
今まで郵送していたクリスマスカード、年賀状を今回初めて年末年始のメール発信に切り替えさせてもらいました。今回も多くの方から動画メールも頂戴し、こちらから1月1日0:00から発信したメールにも即座に返信いただいたり、近況をお知らせいただいたりでメール通信ならではのスピード感を痛感しています。
世界のクリスマスマスカードや日本の美しき伝統(?)の年賀状交換の習慣もいつまで続くのでしょうか?
突然の金融恐慌の大嵐に加え、今年歳男(60歳)の僕の世代では自身の仕事、健康、親の介護など様々な課題を抱えての年明けであったことの連絡をもらい、あらためて2009年が自分の人生にとっても一つの節目になるのではとの思いを強くしています。

タイ人にとってのお正月は4月のソンクランですが、西暦の新年も会社も学校も連休をとって国中で祝っています。
北部タイはこの時期、寒冷な気候が体感できることもあり、タイ人にとっては人気の観光スポット、経済不況のあおりで今年の新年は海外旅行から国内旅行に振り替えた旅行者が増えたせいか、北部タイの最大都市チェンマイの道路は例年よりも車の渋滞が激しいように思えます。観光客を乗せる数少ないタクシーもフル稼働、地方観光にチャーターされるワゴン車も正月料金にもかかわらず不足気味とか・・
1日夜半、バンコクでのクラブ サンティカの火災は悲惨です。死亡者59人のうち、まだ30人の身元確認がされていないとか、4年前の津波被害同様、観光客が被害にあった場合の身元確認は家族からの報告がない限り難航するようです。日本の留守宅には正月休み
ちょっとタイへ遊びに行っくると告げて、(あるいは黙って)ぶらっとやってきたバンコクでタイの女性といっしょにルンルンで楽しかるべきデート中の被災は、休暇が終って帰国しないことが判明して身元からの調査依頼がないと始められないのでは・・・
人生いつどこでいかなる大団円が待ち受けているのか??
沢木耕太郎の【旅する力】によれば、人生では<予期せぬとが起こるということを予期する>ことが必要とか・・・
今年は我が身にいかなる予期せぬことが起こるのでしょうか? ヒヤヒヤ、ワクワクの1年がスタートしました。

あけましておめでとうございます!
夜空にUFOのように上がる数百の熱気球と、街のいたるろころで打ち上げられる花火で夜空は幻想的に彩られカウントダウンが行われ新たな年を迎えました。
朝7時前には東の空が茜色に染められ遠く山並みの向こうから初日の出を見ることができました。
国内外の様々な懸案をかかえての今年の年明け、果たして世界は?タイは?そしてわが身にはこの1年どのようなドラマが待ち受けているのでしょうか?
いつもの年より、波乱の予感と変化(CHANGE)の期待を抱いて、今年もまたここチェンマイで1年の船出をすることになりました
果たして1年後どこで、どのような生活をしていることでしょうか・・・?
ラフ族のラフの語源は<虎を狩る人>といって元来は狩猟民族。
ポンパー村の男の子たちもその血をひいて眼光するどく凛としている、
撮られ慣れないカメラ撮影でも二コリともしない、
文明社会での子供たちの定番ポーズのチーズもピースもシェー(古い?)もしない。
それよりそんな軽薄な(?)ポーズをとることすら知らない
獲物を狙う眼でカメラをにらむ、さすが狩人の末裔
子供たちへのお土産にチェンマイのスーパーマーケットから袋菓子とパック飲料を
買って行ってプレゼントした。
他のタイ人の村の子供たちなら、その場で飲み食いしはじめるのだが、ラフ族のほとんど子供たちは
ずっと持っていて、口にいれようとしない、集合写真撮影の時もお菓子の袋を封を切らず
大事そうに抱えている。
<ラフ族の子供たちはお菓子やジュースは嫌いなの?>と先生に聞いた、
<いいえ、めずらしいお菓子なので家に持って帰って家族皆で一緒に食べるのです>
胸に熱いものを感じた、
このラフ族の子供たちは貧しくても、学校教育もまともにうけてなくても、
自分を犠牲にして他人を、家族を思いやる心をすでに知っている。
<日本の皆さまからお贈りいただいたピアニカ第2便、先週タイ北部の山奥、
少数民族ラフ族の子供たちに届けてきました>
タイ北部 南北へ走る107号線は山間を縫うようにミャンマー国境の町メーサイへと通じ
付近の山岳地帯は古くから少数民族が中国、ラオス、ミャンマーから移り住み
悪名高い、麻薬の生産地<ゴールデン トライアングル>の一帯となっていました。
タイ王室、政府の懸命の努力の結果、マリファナから農業への産業転換が実施され、今ではほとんどが
付近の山奥の地で米、野菜の生産、栽培を生業とするようになっていますが、まだまだこの少数民族の
問題は中国同様、経済発展を遂げる国勢から取り残された社会問題として残り続けています。
北の都チェンマイから車で北へ3時間のメーアイの街から東へ車1台やっとの凸凹山道を4WDをジャンプ
させながら走らせる上ること30分、山奥深く山岳民族ラフ族60所帯200人が暮らすポンパー村へ、
ここで日本カトリック信仰宣教教会(http://jlmm.net)からひとり入りこんでボランティア活動をしている
日本人女性 Wさんの案内で皆様からいただいたピアニカ第2便を届けに行ってきました。
タイでの山岳民族の多くはいまだIDカードも持てずそのため町への移動、医療、教育に
大きな障害となっています。
また、タイ語がしゃべれず、コミュニケ―ションにも大きな問題があり職業が制限され、
今なお農業での現金収入は一世帯あたり1か月1000~2000バーツ(3500~7000円)と低く、
ID(身分証明)ないまま違法な出稼ぎに頼らざるを得ない状況が続いています。
病気になっても村の長の祈祷によっての治療に頼り、よっぽどの重病でない限りはなかなか山を降りて
タイの病院には行けません。
W さんは毎週週末はチェンマイから乗り合いバスで3時間かけ麓のメーアイの町まで来て、そこから待ってくれているラフ族の若者のバイクの後ろに乗って山道を駆け上がって半日かかってこのポンパー村にたどり着き、この村で泊まりがけで子供たちの教育の手伝いをやっています。
ポンパー村は、今まで行ったタイのどの村よりも貧しく、子供の半数は裸足、
家も簡素な板張りの立て床式、床下では鶏や豚を飼っています。
3年前当時の首相タクシンが少数民族助成対策として無料で全所帯に配布したはずの
ソーラシステムがなぜかここでは県の役人からは2000バーツを請求され、
一部金持ちの家庭しか電気が通じてない納得できない現状。
水は近くの川の水をそのまま使用。
学校も校舎はありますが、麓から泊まりでタイ語を教えに来る先生も一人、それも1か月に1-2週間で
帰ってしまい、子供たちも農繁期には皆、親の手伝いで畑に行ってしまい、ふだんは教室は閉鎖状態。
ここでは義務教育、教育の平等など以前の状況。
村人は日の出とともに起き、家族そろって畑にでて、
家族そろって3度の食事をし、日の入りとともに寝るという自然の摂理に従った生活。
家電も携帯もPCもないシンプルな家庭ですが、家族の絆に結ばれた人間的な生活が営われている
うるるんの舞台になるよう集落。
一緒に行ったタイ人スタッフにとっても、このようなタイにありながらタイ語もあまりしゃべれず、
前文明的な村の生活に軽いカルチャーショックを受け、日本人でありながらこの村へ深く入りこみ、
ボランティア活動をするWさんをタイ人でもなかなかできないとひたすら感嘆賞賛。
Wさんは日本で音楽大学卒のピアニスト、すでに1か月前、ピアニカの第一便を届けてくれて
子供たちはもうゆっくりですが、メロディーを弾けるまでになっていて、お母さんの一人は
毎日の練習でタイで毎朝夕流れる<国王賛歌>を弾けるまでに上達、さっそくの演奏に皆からの拍手喝采。
何もまともな教材もない学校にとって、子供たちだけでなく親にとっても今回の日本からのピアニカは
歓喜と興奮とともに迎えられたうれしいプレゼント。
今まで音楽教育も受けたことのない子供たちが、Wさんの指導でいつの日か子供たちが
合奏できる日が楽しみです。
お贈りしたピアニカ以上にこちらが価値ある人生体験をさせてもらったラフ族の村訪問でした。
ラフ族の皆さま、Wさん、そして日本のピアニカを贈ってくださった皆様に
オブーチャ !(ラフ語のありがとう !)
暑さ本番の6月のタイは年中で一番フルーツの豊富な季節、
街のフルーツマーケットでも色とりどりの果物が所狭しと並べられ店頭を飾っています。
果物の王様ドリアンも解体されトレイに並べられ、マンゴ、マンゴスティン、パパイア
ランブータン、ジャックフルーツ、ライチ、ロンガン・・・各種トロピカルフルーツが満載
どれも、高温多湿のこの季節に清涼感いっぱいの味覚を与えてくれます。
(ただしドリアン以外・・)
その昔、楊貴妃の大好物であったというライチ、玄宗皇帝は彼女への愛ゆえに長安から
遥か数千キロ馬を走らせ産地広州から取り寄せたという果物、
実は、ビタミンCやB、ミネラル等を豊富に含んだ美容食。
古来より中国では強壮剤としても珍重され、赤銅色の薄皮をむけば透きとおる果肉からあふれる果汁。
まさにマンゴスティンと並び果物の女王といわれる所以。


そのライチ、中国広州から雲南省を超え、今ではタイ北部でも多く生産されています。
先日、ミャンマー国境近くの山間部に遠出した際、山道沿いにピンポン玉大のライチがたわわに実り、
村の集積所に立ち寄り、味見をすると香港で食べる広州産よりも美味、さっそく少し買って帰ろうと
交渉したが、コンテナ単位しか売らないとのこと、多すぎると思いながらも、
その味を捨てがたく1コンテナ (10kg 400バーツ:1300円)購入し、
車に積んで持ち帰り、友人、スタッフに配り、残りを冷蔵庫で冷し毎3食後食べ始めて
3日目になりますが、食べども食べどもなかなか減らない・・・
もうやめておこうやめておこうと思いながら、なかなかこんなにおいしい産地直送ライチは
食べられないと思うとついついカッパエビセンのように手が伸びてしまいます。
これだけ食べれば少しは中国伝承の美容と強壮の効果はあるでしょうか??
わが農園を訪問いただいた方々には5年前からマンゴの苗木を植樹していただき、3年目からすでに
収穫できるようになっています。無農薬栽培のためか、その味は他では味わえない芳醇にして
とろけるような上品な甘さ。
植樹していただいた方には申し訳ないのですが今年も皆で美味しくいただいています。
ところが今年、異常に大きいマンゴ(25cm~30cm)が次々と結実。
タイ人スタッフもびっくり・・・
新種か突然変異か判りませんが、先日まだ緑の実を採ってきて、
黄色に完熟するのを待って試食しようと今から心待ちにまっているのですが、果たしてその味は??
一昨年は洪水、昨年は煙害、今年は44度の酷暑、いずれも数十年ぶり,観
測史上初の天変地異に見舞われているチェンマイです。地球の歯車は確実に音を立てて軋み続けているように思えます。
チェンマイでタイ北部の少数民族やミャンマー難民の子供たちへの
教育ボランティアでカトリック活動グループの一員として活躍中のMWさんは
熊本出身、東京の音楽大学ピアノ科卒業後飢餓に苦しむアフリカ ジンバブエへJAICAから派遣され子供たちに音楽教育をしていたという筋金入りの国際ボランティア ウーマンでも外見も性格も話し方もマシュマロのような円満快活な大和なでしこ。先日来から日本の皆さんからお贈りいただいている使わなくなったピアニカの寄贈をMWさんにメール連絡したところ下記のような返信あり。
--------------------
大宅 一裕 さま
ピアニカを寄贈していただけるお話、本当にありがとうございます。
上司の神父様に話したところ、大変喜んでいました。
そして、神父様の方から、私たちが支援する村の子供たちが寮生活をして通っている
プラオにある学校でも、ぜひ使わせていただきたいと言っております。
学校の方でも、先生方がとても喜んでいました。
ピアニカの話を村の人にしたところ、子供たちと同じくらい、
大人の人たちが興奮していました。
学校は、チェンマイから2時間弱ほどのところです。
260名ほどの子供たちが通っています。
寮に住む子供たちは、現在、73名おり、カレン・ラフ・アカ族などの子供たちです。自分たちの村では、其々の理由から就学困難なため、様々な地域からやってきています。
このような、素晴らしいお話を本当にありがとうございました。
子供たちにとって、様々なことが学べる素晴らしい機会の一つになります。
どうぞよろしくお願いいたします。
MW
---------------------------
皆様からご協力いただいたピアニカ数十台のうち今回はスーツケースいっぱいに10数台を香港、バンコク経由でチェンマイに持ち込み、フェアトレードイミオ社
倉林社長が以前ハンドキャリーいただいたサッカーボールといっしょに今日MWさんのベースとしているチェンマイ郊外サンカンペンのカトリックセンターへでお持ちしました。(今回は時間の都合で子供たちの生活する寮へはうかがえませんでした)
通り道まで出てずっと待ってくださっていた松本さんに案内されたカトリックセンターは広大な敷地にスタッフの住居施設、事務所棟、聖堂、神父館があり、それを取り巻くように無農薬栽培をおこなっている田畑が広がり、麻薬、エイズ、売春が蔓延する少数民族の人たちにこの施設で農業の研修を行い、また村へ帰って無農薬農業で生計を立てられるようにする研修活動施設として活用されていました。
事前にMWさんからの連絡で待っていってくださったのが、私財をすべて投じてこの少数民族の支援活動を1970年からなさっているタイカトリックの界では知らぬ人がいないほどの超有名なNIPHOT神父と農業指導のPITOUさん、100年前中国から仏教国タイへ移民してきた6代目カトリックのNIPHOT神父はマレイシアのペナンのセミナリオを学び、タイで初めての司祭となりパリ留学後、タイへ帰りこの活動を開始したとのこと、神父館のバルコニーでお話伺うことしばし、
「1980年しばらく大阪へ滞在し、相馬神父、浜尾神父たち日本の司祭とアジアのカトリック活動に ついていっしょに連日連夜話し合いをしました。皆すばらしい、聖職者でしたが残念ながら今は故人となってしましました。」
思わず僕はびっくりして
「エッ、浜尾神父さんはよく存じています。枢機卿として滞在中のバチカンにも2度もお訪ねし とてもよくしていただきました。
昨年突然亡くなられびっくりしました、3月横浜山手のお墓にお参りに行ってきました。」
NIPHOT神父もびっくりされ、思わず僕の手を握り
「今日のあなたの訪問は神と浜尾神父の思し召しです。( This is God's & Fr.Hamao's Will !)
今度お墓参りにいかれたら私からよろしくと(Best Regards)伝えてください。」
----------------------------
何かとりつかれたような空気の中、NIPHOT神父の世界の食料問題、食の安全問題、タイ少数民族教育、HIVの現状などなどの現状について拝聴し、今、僕のスタッフがチェンマイ郊外プーディン村の農園で無農薬野菜を栽培してシンガポールの行列のできるレストラン<ABURIYA> へ毎週空輸しているとお伝えしたところ、将来的に少数民族の研修者が村で栽培する無農薬野菜も是非とも協力させてほしいとの有難いお申し出、またひとつ大きな夢がふくらんでいくのを感じながら
お別れの前にお持ちしたピアニカとサッカーボールを手にして記念撮影。
画像からはどこか田舎の寄り合いのようなで、そんな崇高な話題の雰囲気が伝わってこないかもしれませんが・・
次回チェンマイ訪問時にプラオの学校へピアニカを奏でる子供たちに会いに行くのが今から楽しみです。
あらためてピアニカをお贈りいただきました多くの方々にチェンマイから厚く厚く御礼申し上げます。
縁あって罪深い僕がタイ、チェンマイの山里のプーディン小学校との支援、交流を始めて7年目になり、多くの友人、知人、先輩、後輩、親戚縁者、一族郎党の皆さまに支援、訪問をいただいてきました。
その間母校ソフィア会からの鼓笛隊の楽器、盟友木元兄からのエレクトン他、多くの方々から日本の小学校で使ったピアニカをチェンマイ訪問の際1台、2台とハンドキャリーでその都度寄贈していただき、すでにその数30台以上、先生、父兄、生徒にも大好評で小学校にはピアニカ合奏隊(プーディン30楽坊?)も編成され、校内行事のほか、村の行事ででも演奏を披露するまでになっています。また日本の曲もタイの音符に直しての音楽教室の甲斐あり、レパートリーに組み入れられています。
![]()
![]()
先日タイ奥地山岳民族の村やミャンマー国境の難民キャンプで活動中の日本人ボランティアの若者たちにこの話をしたところ、もし余分のピアニカがあれば是非寄贈してもらい自分たちの活動にも取り入れたいとのこと。
また、日本での保管、タイへの搬送の手伝いをしたいという友人の会社からの申し出もあり時は熟せり、
春3月まさに卒業シーズン、ご家庭、ご近所、お知り合いで不要のピアニカがあればタイの子供たちに寄贈いただけないでしょうか?
1台でも2台でもありましたら、是非ご連絡ください。送料着払いでの日本国内送り先ご連絡します。下記コメントをクリックしてご連絡ください。
そして近い将来、タイの辺境に大地、メコンのほとりに響く子供たちのピアニカ演奏を聴きに是非お越しください。
チェンマイ市内にあってひときわ瀟洒なたたずまいをみせる白亜の寺院、ワットスワンドーク(ワット:寺、スワン:庭、ドーク:花) 、今から12~3年前、まだ僕が真面目に真摯に懸命(?)に働いていたころ、仕入れ出張で訪れたチェンマイで、工場訪問の道すがらにあった、その美しい仏教寺院を訪ねました。金色の仏舎利の前に白く輝くチェンマイの歴代の王様の廟を逍遥し、ふと入口の階段を見るとひとりの少女が絵を売っていました。近寄って見せてもらいしばし立ち話、彼女はチェンマイ生まれで両親はすでに他界してしお坊さんのお世話でここで絵を売らせてもらっているとのこと、ふと手を見ると両手の指がない、母親が妊娠中に薬物を飲んでいたことが原因という、油性ペンを握りしめ描いたデッサンに水彩で色をつけた小品がいくつか、絵もさることばがら彼女のこぼれるような笑顔に心打たれ買った数点の絵は、残念ながらその後度重なる転居のため、今はどこかにいってしまいしたが、あの時の少女の笑顔と肉のくびれた指先がいつまでも脳裏に焼き付いていました。
その後、何度もこの寺を訪れ少女の姿を探しましたがその時以来、少女は寺院から消えてしまっていました。
昨日、日本からチェンマイ来訪の友人たちを案内したワットスワンドーク、何気なく菩提樹の下をみると絵を売っている一人の女性、近寄って顔を見た瞬間、「サワディカァ・・(こんにちは)」と微笑みかけるその笑顔に思わず立ちすくんでしまいました。まさかと思い指先をみるとまさしく・・・思わず「あなたは10数年前あの階段のところで絵を売っていたのでは??」彼女はまた花のように微笑んで「そうです、わたしです、もう12年前です。」
彼女はあのとき以降、バンコクの里親のもとへ引き取られ、絵の才能を見出されバンコク芸術大学で絵画を学び卒業、その後東北地方イサンからの同級の画学生とめでたく昨年結婚しすでに25歳、先月チェンマイに帰郷し、昔から知り合いの僧侶の後押しもあり同じここワットスアンドークで自分の作品を販売させてもらい始めたこと・・・
作品は寺院の境内にある菩提樹の葉の上に油性ペンで細かく寺院を描き仏像に奉納する金紙片を一枚添付して額装、いかにも霊験あらたかになるようなオリジナル絵画の数々と菩提樹の葉を押し葉にしてプラステックコーティングした葉脈ブックマーク。傍らに日本人のお客さんに作ってもらったという作品説明の日本語サインカード
<この作品は菩提樹の葉を用い8-9時間かけてチェンマイのワット田園風景を描いた作品です。チェンマイの思い出は1枚の絵から・・・1枚600バーツ Pong>
<Pongちゃん 12年ぶりの再会の記念に1枚買わせてください>
<とてもうれしいです。・・・>
僕はお釣りは取っておいてくださいと1000バーツ札を渡すと
彼女は顔を赤らめ<コップンカァ・・有難うございます>とうつむきながらブックマークをおまけに入れてくれ、はにかむように<今日の再会を私のホームページに掲載したいのでいっしょに写真を撮ってください>の申し出にもちろんOK,お互いに記念撮影を撮り合い、「がんばってネ、また来ますから・・」の言葉を残してワットスワンドークを後にしました。
大きな菩提樹の葉陰を渡る風が少し上気した頬をやさしくなで昼下がりの古都の空は蒼く澄み渡っていました。
チェンマイで見た一昨日の衛星NHKニュース。
横浜崎陽軒のしゅうまいの成分表示の記載順番が違ったということで
またまた社長以下役員がマスコミの記者、カメラの前で<ご迷惑おかけしました・・>といって薄くなった頭を深々と下げてのいつもの日本的謝罪セレモニー、街頭でインタビューされたおばちゃんもしたり顔で<崎陽軒は信頼してたのに、子供も好きだったのに・・>とのいつものテレビ向けコメントが流れてきたのを見て、思わずソファからずり落ちてしまいました。
ちょっと待って・・・成分の帆立が澱粉の前に記載されただけで誰がどんな迷惑、被害をこおむったの??
最近、連日報道される賞味期限付け替え問題、日本では賞味期限は一体誰がどういう基準で決めているのでしょうか?
僕が日本で生活していた25年前は賞味期限の記載があったような記憶がありません。
その昔、賞味期限などという言葉さえ聞いたことがないご幼少のみぎりは古くなりかけた食べ物はまず母親かおばあちゃんが毒味して子供に食べさせてくれていました。その毒味結果がその賞味期限でした。
先月日本から来訪のS夫妻とのチェンマイの我が家での食事の際、チェンマイ有機野菜サラダにマヨネーズ、その賞味期限は10月末、
さすがチェンマイの野菜はおいしいおいしいといって完食、でもふとマヨネーズの容器をみると賞味期限は2006.10.31
皆思わず顔を見合わせてしまいましたが、さすが戦中後生まれの我ら、お腹も痛くならないねといいながら、笑ってその場はそのまま、
次の日、新しいマヨネーズを買ってきていましたがもったいないといって古いビンテージ、マヨネーズをまたそのまま使いきってしまいました。
あえて誤解を恐れずに言わせていただければ、消費者運動のおばちゃんに石を投げられるかもしれませんが経済の発展で物余り、金余りの日本、消費者保護が声高に叫ばれ衛生基準も益々厳しくなり、益々無菌、滅菌状態の生活習慣が身についてしまった日本人は免疫力が脆弱になり、アジアに旅行するとすぐにお腹を壊してしまうような脆弱な体質になってしまっているのではないでしょうか?
本来、人間の胃はあの死骸やウンチやゴミの流れるガンジス川の水を飲んでも耐えられるくらいの免疫力を持てるのではと、川の水を口に含み沐浴して祈る群衆を見ながらガンジス河畔ベナレスで思いました。
世界人口65億の倍の人口を養えるの食料生産がありながら、その大半が先進国で廃棄処分されたり、家畜の飼料、燃料生産に流用されてしまっている一方、今なお8億人が飢餓に苦しんでいるという矛盾に考えさせられてしまいます。
今朝も先月S夫妻が日本からお土産で持ってきてくださった賞味期限10月31日のWELL DONEの色の変わりかけた熟成納豆でおいしく朝食をいただきました。
今日の糧をお与えくださった神仏に感謝!
チェンマイ市内を南北の流れるピン川沿いのChareonrat 通りは最近新たにギャラリー、カフェ、ブテッックホテルなどがオープンして人気のスポットになりつつあります。
その中のひとつ1ヶ月前に開店した、SUVANNABHUMI(黄金の大地)アート ギャラリー 店の前には<MYANMER>と大きな表示、中に入りオーナーのビルマ人のMar Mar女史としばし立ち話し、彼女もともとはミャンマー(ビルマ)の古都マンダレーの出身、15年前から国内の有能な画学生を支援し彼等の作品の収集を始め、7年前故あってチェンマイに移住、その際ミャンマー軍事政府からは違法とされていた作品を含め収集していた絵画数百点をすべて額装をはずしロールにして野菜の籠に入れてタイ、ビルマ国境のメイサイの橋を通ってチェンマイまでの搬送に成功(まるで大列車作戦)
今年のチェンマイ大学美術館で開催された展示会を機にここChareonrat通りに住居兼の家屋を借り受けギャラリー開業。
軍事政権下の逆境の下で創作されたVIVIDに輝く展示作品の数々にしばし見入ってしまいます。
最後にMar Mar女史に撮影をお願いしたところ快諾、ちょっと待ってとセッティングに奥から持ち出してきたのが禁断のミャンマーのジャンヌダルク アウンサンスーチー女史像作品2点、その側に微笑みながらも凛と立つ彼女の姿からも母国自由化の願いがひしひしと伝わってきました。
I will support Liberty of Myanmar, too ! の言葉を残して新装ギャラリーを後にしました。
チェンマイはいわゆるひとつの<ゴルフ天国>、市内近郊に新旧あわせて7~8つあるコースはすべて車で30-40分以内の距離、山々に囲まれたレイアウトはバンコクにない景観を楽しめます。観光客の少ないこの時期の週日はプレイヤーもまばらで日本より安価でもしかしたら今の酷熱の日本より涼しくゆっくりとタイ式ゴルフを満喫できます。
タイ式ゴルフ
●1パーティ 5人(コースによれば6人)までいっしょに、ハーフでの休憩なしでスルーでプレイ可
●1人に1人(かっては2-3人)のキャディが付き、歩くもよし、キャディの運転で一人1台のカートで廻るもよし。
●バンカーの修復、グリーン上のマーク、パットのコースの読みはすべてキャディ任せ(中にはスコア記載も・・)
●というわけで、お気に入りのキャディ(概しておばちゃん、なかには若い子もいる)の指名も可
●キャディが自分でもってきた食べ物やコースで採った果物をくれ、ピクニック気分でプレイを楽しめる
先週も僕と同じく、アジア回遊生活 (彼等は仕事で)をしているシンガポール在住のH氏、K氏を チェンマイ,メイジョーゴルフコースに迎えての快楽ゴルフ後、シャワーを浴びて、コースを渡り来る風に吹かれながらオープンエアのクラブハウスのレストランでビール(+スプライトがこれまたコロニアル)にピリカラタイ料理の悦楽の時にひたりながら最高!最高!を連発しながら語ることしばし・・・
〆の話題はいろいろな国を移動する生活の中での最近の物忘れのひどさ、空港のDUTY FREE SHOPで提示したパスポートやクレジットカード、ホテル、機内での着替え、ジャケット、本、眼鏡、カメラ、充電器 携帯などなどの置き忘れ経験の数々・・・
俺も俺もと枚挙にいとまがないお互いの物忘れのひどさ
お互い齢重ねるにつれての物忘れ癖は嫌だね と言いながら、席を立ちクラブハウスを出て、迎えの車に乗ろうとしたとき、
後ろから呼び止める声、振り返ると 追いかけてきた さっきのレストランのボーイ
<マスター お勘定の支払いお願いします・・・・>
前首相タクシンの亡霊の怯えるように政情不安定なタイにいます
タクシン前首相一族が経営する不動産会社SCアセットに関する
証券取引法違反容疑で、法務省特別捜査局が同氏夫妻に対し、
6月29日までに出頭するよう命令を出しています。
もし、タクシンが9ヶ月ぶりに母国タイに帰国した場合、あのマルコス独裁に抗議してマニラに帰国したとたん空港で銃殺されたフィリピンのアキノの二の舞になるのではとのもっぱらのうわさ。
*****************************
昼下がりの酷暑のチェンマイ、団扇片手に汗拭きながら曽野綾子のドキッとするようなタイトル<善人はなぜまわりの人を不幸にするのか>をいろいろな思いをめぐらしながら読んでいました。
ちなみに僕は間違っても<善人>ではありませんので・・念のため
日本には(欧米か!)へは何度も旅行するが、アジア、アフリカへは 暑いから、汚いから病気が蔓延しているから、政情が悪いから、食べ物があわないから、などなどあらゆる理由をあげつらい足を踏み入れたがらない人が多くいます。
しかし、きれいで安全な国は世界でもごくごく一握りであり、気候、風土、衛生、安全に問題ある国が世界のほとんどを占めそれが世界の現状でもあります。
それらの国や人々の生活の地肌を体験してこそ、人生の原体験ができ、感動があるような気がします。
曽野綾子さんの言葉を借りれば<人生の面白さは、そのために払った犠牲と危険と、かなり正確に比例している。冒険しないで面白い人生はない。>
日本ではすでに死語になり差別用語となっているとかの乞食もアジア、アフリカの街にはあふれています。特にあどけない多くの子供が物乞いしています。
しかし薄っぺらい同情や善意のつもりでのほどこしは彼等の労働意欲を削ぎ、乞食生活から救うことはできません。
ぐったとした赤ん坊を背負った5-6歳のベトナム、ホーチミンの靴磨きの少年に、君には重過ぎて大変だねと、何気なくかけた言葉に
「重荷ではありません、僕の妹ですから・・・」ぽつりと言われた一言に、ドキッとし、人は愛があれば重荷も喜びにも昇華できることをこの小さな苦労人から学びます。
老人介護の問題を話し合いの中でのアフリカ スーダンから来たカトリックのシスターの言葉、
<わが国では老人介護の問題はありません・・・>
<???>
<わが国の平均寿命は45歳ですから>
そしてその生き地獄のようなスーダンへ派遣されている日本人シスターの言葉
<私は勇気があるからここに来ているのではありません、ただここから逃げ出しても多分幸せになれないと思いますから・・・>
そんなこと、あんなことにそうだそうだと合槌をうったり、ヘェーと納得したり、感動したりで、あっという間に読み終えました。
僕の知らない世界が地球上にはまだまだあり過ぎ、旅心をくすぐり続けます。
静かな南風の吹きわたるチェンマイの山並みにあざやかな夕陽が沈んでいきました。
オンライン ショップ、掘り出し物更新しました。
***********************
異国なのにどこかなつかしいチェンマイ、700年の歴史の育まれた街並みと新たな文化が混在し、街のそこかしこに200以上の仏教寺院が点在し、どこか京都に似た古くて新しい街。
昔ながらのラーメン屋の屋台の隣に旧家屋を改装したカフェがあったり、新装のギャラリーがオープンしていたり、日々その顔を変貌させています。
伝統の手工芸品の技術に海外からのデザインを融合させたライフスタイルショップも多く誕生し、毎晩開催されるチャンクラン通りのナイトバザールに加え、日曜日ターペー門界隈のサンデーマーケットにも掘り出し物を求めての多くの観光客で賑わっています。
これから雨期に入り連日サウナ状態のこの季節、噴出す汗をものともせず、エキササイズを兼ねての街角ウォッチング+ウォーキングもチェンマイのひとつの過ごしかたかも・・・・
鮮やかなサフラン色のタイ国花 ゴールデンシャワーと紅に燃える火炎樹が満開のタイ、チェンマイでいよいよタイ正月 ソンクランが13日から始まり、多くの国内外からの観光客も加わり街は例年通りの盛り上がりを見せています。
インド暦で太陽が白羊宮に入る4月13日ー15日のこの季節は飛ぶ鳥も暑さで落下するといわれるほどの盛夏に祝われるソンクラン(水掛祭り)
本来は人々は捧げ物を持ってお寺に参り仏像に水をかけお祈りするところからの慣わしらしいのですが、今や水をぶっ掛けあう祭事として有名になってしまいました。このソンクラン期間のバカ騒ぎで有名になってしまったここチェンマイでは街のそこかしこで朝早くから夜遅くまで大音量スピーカーからタイ歌謡が流れ昼間からビールや安ウィスキーで酔っ払ってラリッた男女が道端で踊り、通り行く人や車に嬌声を発しながら水をぶっかけ狂乱の祭りが始まり、街中がトランス状態(?)に突入しています。
とりわけ旧市街を取り囲むお堀の界隈は祭りのメッカ、通りにはステージが組まれ、スポンサーによる派手場なキャンペーンイベントがが行われていたり、携帯防水用ビニールホルダーが配られていたり、水掛け用の水鉄砲やリカちゃんバケツを売る屋台、露店が並び、タイ人のみならず観光客、老若男女、犬,猫まで集い、お堀の水を汲みだしてはひたすらぶっかけ続ける。
女の子のグループは男たちの格好の標的になりあちこちからバケツや水鉄砲で手洗い洗礼を受け、髪の毛もビシャビシャ、下着もくっきり状態、それでもやる方もやられる方もキャッッキャ、キャッッキャと奇声をあげて楽しんでいる。
通りは恋人や家族を3乗せたモーターバイクや荷台に箱乗りした多くの若者や水一杯のタンクを乗せたトラックからも水が激しく飛び交い超交通渋滞状態になり、通り一帯は人も店も車もグシャグシャ状態,そんな中で水浸しの中で悠然とソーセージを焼くおばちゃんがいたり、トラックの荷台でお堀の決してきれいでない水をぶっ掛けられながらひたすらとうもろこしをほおばり続ける少年がいたり、まさしくマイペンライ(気にしない、気にしない)の国民性のタイ民族の祭りです。
毎年この奇祭を知らないで道を歩いていたらいきなり水をぶっ掛けられ、怒り心頭に達して警察に駆け込む外国人後を絶ちませんが「濡れるののがいやならソンクランの期間は外出しないように」 と諭されるのが関の山、もし、このソンクランの期間のタイ滞在されるならば、財布、携帯、パスポートなどは防水ケースに入れて水浸し覚悟の服装でこの祭りを大いに楽しんでください。
プーディン村での活動で通訳とか翻訳を手伝ってくれているのはチェンマイ ラチャパット大学日本語学科の学生たちで今年で4代目、1-2代目はすでに卒業し日本語を生かしてタイ各地、海外で活躍中・・・
今年の3年生のグループ(男子2人、女4人、オカマ一人)の仲良し7人、彼等が日本語を勉強しようとしたきっかけはたいていは日本のコミック、アニメ、ゲーム、ミュージック。女子学生のお気に入りは一応にジャニーズ、オイちゃんはNEWS,ノックちゃんは山P、オムちゃんはKAT-TUNクンちゃんは関ジャニ∞
アジア暮らしのおじさんには何のことかさっぱり意味不明・・・・
先日も我が家に集合して日本からチェンマイ2ヶ月滞在のリタイア生活の大西夫妻もいっしょに夫人の手創りのカレーパーティを開催、夫妻に日本で購入を依頼したジャニーズグッズに女子大生は大喜び、日本のカレーライスを<アロエ、アロエ(おいしい、おいいしい)>連発で食べた後は、これもお土産のことわざカルタ大会、さすが日本語学科の優秀な学生ひらがなは全く問題なし、しかし、ことわざの意味は難解(こちらも説明に絶句することしばしば・・)これもきゃっきゃきゃっきゃ大騒ぎのうちに3回戦終了、
その後は一昨年、篠崎多由美女史がわざわざハンドキャリーしていただいた、
ジャパネットタカタ謹製のカラオケセットでカラオケ大会,残念ながら内蔵の局は昭和の懐メロ主流のオールドソングばかりで学生たちが歌いたかったジャニーズJR曲は皆無、それでもアニメソングは皆大好き、オイちゃん、ノックちゃんは小躍りしながら<踊るポンポコリン>を歌い、おかまのオーちゃんは体もくねらせばがら妙に色っぽく<セーラムーン>を絶唱
チェンマイの楽しい宴は笑いと歓声の中いつまでも続きました・・・(ご近所の皆さん、お騒がせしました・・)
それにしてもチェンマイの大学生はまるで中学生みたいにシャイで真面目、何度もいっしょに会食していますが話題も子供っぽいし酒を飲む学生は皆無、水かコーラを飲んで大騒ぎしています。(もちろん喫煙者はゼロ)
ところが日本留学からタイへ帰国した学生は一応に髪の毛は染め、お酒を飲むようになって変にこましゃくれた日本語をしゃべりケバくなってしまっています。
彼等はそのスタイルで周囲に自分を日本ナイズしたように誇示したいようですが・・・
18歳まで港町神戸で純粋無垢(?)に育った僕が大都会花の東京に出て行って都会色に染められていった40年前の自分を見る思いがしています。
しかし、今ではどっぷりアジア色に染まりきってしまいましたが・・・
チェンマイから北へ90km、ブーゲンビリア咲く国道118号線を突っ走り、 山間を縫うように車で2時間、ウィンパパオの町の脇道沿いに、中野穂積さんが 運営されている少数山岳民族の教育支援の寮<バンルンアルン 暁の家> を友人たち(長谷川泰正、桂隆俊、 倉林啓士郎,敬称略) と訪問して、中野さんの活動についてお話しをうかがいしました。
少々長く、複雑になりますがことのきっかけは、1月の帰国時、友人安井陽一さんの紹介でお会いした彼の義理の叔父さんであり、りゅう木庵店主の野田喜男さん(82)のグループの方々との大阪NPOセンターでの会合に始まります。
野田さんは大阪営林局OBを中心としたメンバーの方たちと2001年から<暁グリーンクラブ>を結成され、その後 <NPOみどり大阪>とNPOシニア自然大学と共同で毎年タイ北部の山岳地帯を訪問し、現地の小学校、村での地球環境の指導、文化交流などをしながら生徒、村民といっしょにすでに数千本の植林活動をされています。
その活動の現地でのベースとなりコーディネイトされているのが中野穂積さんの暁の家です。
今年6月のグループの訪問を前にチェンマイに半居住の僕に時間があれば一度中野さんを訪ねて面談してはとのお勧めに 、すばらしい方のお目にかかれるのならばどこへでもと大喜びでの今回の暁の家への訪問でした、
中野穂積(なかの ほずみ)さん
三重県紀伊長島町出身、1979年青山学院文学部卒
東京でのOL生活のかたわらタイ留学生との出会いからタイ北部の山岳民族に興味を持ち
1984年3月初めてタイ訪問し、山岳民族の村を訪ね心にビビっと感じるものがある。
タイ北部の亜熱帯林に住身、自給自足の生活をしていた山岳民族は経済的にも教育面でも恵まれていませんでした。
特に村では中学がなく進学するには親元を離れ寄宿生活をせねばならず、また文化、慣習、言語の違った 環境で生活するには経済的にも精神的にも生徒たちには多くの負担がかかっているの実情がありました。
何とか中学校に近いところに寄宿舎を建て、少数民族の子供たちに高等教育の機会をあたえたいとの中野さんの願いが芽生えました。
85年7月 退社しタイでのロングステイ開始、
87年5月9日 中学校に近いティンドーイ村に生徒のリス族の父兄たちとかやぶきのリス族寄宿舎を建てる。
94年 寮生、卒業生、その他山岳民族の生徒、学生を対象としたルアンアルン奨学金制度を発足する
95年~ 現在のウィンパパオに3000坪の土地を確保し中野さんの設計でコンクリートとレンガで瀟洒な寮、図書館、作業場、食堂、事務所、ゲストハウスを村の大工さんたちと建て(その何棟は野田さんのような日本の篤志家からの寄付によるものです) その周囲に運動場、畑、家畜小屋を設営する。
今も40名の山岳民族の生徒たちは寮から近くの中学、高校へ通学するかたわら、寮では炊事、掃除、農作業、家畜の世話などを 1週間単位で担当を交代しながら班を編成して担当しています。
20年の間に大学に進学した卒業生も多く、今ではタイの国内のみならず広く世界で活躍中とのこと、今年も高校3年生7名も すべて大学進学を希望しているとのことです。
暁の家をご案内いたきながら、淡々と説明される中野さんはお一人でタイの奥地で人生を捧げ、20年間、プロジェクトを立ち上げ 運営されているという変な気負いはなく、反対に静かな自然体の話し方の中に地上の星のオーラーを感じました。
別れ際、「中野さんが今一番必要なものは?」とお聞きしたところ
「この地に来て、じっくりと生徒たちを教えてくれる人材」とのこと
「一番のご心配は?」
「故郷 三重に残した老いた母です」
僕も遂には両親の死に目には会えず仕舞い、これは同じ海外在住者のどうしようもない宿命でしょうが・・お気持ち痛いほど判ります。
寮の裏で見事に開花していた10年前に苗木から植樹し、南国の暑さにも耐え残った1本の山桜に 中野穂積さんの日本タイ友好に捧げられている人生の結晶を見た思いで、いつまでも手を振ってくださっていた中野さんと きょとんと我々を見続けていた猫のお見送りを受けて日本人の誇り抱いて暁の家を後にしました。
しかしタイ(シャム)にはどうしてシャム猫はいないのでしょうか? ねぇ そこの猫ちゃんよ 教えてョ・・?
バレンタインデーに女性から男性にチョコレートをプレゼントするのは日本だけの習慣です。
(もしかして日本のチョコレート会社の陰謀??)
海外、少なくともアジアではこの日は愛を告白する日で、男性から女性へのプレゼントが圧倒的、タイでも香港でも一番売れるのはバラの花です。昨日も夕方になると花束を恥ずかしそうにかかえた男の子たちがそこかしこに行きかっていました。
また、タイのラブホテルはこの日は満室となり、タイ政府はこの日、未成年のホテルの使用禁止令を出していたとか・・・
バンコクでのわが常宿の通りは、なだたる歓楽街ナナプラザがあり、路上では昼間から客から店の女の子へのプレゼント用の商品を満載にした屋台が並んでいました。
一昨夜、バンコクで夕食をごいっしょした在米実業家牧野さん、タイの高原の村PHURUAで7年前から村人たちといっしょにご自分の夢としてMY ゴルフコースをこつこつ、ひたむきに造っていらっしゃり、わざわざロスのSee’s本店から買って来ていただいたマシュマロチョコをいただきました。
いつもチェンマイの小学校の交流の際、いっしょに手伝ってくれているラチャパット大学の学生たちからも思いもかけずのチョコレートのプレゼント、添えられたカードに日本語で<いつもお世話になっています。これからもよろしくお願いします>

日本の家人からのバレンタインメールとともに忘れえぬバレンタインプレゼントになりました。
今日も、ひたすらただただ感謝、感謝です。
五色塾主宰者 小川誠さんのチェンマイ旅行記ご紹介します。
*************************************
今年は我々3人と大宅さんとスタッフのウィラポンさんと5人でランバンにある象病院を訪ねました。前回行ったときに、モタラはもう象病院の生活にすっかり慣れているのがわかったので、そんなに心配していませんでした。むしろ、去年運び込まれて、地雷に飛ばされた足がまだ生々しく肥大していて、思うように歩けずにいらだっていた3歳象のモトーのことが気がかりでした。そして、そのお姉さんで7歳のモジャイのことも気になっていました。
元気なモタラの様子を見てから、モトーとモジャイのいた所へ行ってみると、そこにはどちらの象もいませんでした。ところが、まだ見るからに赤ちゃんの象が、右前足首を吹き飛ばされた赤ちゃん象が目に飛び込んできました。その象は鼻を揺らしながら、3本の足を上手に使ってちゃんと歩いているのです。そのそばには大きな象が一頭いて、見るとちゃんと4本足で立っていて、どこも悪くないようです。
<これは一体どういうことなんだろう>
その場にいた係りの若者にウィラポンさんが聞いてみると、その小象はモーチャという名前で、やはりミャンマーの国境で木材を運ぶ作業をしていたお母さん象についていたときに、地雷を踏んでしまって、象病院まで運び込まれてきたのだそうです。そのとき、モーチャは生まれてたったの5ヶ月だったそうです。象は人間と同じくらい長生きで60歳ぐらいまで生きるそうですから、5ヶ月の赤ちゃんの片足首が地雷で飛ばされたと想像してみてください。その苦痛は想像を絶するものがあったろうと思われます。そして、そもそも今は正常な精神状態なのか、仮にそうだとしても、今後も精神的なトラウマでおかしくなることはないのかどうかなどなど、様々な心配が次から次へと湧いて出てきました。
少し話しかけると、その係員は食料倉庫の方へ走って行って、わざわざバナナの束を取って来て、モーチャを我々のいるほうへおびき寄せてくれたのです。モーチャはそれに気づくと、3本しかない足を上手に使いながら、見る見る間に我々のところまでやってきました。そして、軽々とその吹き飛ばされた側の足を柵に乗せて、バナナをせがむのでした。
右前足首が吹き飛ばされたが、患部はかなりきれいに新しい皮で覆われている。後方に母親の象。
その元気なしぐさの愛らしいことといったらありません。我々が体をさすっても逃げようともしません。見た目にはもうあの日のことはすっかり忘れてしまっているかのようです。係員の話では、その傷口がすっかり皮で覆われたら、お母さん象と一緒に持ち主のほうに返されることになっているそうです。
それにしても、去年見たモトーの様子とはずいぶん違います。もしかしたら、この赤ちゃん象は3本足でちゃんと暮らしていけるようになってしまうのだろうかと期待したくなりました。それでも、やはり木材を運んだりして仕事をすることまでは無理でしょう。持ち主はモーチャを養っていけるのでしょうか。自然が豊かだから食べ物ぐらいは大丈夫なのでしょうか。同じ疑問は、数ヶ月前に持ち主の所へ引き取られたと言うモトーとモジャイにも当てはまります。生きていて良かったのは確かです。安心しました。でも、果たして生き続けることはできるのでしょうか。今回再び訪れてみて、このような悲劇は何度も繰り返されて、終わらないだろうと感じられました。私たちが「かわいそうに」とだけ言って、何も行動しないでいるかぎり。 (続く)
先週のチェンマイは1日から始まった世界園芸博覧会とロイカトン祭りで国内外からの観光客で大賑わい、園芸博覧会の開会時のパビリオンコンテストでは予想通り日本館が金賞受賞、このニュースはタイのTV,新聞jでも報道され、開会後初めての日曜日の5日も多くの人がうわさの日本パビリオンを観ようと詰め掛けていました。
農業国タイにとってはとりわけ恩恵深い水の精霊に感謝を捧げ、人間の罪や汚れを水に流し、願いを捧げるタイ最大の祭りのひとつロイカトンを今年も11月の満月の5日、多くの日本からの友人たちと、チェンマイでむかえました。
街は数日前から祭りの賑わいと興奮でおおわれ、ピン川沿いには昼間からバナナの葉や色とりどりの花で美しく飾られた手作りの灯篭(カトン)の店が立ち並び、街には陽気なロイカトンの唄がスピーカーから流れ、夜のクライマックスを待っていました。
午後6時過ぎ、夜のとばりが落ち始める頃から、ピン川にはろうそくを灯した多くのカトンが流れはじめやがて川面はカトンの無数のろうそくで宝石箱はひっくりかえしたように輝き、満月の空には舞い上がる数千の熱気球が飛び交い、いたるところで花火も打ち上げられ宙天は幻想的な世界に変貌していきます。
ピン川沿いのレストランは2ヶ月前からすでに予約で満席、シンガービールで互いの再会と健康を乾杯し、酔うほどにわいわい話しながらスパイシーなタイ料理を堪能するテーブルの側で楽師たちは民族楽器でロイカトンの音楽を奏で、民族衣装を着た踊り子たちは乱舞し、祭りは益々もりあがっていきます。
食事の後、前日、村の子供たちが作ってくれたカトンを各自、祈りを捧げ、願いを込めてピン川に流しました。
僕も、
・ 世界が平和にになりますように・・・
・ 日本がアジアの国と仲良くなりますように・・・
・ 友人たち、スタッフ、村の子供たちが皆幸せになりますように
・ そして僕自身も健康で愛に満ちた毎日が送れますように・・
カトンからこぼれ落ちそうなくらいにテンコ盛の願いと祈りを捧げ、満身の気合を込めて流しました。
チェンマイで11月1日から開催の<世界園芸博覧会>ROYAL FLORA RATCHAPHRUEK)の各パビリオンは開催日に間に合わすよう連日追い込みの突貫工事の中、日本パビリオンはすでに完成し、開会を待つばかりです。
今回の日本庭園の造園に使用する木や花や石はほとんどすべてをタイ国内で調達し、日本から来た職人さんたちの指導でタイ人の職人も大勢いっしょに3ヶ月かかりで日本の庭園美の世界を創りあげました。
中央の池の回りに、季節の木々や花を植え込み、正面奥には富士山をかたどった緑の築山、、石で滝、渓谷、段々畑を構築し、日本の四季を演出、池には2000年前の蓮を開花させた大賀蓮も日本から持ち込み植えてあります。日本古代の蓮の花のチェンマイの里での開花の日が楽しみです
博覧会では役員の投票でベストパビリオンが選ばれるとか、日本パビリオンの
金賞を確信しています。
1ヶ月前まで幹線道路沿いあちこちにあった前首相タクシンンの大きな看板がすっかり消えてしまったチェンマイです。
タクシンが故郷チェンマイへの招致に尽力した国王即位60周年の今年の最後のビッグイベント<国際園芸博覧会>が11月1日チェンマイ市内から南東の王室農業研究所の広大な敷地で開催される予定。
博覧会のノボリが道路沿いにたなびき本来ならば、1ヶ月後の開幕にそなえ、展覧会景気で盛り上がってもいいはずなのに、クーデターのせいか街は何故か低調なムードで会場の参加30数カ国、各国のパビリオンの準備は遅れ気味、その中で国王の今までの業績を展示のために建設されたロイヤルパビリオンと日本館だけはすでにほぼ完成。
日本館の建設には日本の箱根植木社の職人さん3人が4ヶ月前から現場に張り付きタイの職人さんたちと日本ならではの緻密な工程管理で進めてきたから開催日2週間前の余裕の完成。
弊社のスタッフが日本からの職人さんたちの通訳や車のお世話を勤めさせていただいている関係で、今日も現場責任者の伊澤さんに内部を丁寧にご案内いただきました。
約500坪の敷地に四方を巡るうちに四季を愛でることができるという日本古来の池泉回遊庭園を造り、池の奥には富士山をかたどった緑の築山。
また、周囲は段々畑や滝、渓谷を模した石組で日本の風景を表現しています。
また国王への献上植物として,1951年東京大学の大賀一郎博士が推定2000年前のハスの実から開花させた大賀ハスを日本から植物検疫を経て運び込んで庭園中央の池に植えてあります。来年6月ー7月日本古代のハスの南国チェンマイでの開花が楽しみです。
また、タイ大好きの秋篠宮殿下のご長男、悠仁殿下のご誕生を記念の植樹のため急遽日本から空輸した、空海が高野山で植えたという高野槙の苗木が3本すでに届いていました。 会期中、秋篠宮殿下のご来場もうわさされていますが・・・
この博覧会の開催期間11月1日から来年1月31日には、きっと多くの世界のVIPやタイ人や海外からの観光客にこの卓越した日本の庭園美を鑑賞してもらえることでしょうが、博覧会終了後も日本館はそのまま残され、王室農業研究所の植物、花、果実といっしょにいつまでも人々の憩いの庭園として残されることは喜ばしいことです。
まだメータータクシーが少ない、タイの地方都市や農村の主な交通機関はソンティオ、小型トラックの荷台に屋根を取り付け、左右にベンチを取り付けた乗り合いバスです。
タイ第2の都市であるチェンマイでも最近やっとメータータクシーが50台を超えたくらいの台数しかなく、それも空港とか駅、ショッピングセンターなどで駐車しての客待ちのため、街中での利用は流している三輪車のトゥクトゥクかこのソンティオが一般的な交通手段となってしまいます。
乗車時に行き先を告げ、値段を交渉し(一人:市内15バーツ;45円くらいから乗り込むと運転手は乗客の行き先によって道順を決め、各客の目的地まで運んでくれます。
このソンティオは個人営業のためか、助手席にはよく運転者の奥さん、恋人、子供たちがいっしょに乗ってドライブを楽しんでいるのもタイらしいところ。
ソンティオの運行は100kmくらい離れた地方までにも及び、その目的地によって車の色を塗り替えています。地方へ行くソンティオの屋根には家財道具のような大きな荷物が積み込まれ宅急便の役目も果たしています。
タイの旅もこのソンティオに乗れるようになると、よりカジュアルで、よりディープなタイを経験できます。
アメリカの旅行誌 Travel + Leisureが旅行者にアンケートを実施して集計した世界TOP CITYによれば
1位 フローレンス
2位 ローマ
3位バンコク
4位シドニー
5位に何とチェンマイ
日本でトップの京都は世界トップ10外、アジアトップ10では4位がやっと・・
アンケート対象が欧米人ということもあっても、マイナー都市チェンマイの5位は大健闘
チェンマイ出身の首相タクシンの様々な観光客誘致策たまものでしょうか?
![]()
日本人の定年退職者の中期滞在者もタイ政府のリタイアビザの発給策もあり
年々増加の一途、日本人にも根強い人気を維持しています。
観光客、中期滞在者用狙いの新たなホテル、サービスアパート、コンドミニアム、ゴルフ場の建設、空港の拡張工事と次々と進行中
喧騒バンコクのと違い、チェンマイの静かな時間の流れの癒し感が旅行客に人気の所以でしょうか?
1973年、チェンマイの名を一躍有名にした玉本事件、彼も東京オリンピック、万博の建築景気の中、砂利で儲けたお金で世界漫遊の末、たどり着いたのが地上のユートピア、チェンマイであったとか。
玉本事件の真実は名越健郎氏著<メコンのほとりで>ご一読を・・・
![]()
益々、国際観光都市に変貌中のチェンマイですが、チェンマイオールドファンのひとりとして、のんびり、ゆったりのチェンマイ情緒と微笑みの人情はいつまでも変わらずにいてもらいたいと願っています。
![]()