
雨期に入り、湿気一杯のむせ返るタイバンコクのホテルへ1ヶ月ぶりにチェックインしPCを明けると在タイ日本大使館からの緊急メッセージ
<本日および31日、首都バンコクにおいて大規模な政治集会が予定されていますつきましては、首都バンコクに渡航・滞在される方は、これら集会には近づかないよう十分注意してください。また、暴動や爆弾テロ事件等、不測の事態に巻き込まれないよう自らの安全確保に十分留意してください>
英字紙 30日のBANGKOK POSTを見れば<判決の日 Judgement Day>、
前政権与党・愛国党とライバル政党の民主党というタイの2大政党の昨年4月の選挙違反裁判の判決が30日にありタイ政府は29日、バンコク都内のテレビ局全局に兵員を派遣するなど、警戒態勢を強化した。愛国党支持派は30日にバンコクの憲法裁判所周辺と王宮前広場で集会を開く予定で、治安当局との衝突が懸念されている。
チェンマイから深夜バスでバンコクへ入ったスタッフによれば道中何回も警察のチェックがあり、バンコクへの移動はかなり制限されているとのこと。
チェンマイ プーディン村の農民のおばちゃんたちも前首相タクシンに率いていた愛国党(THAI RAK THAI)一派から動員をかけられひとり1000バーツ(3600円)の手当てをもらい専用バスに乗せられてこの判決日に向けてバンコクでの集会に運ばれてきているとか
30日午後1時半からはじまった裁判は延々と深夜11:00まで続き、街中がTV中継に見入る中判決は予想通り愛国党(THAI RAK THAI)解党を命じ、タクシン前首相ら選挙当時の愛国党役員111人は5年間被選挙権がはく奪され、復権は当面困難となった。
ライバルの民主党は無罪。 新聞の見出しは <バイ バイ 愛国党 (THAI RAK THAI)>
すでにバンコクに集結(お金をもらって)している愛国党支持の群集が今日どういう動きをするのか朝からTV中継されて大勢の警察が取り囲み緊張が続いています。
クーデター以降の臨時政権のもと、前政権タクシンのブレーンは一掃されましたが、緊急リリーフの現政権にはいろいろな面でほころびが目立ち、タクシン復権待望論があちこちで聞かれ始めました。
当のタクシンはタイへの入国は許されず、すでに10ヶ月に及ぶ海外回遊生活、今なお各地からその動向は伝えられ先週は英国プレミアリーグのマンチェスターシティFCを個人で70億バーツ(250億円)買収するとか、日本の大学の客員教授になる(?)とかのうわさが飛びこんできています・・・
益々政治混迷の予想されるタイですが、すべては国王殿下の思し召しが天の声、今後どのような天命がくだるのでしょうか?
今から香港へ帰国のため空港に向います。(デモにまきこまれないように・・・・)
連日立ちくらみしそうな暑さのバンコク、慢性的な交通渋滞、移動に涼しさと快適さを求めるならば地上モノレールBTSか地下鉄が最適、料金も路線バス、タクシーに比べれば割高ですがバンコク市民だけでなく、観光客にも利用されています。
地下鉄の切符は自動発券機でまず画面で<ENGLISH>を押し、行き先を選びその金額のコインか紙幣を入れると黒いポーカーチップのような丸いプラスティックがでてきてビックリする。このチップを改札機のパネルに当てるとドアが開くという優れもの、開業2年、その間車両事故もあり、しばし休業期間もあったりしてまだまだ利用客は少なくゆったりとしかも渋滞なく市内移動ができます。
車内には高齢者、妊婦 子供(?)そしてタイらしく僧侶に席をゆずりましょうとの
表示あり、東南アジアの地下鉄にはキオスクもなく車内の飲食禁止また構内にはトイレがないので念のため・・・
目的地に付いたらチップ改札機の表示の穴に入れるとドアが開き、無事脱出完了できます。
現在1路線の18駅のみで移動範囲は限られていますが、一味違ったバンコクウォッチングにお勧めのコースです。
ソンクラン(タイ正月 水掛け祭り)を今週末にひかえた酷熱のバンコクです。
バンコク市内では市内の街路樹に混じって日本の桜よりは大振りの花びらの南洋桜が遠めには日本の満開の桜と見紛うばかりの鮮やかなピンクの花を咲かせています。
タイは今が真夏、連日35度を突破する酷暑が続いて、じっとしていても汗が吹き出てくる感じです。この真夏はまたフルーツの季節でもあり、街角にはいたるところで果物売りの屋台が店を出し、色鮮やかなトロピカルフルーツを並べています。
果物の王様といわれるドリアンもこれからがシーズン、そのえも言われぬ臭さゆえ一般ホテルや乗り物へ持ち込みは厳禁、スーパーでカットされたドリアンをラップで何重にもパックして冷蔵庫にいれておいてもいっしょに入れておいた野菜やアイスクリームまでに臭いが感染するという代物、また発酵性が強いためかアルコールといっしょに食べると死ぬいわれていて半信半疑でいましたが数年前、香港でよく行く食堂のおばちゃんが突然死し、部屋にはブランデーの空き瓶と食べかけのドリアンが残っていたとか、それでも東南アジアの人たちにとってはドリアンは最高の果物であることは間違いなく、命がけでも食べたくなるようです。僕の長年の経験では日本人で初めてドリアンを食べられる人は20人に一人くらい・・?中にはそのままドリアン狂いになってしまう人もいますが・・・
見た目の異様さではうににパーマをあてたような、虎の●玉といわれているランブータン(もっとも虎のものをまじまじと見たことがないのでなんともコメントはできませんが)見た目とは違い爪をたてて皮をむくと乳白色のジュゥシー果肉が現れ、南国ならではの美味な果物です。
そして今(4月~6月)、タイでの一押しはマンゴ、露店でもスーパーででも売られ,タイレストランでもこの季節、甘くしたたるような完熟マンゴはタイ料理の食後の辛さを中和させるデザートには最適です。
もし、この季節東南アジアを旅行される機会があれば是非日本ではみかけないトロピカルフルーツをトライされることをお勧めします。
1ヶ月ぶりに舞い戻った、開港4ヶ月経過したバンコクスワナプーン新空港には人目を避けるようにうごめく作業員がそこかしこに、見上げればガラス天井の上にも数人の作業員が・・・
バンコクポストによれば、この新空港そもそもコブラの沼といわれた沼沢地に規格外の土砂を使ったために、早くも地盤沈下が始まり、滑走路、誘導路に亀裂が生じ、51基の搭乗ブリッジのうち11基が使用不可、旅客ターミナルの外面に多用されているガラスにもかなりのひびが入ってきているとか・・・
もし地盤の埋め立てに使用した規格外の土砂が沈下の原因であれば、その場しのぎの補修では間に合わず地盤そのものからの気が遠くなるよな大がかりな改修工事が必要となり時間的にも経費的にも問題はかなり深刻になってしまいます・・
それを察したのか政府は急遽、旧ドムアン空港を国際線として併用復活開港すること6日政府決定してしまい、事態はますます混乱していくことは必須となっています。(ドムアンの再利用の準備にも45日はかかるとか・・)
チャオプラヤ川辺のカフェでシンハービールでものんびり飲みながら、川を渡ってくる熱帯の肌にまとわりつくような高温多湿の大気を吸って、日本から引きずってきた風邪を一機に吹き飛ばそうと、河畔のホテルに宿泊したのですが今年のバンコクは50年ぶりの(50年前の記録を取っていたとは思えないので、おそらく史上初)涼気襲来とかでプールにも入れず冷えたビールを飲むと肌寒くなり、かえって風邪をこじらせ、はなや咳まで出て来てなんとも情けない状況になってしまいました。
プミポン国王 79歳の誕生日を祝う祝典で賑わうバンコクから香港へ帰国のため空港へ向う2時間前、昼食を兼ねてお会いしたアメリカ ロスアンジェルス(LA)から来られた日本人の紳士の生き様に感動しました。
T.M 氏
1939年 生まれ 67歳
1965年 東大卒
1965年渡米し、ゴルフジャーナリスト、ゴルフカメラマンの草分け
1977年樋口久子の全米女子プロ選手権(サウスカロライナ州、ベイトリー・プランテーション・コース)優勝に立ちあった唯一の日本人記者
アメリカ中のゴルフ場もを巡りツアーの取材活動を続ける、青木功とも親交がある。
22年前から LAで日本人向け フリーペーパーではNO1の日刊サン(無料)
(記事はサンケイスポーツが全面提供)を発行、現在 LA,ハワイで発行、来年からはNYで再発行計画中、世界中で日刊の日本語フリーペーパーはこの日刊サンだけです。またグラフック会社 JAPAN GRAPHICS社長でもいらっしゃいます。
5年前からアメリカで知り合ったタイ人の故郷、バンコクから東北へ車で5時間の奥地 PHURUAという標高1000mの高原の村(日本人は誰もいないし、タイ人ですら聞いたことがない町ですが土地の人はタイのスイスといって花咲き乱れる桃源境とのこと)に単身入り込み70000坪の土地を取得し、500坪の15部屋の自宅兼のロッジを建てその周囲に老後の楽しみとして今までアメリカ中で巡ったゴルフコースの集大成として自分でゴルフ場を設計し、村人といっしょに造成を始められて日本からハンドキャリーされたしだれ桜や紅葉を植林されています。
でも、夢はチャンピオンコースを目指されていますが、どう計算しても70000坪では9ホールもできないようですので土地の買い増しを計画中ですが、周囲の土地はこの間、3倍に急騰してしまっているとか・・・
アジアで25年生活してきている僕が最も感動したのは、T.M氏が40年間でアメリカンドリームを達成されながらなお60歳を過ぎてから、一人土地勘もなく言葉も通じないタイの田舎に入り込みアジアンドリームに黙々と挑戦されているカッコよさであり、しゃべり方も静かで気負ったところもなく、(アジア浪人の僕のようながさつさはなく・・・)アメリカ在住40年のバター臭さをまったく感じさせない日本のどこにでも見かける上品な自然体の紳士であったことです。
現在LAとタイをひとりで年間3-4回往復生活中(前日バンコクに到着され、このLA-タイの飛行時間20時間、時差16時間をものともせず平常体で過ごされていることもビックリでしたが・・)
もうひとつの驚きは5年間一度もこのゴルフ天国タイでゴルフをされずにゴルフ場をつくりはじめられていること・・・(何で???)
また、もうひとつの新たな挑戦は本業のフリーペーパーのバンコクでの発行も計画されていてこれも独りご自分の足で黙々と調査され、パートナーも探されています。
そんなT.M氏と昨日お会いして、世界を舞台にした日本人にすごい人がいらしゃることとまだまだ自分がガキであることを実感し、まだまだお聞きしたいことがあるので20日僕がバンコクに戻る日に是非とも再会し話しの続きをさせていただき、機会があればゴルフのご指導もしていただくことを約してバンコク新空港でお別れしました。
タイ、バンコク市内の中心通り、ラジャダムリ通りの角地に多くのバンコク市民が徒歩ででもバスででもタクシーででもこの前を通るときには(運転手までもがハンドルを離して)手を合わせるエラワン廟があります。
1956年この地に建設されたエラワンホテル建設の際、工事現場での相次ぐ事故をくいとめるよう占星術師の提言により建立されたのが、このエラワン廟。
お祀りされているのは仏教ではなくヒンズー教の三大神のひとつで四つの顔を持つ天地創造の神、ブラフマー神。商売繁盛や恋愛成就、満願成就など、タイで最も願い事を叶えてくれるという霊験あらたかなスポットで、いつも線香の煙が立ちこめ、奉納舞踊の演奏が流れ国内外からの多くの参拝者で賑わっています。
去る2006年3月21日早朝、精神を病んだ男によって黄金のブラフマー像が叩き壊され、たまたまその場に居合わせ、この蛮行に怒った清掃夫にこの犯人の男も叩き殺されるという悲惨な事件がありました。
バンコク市民にとってこの事件は何か不吉なことの前兆ではないかとのうわさが流れるうちにタクシン首相の失脚、クーデター勃発となってしまっています。
ブラフマー像の再建立がすぐに開始され、像の写真パネルが廟の中心に設置され、その間も一日も早く像の再建立を待つ祈りの人たちであふれていました。
予定では3ヶ月かかるとされていた再建もタイではめずらしく、2ヵ月後の5月21日に前にもまして金色に輝くバラはマー像が完成し、奉納されました。
新しいブラフマー像の廟には今日も多くの参拝客が訪れています。
カトリックの僕も祈りの国タイの人たちといっしょに、宗派を超えてお世話になっているタイの国の平安とタイの人たちの繁栄とついでに僕のささやかな幸せも祈らせていただきました。
昨日10日振りにまたまたバンコクのスワンナプーン新空港に舞い戻りました。
今回の10日間は久々の強行軍でした。
21日バンコク
22日東京
23日ソウル
24日ソウル
25日東京
26日東京
27日小田原
28日神戸
29日香港
30日バンコク
これだけ連日の移動して寝る場所が変わると朝、目を覚ますと<ここはどこ?私は誰?>と寝ぼけまなこで自問自答。
夜中、トイレに立つと二日酔いの酒のせいもあって朦朧とトイレの場所を探して部屋をうろうろ・・
この10日間、また新たな出会い、感激の再会、上智大学での中国人留学生たちとの懇談、コムテックでの新サイト開設の打ち合わせ、CODIO社との韓国での新プロジェクト開始、お世話になった閉店間際のMAC JATI自由が丘店へご挨拶、興奮の南大門、名門延世大学黄葉のキャンパス絶品の参鶏湯とマッコリ、小田原の新鮮な肴と旨い酒、朝日に輝く相模湾を見下ろす小田原ヒルトンでの朝湯 などなど
またまた感動の充実した日々でした。
昨日はバンコクのホテルへチェックイン後、その足で行きつけのソイ33のワットポーマッサージでいつも指名の力自慢ノイおばちゃんの3時間半(500バーツ:1500円)コースへ直行
10分もしないで爆睡・・・・・ZZZZZ
今日からは連続ツァーの第2弾、上智大学OBの8人の皆さんと17時にスワンナプーン空港で合流し、アンコールワット、チェンマイ、バンコクの6泊7日の旅がはじまります。
開港18日目のバンコク スワンナプーム空港にいます。
日曜のせいかバンコク市内からの道路はすいていてバンコク名物の渋滞に巻き込まれることなく、4車線のハイゥエイを突っ走り30分で到着、今日も相変わらず空港見物のタイ人家族連れでにぎわっていて、あちこちで記念撮影。
開港からこの間、とりあえず飛行機の離発着は出来ているものの、チェックイン荷物のトラブルは相変わらず、またエアカーゴの輸出入貨物の取り扱いは大停滞、航空内諸施設の工事はいまだに進行中で空港内はやけに埃っぽい・・
でもこれもすべてマイペンライ、(気にしない)大(タイ)国の想定内の事象、いまだに始動期間中のようで、やがてなし崩し的に本稼動していくことでしょう。
ビジネスクラスラウンジも他の航空会社に先駆け、タイ航空はほぼフル稼働、モダンタイのインテリアデザインを施し、ゆったりとしたスペースを取っている。
仮眠室、シャワー室に加え、旧空港ラウンジにあった人気の無料のタイマッサージ サービスもまもなく始まるとのこと、従来のデスクトップPCによるインタネットサービスルームに加え、無線ランも設置され、お陰で自分の携帯ノートブックで今、チェンマイ行きの待ち時間を利用してブログの更新もできるようになりました。
昨日香港から開港4日目のバンコク スワンナプーム空港に到着しました。

バンコク市内から東へ32km ノングーハオの沼地での土地の確保から40年間、歴代の首相が誰も手をつけなかったこの大プロジェクトを前首相タクシンの悲願で遅れに遅れたけれど何とか開港までこぎつけた、いわくつきの新空港。
そのタクシンも自分でごり押しで決定した開港日の1週間前にクデターであえなく首相の座から転げ落ちロンドンからも当然帰国できず歴史的な開港日には立ち会うことができませんでした。
空港の名前も当初、この地域の名ノングーハオ(コブラ沼)を国王の一声でスワンナプーム(黄金の地)に変更されたとか、いかにもタイらしい話。
28日の開港当日は予想通り、トラブル続出、チェックインした荷物が出てこない、30分,1時間待ちは当たり前、4時間も待たされた韓国人観光客がぶち切れて空港職員を殴りつけたとか・・・
バンコク在住の友人からの勧めもあり、昨日は荷物はチェックインせず、手荷物バッグに必要なものギュウギュウに詰め込んでの搭乗。
香港からの出発遅れのため30分遅れの新滑走路への初着陸、空港周囲はまだまだ建設途中か沼地のまま、いかにも無理して何とかとりあえず開港した感じ。
成田空港の3倍の広さと聞いていましたが、到着してからイミグレーション(入国審査)までの距離の長いこと動く歩道を何機も乗り継いでやっとのことでたどり着いた入国審査カウンターは旧空港より多く設置され時間帯もあってか4-5人待ちで意外と早く通過、預け荷物はないのでそのまま、荷物待ちの客を横目にパスし、スイスイとフリーパスの手荷物検査を通って到着ロビーに出てびっくり、ベトナム、インドの空港ような大勢の出迎え客、おまけにホールが狭く満員電車状態。
キョロキョロしているとはるか向こうから手を振る運転手チットの姿、チットからの情報では到着出口は3つあり、それもとんでもなく離れているため事前に便名から出口をチェックしていないと出迎客との待ち合わせもできなくなるとのこと。
旧空港だとそのまま同じビルの駐車場に行って市内に向うことになっていたのですが、新空港では駐車場ビルが離れていて駐車場まで行って車を廻すからしばし待っていてくれと言ったチットは10分たっても15分たっても戻ってこない、やっと20分以上経ってから車登場、駐車場の出口からの大渋滞の結果とのこと。
これじゃあ何の為に手荷物だけで早く出て来たのか意味ないじゃん、と思いながらやっと車に乗り込み市内へ向いました。
多くの課題山積の新空港ですが、タイの人たちにとっては新たな観光スポットになったようで昨日は始めての日曜日、家族連れの人、人、人であふれかえっていました。
このほとぼりが冷め、空港システムも通常通りに作動するようになるのにはあと2-3ヶ月はかかるのでしょうか?
月曜日のタイは黄色に染まります。
プミポン国王の即位60周年記念にほとんどの国民が着た皇室エンブレ刺繍付きポロシャツ、Tシャツが式典後も国王の誕生日の月曜日の色として
着用キャンペーンが繰り広げられタイ全土で今や超ベストセラーアイテム、黄色の染料が在庫がなくなったとか・・
社長さんから社員、掃除、食堂のおばちゃん、タクシー運転手、ヤクザ、乞食、観光客まで皆、黄色のシャツを着ています。
タイ仏教では自分の生まれた曜日を重んじ、皆自分の生まれた曜日を知っていて、お寺に行っても、自分の生まれた曜日の神様にお祈りしています。
そして曜日によって色が決められていて、その色がその人のラッキーカラーになるとのこと。
月曜日の黄色着用キャンペーンは来年の国王80歳(数え歳)の誕生日まで続けられるとか、誰言うことなく全国に広がったこの黄色運動、あらためてタイでの国王人気を知らされました。
タイ、バンコクの郊外、週末だけ開催のチャトチャック マーケット、その数10000軒(といわれている)の店々々では人間以外は何でも売っているというほどありとあらゆる物がところ狭しと並べられ、週末はいつも人であふれています。
そんな雑踏の中で見つけた異空間、どこか静かでゆったりとした空気が流れ、オーナー、インスラさんがのんびりと店番する店、その名も<ABOUT SEA>
海、船、船乗りの小物が小さな店に小ぎれいに展示され、潮騒が聞こえてきそう・・・
そこで購入した、船長と船乗りのシテッィング フィギャリンと木製の灯台。
すぐにどこに置くとか、何に使うとかの考えはないけれど、なんとなく癒されるようないい感じ・・・
インスラさんは週日は友人とこれを家で作って、週末はここで販売しているとのことだが、大きな設備の要るフィギャリンの生産を家でやっているとはにわかに信じがたし、こんな小さなウソ(?)も妙に納得してあれこれと商品のストーリーを聞くのも、この市場の楽しみ・・・
ワールドカップに参加していないタイなのに、その盛り上がりようは参加国に負けないくらい相当なもの。
(すでにフィーバーの覚めた日本より今はタイのほうが盛り上がっているかも・・?)
家庭のみならず、街角のTVモニターの前には深夜にもかかわらず、いつも人でいっぱい。
賭け事の好きなタイ人のこと、夜な夜な違法な賭け行為で興奮しているのは当然のこと・
連日深夜、明け方のTV観戦のため寝不足状態の工事現場労働者が発作を起こし、過労死したとか、
お寺のお坊さんが早朝の托鉢をさぼって出てこなくなっているとか・・タイらしいワールドカップ関連ニュースが
連日報道されています。
先のプミポン国王在位60周年に出席した国賓のなかでブータンの皇太子がその長身の端正な容姿と優美な振る舞い
気さくな笑顔、態度で一躍タイで有名人となり、特に若い女性の間でブータン皇太子はヨンさま並に人気沸騰中
ネットの掲示板にも関連書き込みが相次いでいたり、女性週刊誌に特集が掲載されたり、
旅行会社にはブータン旅行の問い合わせが相次いでいるとか・・・、

30日、新しくOPENしたショッピングセンター、パラゴンで現在 防衛記録更新中の世界最強ボクサー
タイの英雄、世界フライ級チャンピオン、ポンサクレック(60戦58勝31KO)は挑戦者エベラルド・モラレス(メキシコ)の挑戦を3回TKOでしりぞけ防衛世界新記録V15を達成した。

5月1日、日本の挑戦者、中広選手に3-0の判定で勝って防衛世界タイの14連勝にのばし、まだ2ヶ月しかたっていないのですが、この6月国王即位60周年の記念月に世界新記録の15度目のタイトル防衛し、国王殿下にこの栄誉とタイトルを捧げたかったとのこと
これまたタイらしいトピックス
いろいろなビッグイベントのあった6月のタイでした。
大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中