあいさつに続きふたりへ村の名産タイコットンのマフラーと新米がプレゼントされ、ホストファミリーのお母さんトイさんからは、家族になった証の綿のイサンガを結んでもらい、短かったけれどお互いの心に深く残るホームスティを終え、生徒の中には号泣する子もいて、みんな涙のうちに村をあとにしました。(ウルルン滞在記のあの涙の別れのように)
それにしても村の子供たちは、うれしいときは満面の笑みをうかべ、悲しいときには純粋に涙する、本当に素直ないい表情で応えてくれる。
チェンマイに戻ってからの宿帳にYちゃんの手記には
<モンメンちゃんも家族のみんなも、近所の子供たちもみんなきれいな顔だった。みんなどの子も愛らしい笑顔だったし、大人の人たちも同じ笑顔だった。
すてきな人たちの暮らすあの村で自分が唄えたことに感謝します?>
(Yちゃん無断転載ごめんね)
タイ北部、チェンマイ郊外のプーディン小学校と交流を始めて4年
その間、幾度となく、夜のキャンプファイアの集いに招待いただいていたのですが、なかなかタイミングがあわなかったり、夕方から出かけるのも億劫になったりして不義理を続けていました。
昨夜、村へホームスティし稲刈りを手伝いに日本から来られている友人の小川さんと日本の学生の皆さんのためにキャンプファイアをしたいので、是非とも出席してほしいとの校長先生からの暖かいお誘いに、今度こそは何としてもと意を決して、スタッフといつも小学校との交流で翻訳、通訳を務めてくれているラチャパット教育大学日本語学科の学生たち総勢11名とマイクロバスで駆けつけました。
校庭では、すでに先生、父兄、生徒(今回は5年、6年生 24名)がキャンプファイアの焚き木の準備、バーべキューのための下ごしらえ、会場の設営などすでに済ませ、待っていてくださいました。
陽が沈み、月が昇る頃、焚き木に火がつけられ、みんな、ござの上に車座になって地の新鮮な素材のバーべキューをほおばり、僕たちは先生がどこからか持ち込んできたタイウィスキーをグビグビに飲みながら、学生や子供たちの笑い声の中、超ブロークンのタイ語でぎゃぁぎゃぁやっていると酔いが回り、ここが小学校であることを忘れ居酒屋気分になリ、すっかりくつろいでしまっていました。
中央の組まれたかがり火が高く燃え盛り、子供たちの民族音楽の演奏をバックに、これまたホロ酔い気分の先生が民謡を歌い始めると、みんな輪になって手をくねくねしながらのタイダンスをまるで盆踊りの乗りで始めました。我々日本人も踊りの輪に引きずりこまれ、僕はその昔、ディスコキング(???)といわれた得意のステップをご披露と思ったのですが、酔いのせいか、年齢のせいか、足がもつれ、とんだタコ踊りになってしまい、周りのキャッキャッの嬌声の中、大人からは失笑を買いましたが子供たちには結構大受けのようでした。
大学生たちは日本語で<踊るポンポコリン>を踊りながら歌い、
(総じてチェンマイの大学生はあまり酒を飲まずいつもコーラだけで大騒ぎ、ちなみに喫煙はほぼゼロ)
フィナーレは同窓の僕と小川さんが母校の校歌を全員の手拍子にあわせてアカペラで高らかに(?)自己満足的に謳いあげました。
最後は消えかかった残り火を囲み、全員が手をクロスに組んで輪になって体を左右に揺らせながら<蛍の光>を歌ってお開きとなりました。
(タイでこの種のパーティの最後はいつもこの手を組んでの<蛍の光>の儀式のようです)
宴の後、さえぎるものがない村の澄んだ夜空には月が輝き、満天に降るような大きな星空が広がっていました。
楽しいキャンプファイアに参加できた喜びもさることながら、このゴージャスな星空が見れただけでもわざわざ村まで来た甲斐が充分ありました。
チェンマイの小学校は今月末までは秋休みです。
25年来お世話になっているS夫妻が2度目の小学校への訪問をしていただき、今回は日本でも子供たちの絵画、工作教室を主宰されているS夫人の工作教室をプーディン小学校でやっていただくことになりました。
事前に校長先生に生徒40名の召集をお願いしていましたが、当日先生、父兄を含め70人以上の村の人たちが、休み期間にもかかわらず、集まってきていただき、急遽教材を増作し、早速、教室の開始。
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まずは、ストローと牛乳パックを使っての紙コプターと紙の皿の中心をくりぬいた輪投げ作り、パックを切った羽や紙皿に絵の具やクレヨンで生徒各自が思い思いの絵を描いて作品が出来上がり、早速校庭へ出て、色とりどりの紙コプターを宙に飛ばしたり、チームにわかれての輪投げ競争、校庭に子供たちの歓声が響きました。
午後からはダンボールに絵を描いてのお面作り、手先の器用なタイの子供たちは嬉々として1時間足らずで、個性豊かなお面が出来上がりました。中にはあっと驚くような作品が。どこにもピカソの卵がいますね。

最後に生徒が自分たちの作ったお面をかぶっての一足早いタイのハロウィン記念撮影。 子供たちの日本語での<サヨナラ>の声に送られて小学校を後にしました。
クーデターも戒厳令も関係のない静かで平和な時間が村の小学校に流れていました。
プーディン小学校支援の<プーディン基金>のご案内はこちらをご覧ください。
プーディン小学校基金はこちらからご案内させていただいています。
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チェンマイのタイ人スタッフの田舎で、村のおばちゃんが畑を売りたいとの情報があったのが3年半前、早速現地を見て即断で購入したのが4000坪の150本のロンガンの苗木が植わった果樹園。
すぐにどうこうするつもりのないまま,将来のために効率は悪いが自然のままの無農薬農園を始めることになりました。
草取り、水やりの世話はスタッフの親戚にお願いし、とりあえずはチェンマイ訪問いただいた友人、知人に畑の周りにチークの苗木を植えてもらいはじめ、2年間ですでに120本に達し畑を2周し、3年前に植えた樹は今では50cmの苗木が3mを超すまでに成長しています。

植林して頂いた際に記帳をお願いしているノートには数十年後には自分の植えた樹で家具をつくりたいとの夢もあり(僕の場合はさしずめ棺桶のふたくらい??) 再訪の方々にはその都度、我が樹の成長を見届けていただいています。
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チークの次に植樹をお願いしたのがマンゴの苗樹、3年前に植えたマンゴのうち3本が今年,遂におおぶりのマンゴの実を結び、訪問いただいた友人と味見したところ、これが街で食べるマンゴ以上に芳しく甘美なる味わい。(親馬鹿の心境)
親はなくても子は育つ、風雨に耐えて3年余り、あらためて自然の営みの奥深さを感じました。
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<世界からのたより>更新しました。
(まさきのNY日暮し日記)転載
この絵は今年、プーディン小学校の6年生と卒業前にいっしょに行ったエレファントキャンプの想い出を参加者のひとりマイちゃんが描いて送ってくれた絵です。(マイちゃんの両親はHIVで亡くなって妹と年老いたおじいちゃんと3人で生活しています)
4年前、ふとした縁で購入したタイ北部の果樹園のある村がプーディン村、そこにある生徒数80人のこじんまりしたのどかな小学校プーディン小学校との交流が始まり、友人、知人を果樹園来訪の度に案内し、生徒たちとスポーツ、楽器、折り紙、ベーゴマ、日本語などを通しての交流を行い、村へホームステイする友人も多く、3年前、関西の大学生がホームステイした際には関西TVのドキュメンタリー番組にもなりました。
また上智大学OBの会であるソフィア会からも1昨年、学校の念願であった鼓笛隊の楽器を寄贈いただき、早速福岡市民オーケストラの皆様や尼崎の鼓笛隊経験の大学生の指導のお陰で演奏行進ができるまでになりました。
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ところが、タイの農村部には貧困の他にHIV(エイズ)感染という日本では考えられない大きな社会問題があり、プーディン小学校の生徒80人のうち例年15人前後もの生徒の親がHIVで亡くなり、その生徒たちは片親か祖父母の家でHIVの発病におびえながら生活を送っています。
日本と違い、タイの小学校ではそういう感染のおそれのある子供たちを差別せず、先生もHIVの実態を生徒全員によく説明し、一般の生徒といっしょに生活させています。
我々は4年前からそれらHIVで親を亡くした生徒たちに1ヶ月の生活費+奨学金ひとり月1000バーツ(3000円)を支援するため一口 3600円の募金活動<プーディン基金>をはじめました。
多くの賛同者の皆様からの貴重な募金は毎年4回に分けて直接校長先生を通じて保護者の皆さん、生徒たちにお渡しに学校へうかがっています。
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生徒、先生、父兄からもその都度、感謝のお便りや絵をいただいています。
特に今までHIVの発病と経済的な心配のため暗澹たる日々を送っていたが、奨学金のお陰で人生が明るくなり一生懸命勉強する励みになりましたとの手紙には感動させられました。
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このプーディン基金へのご協力いただける方へは右<プーディン基金>のバンナーからご案内させていただいています。
そして基金へご協力いただいた皆様には是非、タイ北部のチェンマイから北へ車で1時間 空気の澄んだ高原のプーディン村へお越しいただきたいと思います、
子供たちの素朴で明るい笑顔と都会暮らしで忘れていたのんびりとゆったりと流れる時間が心を癒してくれます。
学生時代からの友人の小川誠さんはサラリーマン時代は世界を飛び廻る海外営業マンとしてご活躍後、日本政府の日本語教師として、クアラルンプール5年、ケルン3年の生活を経て、現在はご自宅で不登校、引きこもり子供たちを同宿させ五色塾を開き、ドイツ人の肝っ玉奥さんブリギットさん、5人(!)のご自分の子供とたっちといっしょに10数人の集団生活をして不耕作、無農薬農業を実践されています。
昨年11月チェンマイ郊外のプーディン村へお越しいただき、村での農作業の手伝い、村でのホームステイ、小学校での群れ遊び、日本語指導など心のこもった交流をしていただき村の人たち子供たちにも感動を与え帰国後ご自身の五色塾の会報誌に<チェンマイ体験紀>を配布されました。ご本人の許可を得て、<世界からの便り>のページに掲載させていただきます。是非ご一読を・・・
五色塾
〒229-0032 相模原市矢部2-21-17
TEL&FAX:042-757-7163
goshikijuku@white.livedoor.com
http://goshikijuku.infoseek.livedoor.net
チェンマイ郊外のプーディン村に果樹園を取得した関係から村長さん初め、小学校、村民の皆さんとの交流が始まりました。
タイでは近年、大分の平松知事の一品一村運動にヒントを受け国家政策として、タイ版一品一村運動<OTOP>が全国で展開中でその商品は国を挙げてのPR活動で販売促進中です。
プーディン村の村長さんから村のOTOP起業の相談を受けたのが3年前。農業とは別の仕事を創出して、村民の現金収入の確保と若者の村での定着を計りたいとのこと・・・
友人のタイ人宝飾デザイナーベンジャワンさん協力で、まずは5人の工房からスタートし、彼女のデザインを制作し始め今では25人まで大きくなりました。タイは世界からの宝石、輝石の集積地、また山岳民族伝統の銀の生産地でもありタイ人の手先の器用さでの宝飾品の制作は大きな産業でもあります。
村のアトリエで制作した商品を昨年からバンコク、香港、
先月は神戸の国際展示会にも出展し、世界中のバイヤーからオーダーも入り始め村のおばちゃんたちも自分たちの作ったアクセサリーが世界に輸出されるとあって張り切って制作しています。
このブログ<オンライン ショッピング>でもプーディン村制作のアクセサリーをご紹介させていただきます。
よろしくお願いします。
チェンマイ郊外のプーディン村の果樹園を縁あって購入したのが2003年、それ以来、村の人たち、小学校の生徒たちと交流が始まりました。
プーディン小学校の生徒80名中15名の生徒の親がHIVで亡くなっているという現状を知らされ、友人、知人に呼びかけ奨学金支援活動を始めて4年目に入りました。
またそれを機に小学校訪問いただいた皆さんには様々な活動で村の人たち、子供たちとの交流の輪が拡がってがっています。
今回は株式会社イミオhttp://imio.co.jpの倉林社長がハンドキャリーいただいたフェアトレードのサッカーボールの寄贈し、友人の所沢の名門少年サッカーチーム、山口サントスのコーチ辻氏の指導で1日サッカー教室を開催しました。
休日にもかかわらず、男子生徒全員参加し炎天下の下、子供たちの歓声が校庭に響きました。
サッカーはタイでも最も人気のある球技、子供たちもムエタイさながらに裸足で鋭いシュートを連発していました。
ミニゲームはいつものように裸チームとTシャツチームでの激戦、日本の少年サッカーのように高価なユニフォーム、スパイク,整備されたグランドはないけれど、ボールを懸命に追う少年の姿は万国共通、ボールひとつさえあればどこでもプレイできるサッカーの全世界的人気の所以を再認識した1日でした。
大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中