RIKA さんのソウル留学レポート NO4

50歳を過ぎてから、ソウル延世大学へハングルの語学留学に挑戦中のRIKAさんの留学体験レポートNO4転載,させていただきます。
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ソウルより   2007年4月13日

延世大学韓国語学堂の授業が始まって早いもので2週間が過ぎた。と言うか、勉強に追われているうちに日記を更新する時間もなく、あっという間に2回目の花の金曜日が来た。

先週の週末(4月8日)はソウルの桜が満開で、今を逃してはとしばし勉強から逃れて桜の名所ヨイドへ行った。特に素晴らしい桜並木でもないここ、ヨイナル(ヨイドの一つ手前の駅)付近、でも地下鉄の駅はものすごい人・人・人。(他に娯楽がないのか?)

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駅のトイレで列に並んで私の番になった時にアジュンマ(おばさん)が突然割り込んできた。“チョギヨ! ヨギソ キダリセヨ!!”「ちょっと ここで待ってくださいよ!」とその人の手をつかんで叫んだ!だって、その前日にもパンやさんの会計で並んでいたら前に割り込んできたアジュンマがいて、かなり頭にきていたのダ!
日本にもお行儀よく待てない人がいるが、韓国にも・・・ここでぐっと言葉を飲み込む。ヤレヤレ

でも、この日は久々にポカポカ陽気で漢江(ハンガン)沿いでやっと訪れた春を満喫したい人々の気持ちもわかるような気がした。今週、クラスの先生が「ヨイドの桜もいいけれど、キャンパスの桜もきれいよ」とおっしゃったので、そう言えばいつも韓国語学堂が近い裏門から出入りしていて、しばらく正門方面に行ってなかったと久しぶりに放課後キャンパス内を散策した。
前回、写真を撮ったときには見られなかった“春”が目の前に広がっていた。
灯台下暗し。

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桜の木下でスーパーマンやバットマンの格好をして学生がイースターエッグを配っていた。(実は教会の勧誘なのだが。こちらはひどく熱心。要注意!)一日の授業が終わった開放感とキャンパス内の輝く春の風景にしばし幸せな気分に浸った。

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前回、私のクラスが2級だったと報告したら、心温かい友人何人かから“すごいですね!”とのコメントが届いた。その有難いお言葉に熨斗紙をつけてお返ししなければ。韓国では日本と違い、程度が低いほうから1級→2級→・・・6級と言う具合になる。と言うことで、私は単なる初級にちょっと毛の生えた2級。クラスは12名で、私のクラスはチト日本人が多く6名。他はアメリカ人2名、中国人3名、そしてモンゴル人1名(この男の子がなかなか格好いい)。年齢は18歳から私の下は既婚のアメリカ人男性33歳。ほとんどが20歳前後の若者達である。この年齢になって自分の子供よりも若い人と机を並べて勉強することになるなんて、でも不思議と違和感なし。(私の一方的な気持ち)
こんなオバサンでもお勉強では負けないぞ!!

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担任の先生はパク・エリム先生。↓ とても姿も美しく韓国語も美しい。
パク先生は主にDialogの教科書の単語・文型・応用のWritingを担当。
その他に毎日ラボ教室で30分程度Dialogと応用のリスニング練習。
(色々な先生が日替わりで担当)

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そしてもう一人読解担当の先生が1時間Readingの授業をする。
授業はすべて韓国語で行われる。授業初日は一生懸命耳をダンボにして
先生の言葉を聞き取るのに夢中。でも1週間終わる頃には自然に耳に入ってくるようになった。(先生が分かり易く話してくださるからだろうけど・・・)
いやはや、この歳になっても人間って順応する力が残っているもんだなあーと
一人で感心することしきり。流石に韓国語教育では歴史が長い語学堂だけあり、授業の進め方が実に良く研究されており、そして何より先生方の説明が実に分かり易い。教科書の内容を見るだけだと今まで自分がすでに学んだ事がかなり多く、ちょっと足踏みかなと思うが、いざ先生の説明にかかると一つ一つの単語、文型が霧が晴れたようにはっきり理解できるのには驚き。素晴らしい!!

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こんな調子なので朝9時から午後1時迄の授業はあっという間に終わってしまう。友人とランチを食べて、さてお部屋に帰ってのんびり・・・としたい所だが、
そうは問屋がおろさない。その日学んだ新しい単語や文型の例文をそれぞれ
いくつかずつノートに書き、翌日提出するのが毎日課せられる宿題。
それ以外にもスピーチなどの課題が出される。宿題が終わると4冊ある教科書の予習が。これも結構な量。何しろ毎日すごいスピードで進んでいくので。

学校の授業に加えて放課後に延世大学韓国人学生の中で日本語を学びたい学生に日本語を教える代わりに韓国語を教えてもらうエクスチェンジというシステムがあり、私も希望したものの数に制限があり、じゃんけんで負けた私は没に。なのでなんとか韓国語を話す機会を作らなければと、このコシテルの管理人のお兄ちゃん(あの親切な李さん)に「誰かいないか?」と聞いたら“ネガ ハルッコエヨ”「私がやってあげますよ」と言ってくれ、ほとんど毎日1時間~1時間半程、授業の復習や雑談をしてもらったり。タダではあまりに申し訳なくて「アルバイトでやってくれないか?」と言ったが“サービス”なんて言われてしまったので、
本日、現代百貨店でビールの味がするビール・バドワイザー(韓国のビールは味が薄くて呑んだ気がしない)をソンムル(プレゼント)として進呈。6本渡したらその中の1本を取って、“これはリカッシ(RIKA氏)に”と言ったけど、もちろん私のもイッソヨ!(ありますよ!)

    ↓ネッコ(私の)
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3時頃から机に向かっても、宿題・予習・李先生とのお勉強で夕食までに終わらないことがほとんど。コシテルの友人とせっかくサムギョプサル(豚の三枚肉の焼肉←ひどく美味)を夕食に食べに行っても焼酎はお預け!ガマン!
お部屋でやっとお勉強が終わってからのナイトキャップが唯一の楽しみの今日この頃。
さあ、今夜は花の金曜日なので心置きなく飲もうっと。 

投稿者: otaku 日時: 12:09 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

RIKAさんのソウルレポートNO3

RIKAさんの奥様ソウル留学体験レポートNO3転載させていただきます。

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ソウルより   2007年4月3日

ソウルは一昨日天気予報通り黄砂が舞った。
この時期日本では花粉予防のマスクをする人が目立つが、ここソウルでは
花粉症はあまり騒がれていないようだ。こちらの人に聞くところによると、
韓国人は発酵する食物をよく摂取しているので免疫力が高く、花粉なんてへっちゃらとか?これもキムチパワー?
そんなソウルっ子も黄砂にはやはりマスク。
地下鉄の中でおじさんが売り歩く姿も見られた。

   ↓黄砂で霞む江南(カンナム)地区の狎鷗亭(アップジョン)付近
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今日はこのあたりの桜も八部咲きだと言うのに、朝の気温は2度、
学校の授業が終わって外に出たら冷たい風邪が吹き、そのうちにみぞれが降り出した。ソウルの春はもう少しお預けらしい。

             
3月29日、以前から訪れてみたかった非武装地帯へのツアーに参加した。
たまたまこの日は学校の予定もなく、私にとっては都合が良かったのだが、
参加した人に聞いたらこの日をはさんで前後とも満席で予約が入れられなかったとか。
日本人の観光客には人気のコース、私も負けずにミーハーか?
最初に案内されたソウルからバスで40分ほどの
오두산통일전망대(オードゥサン統一展望台)は南を流れる漢江(ハンガン)と
北を流れる臨津河(イムジン河)が合流する地点に有り、晴れた日には北朝鮮を見ることができる。この日は生憎お天気が悪く霞んで見る事が出来なかった。

       ↓漢江とイムジン河が合流する地点
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ここでは脱北者が生々しい体験談を交えながら北朝鮮の生活を紹介してくれた。現在、韓国に亡命した脱北者は1万人、そして北から脱出を果たし、その他の近隣国で韓国への亡命のチャンスを待っている人は35万人いる。彼女も中国にいる知り合いを頼り、ブローカーに100万ウォン(日本円で13万円程度)を払い、命懸けで中国へ。その後中国で3年半もの間、苦しい生活に耐えながら亡命のチャンスを待った。北では1ヶ月の収入が2000~3000ウォンでお米を
3キロも買ったらなくなる程度のもの。中国人の知り合いの手助けで100万ウォン払うことが出来た彼女はかなり恵まれた例かもしれない。

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ピョンヤンは外国人に見せるために作られた都市で、そこに住める人は一握りの特権階級。ピョンヤン市民には特別な証明書が発行されるが、そんな特別扱いの人々も障害を持った子供が生まれればすぐに地方に追放されると聞いた。
徹底して都合の悪いものには蓋をする北の体質そのもの。
この展望台の建物内には北の小学校の教室、民家の内部などが再現されており、中央に飾られている金日成、金正日の写真が印象的だった。彼女の説明がすべて終わった後、参加者から様々な質問が寄せられた。

「ご苦労されましたが、今は幸せですか?」
『はい、同じ脱北者の男性と韓国で知り合い、結婚、子供にも恵まれ、 今は幸せです。北に残してきた家族が気掛かりですが。』

「北からの圧力で身の危険を感じることはありませんか?」
『脱北者が1万人を超えた今はあまりそれは感じませんが、このように人前で脱北者だと語ることは勇気がいることです。』

「南の太陽政策はどのように思われますか?」
『韓国に亡命した当時は素晴らしい政策だと思っていましたが、 結局、援助は一般市民には行き渡らず、金正日の力を助成することにしかならないことに気が付き、今では反対しています。』

不幸な南北分断の現実を見せ付けられ、なんとも暗い気持ちで次の目的地・板門店へ。板門店(共同警備区域JSA)はソウルから西北に62km、北朝鮮の平壌から南に215km、開城市からは10kmの地点にあり、非武装地帯の中で韓国人が行くことが出来る最北端の場所である。
第二次世界大戦後の東西対立を象徴する1950年6月に始まった朝鮮戦争
(韓国では韓国戦争と呼ばれる)は当初は北朝鮮軍と韓国軍によるものであったが、のちに米軍をはじめとする国連軍や中国軍まで参戦、1953年7月27日に停戦協定が成立したが、その結果朝鮮半島(韓国では韓半島)の南北分裂が決定となった。
休戦協定の締結と共に作られた非武装地帯は韓国と北朝鮮の軍事境界線(西方の漢江入り口の橋洞島から開城、南方の板門店を通って中部の鉄原、金和を過ぎて江原道高城郡の名呼里にいたる248kmが朝鮮半島を横切っている)に沿って南と北それぞれ幅2km、計4kmを武装無しにあらゆる軍事行為及び敵対行為を一切中止する緩衝地帯である。

まずバスが非武装地帯に入ると国連軍司司令部最前方基地であるキャンプボニパスで国連軍によって用意された軍司専用バスに乗り換え、見学者は全員ブリーフィングを受け、その際には軍事境界線を越えて北朝鮮軍の管理する総合警備地域へは立ち入らない、万が一敵の行動によって危害を受け、また死亡するなどの有事があっても責任を追及しないなどの宣言書にサインを要求される。この場所に入る為には穴の開いたジーンズは禁止(北朝鮮の軍人はジーンズを米国を象徴する服装として見ることから、不用意に彼らを挑発しないため)、その他、事件が起きたときに国連軍の支持に従って敏速に行動することを妨げるミニスカートやサンダルなどの着用が禁止されている。
ブリーフィング後、いよいよバスは非武装地帯内の南側にある
大成洞「自由の村」(戦争以前から住み続けている原住民の村で現在約230名が農業を営みながら、韓国政府より兵役免除、税金免除などの特別待遇を受け豊かに生活している。)を左手に見ながら板門店へ

この共同警備区域(JSA)は前後左右の距離がわずか800mにすぎない狭い空間で、南北双方の行政管轄権の圏外にある特殊な地域である。

ブルーの建物が軍司停戦委員会の会談場

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↓境界線沿いにある北朝鮮の見張り小屋(左手に北朝鮮兵士が立っている)

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軍司停戦委員会の会談場は南北の境界線上に建てられ、建物内部においては境界線をまたがり実際には北朝鮮側に立つことが出来る。

下の写真の会議テーブルの中央が境界線である。
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建物外部で警備する国連軍兵士↓
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この軍事停戦委員会の会談場の前を通過し、小高い丘に登ると
休戦協定後、戦争の捕虜交換が行われた「帰らざる橋」(捕虜達が一度どちらの方向に行くかを決めたなら、二度と帰ることが出来なくなることから名づけられた)、そして1,8km先の北朝鮮の気静洞「宣伝村」(キジョンドン村)を一望することができる。

帰らざる橋
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この橋をまたがり、南北の兵士の友情と悲劇を描いた悲しい物語の韓国映画「JSA」を思い出さずにはいられない。

気静洞
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この気静洞は以前は偵察兵士以外の民間人は誰も住んでいなかったが、ここ何年かは実際に住民がいるとのこと。暖房用に木を燃やすためか、北朝鮮側には重要な軍事施設の周りを除きまったく樹木がない。初めて目にする北朝鮮の地は寒々しく荒涼としていた。あの中でどんなに不条理なことが繰り返されているのだろうか?たった1,8kmのこの差は何なのだろう?

非武装地帯内の見学にはすべてバスに国連軍兵士が同乗し、バスの前には武装した兵士が乗るジープが護衛のために先導する。この板門店を訪れる韓国人は特別な申請をし、3ヶ月後に許可が下りた者のみで、しかも子供を置いて北に亡命できないように夫婦での参加は認められていないとのこと。
このようなことを聞くにつけ、常に緊張状態が続いていることを実感させられる。同じ民族でありながら、同じ家族でありながら南北に分かれて生きる悲劇。
脱北者の話から推測する北朝鮮の悲惨な実態、益々広がる南北の格差。
彼らが抱えるこれらの痛み。韓国人を理解する上でやはりこの事実から
目を逸らせてはならないと自分に言い聞かせながら板門店を後にした。

余談だが、非武装地帯に勤務を命ぜられる韓国兵は身長175センチ以上のエリート中のエリートとか?どおりで私が乗ったバスに同乗した兵士もすぐにでも映画俳優になれそうな凛々しいお方だった。ソウルの地下鉄内ではなかなかお目にかかれない。

さて、板門店ツアーの翌日はいよいよ延世大学韓国語学堂のクラス分け発表と
オリエンテーション。1級から上級は6級まで、1クラス約12名ごとに名前が書かれた紙。ありました。2級でした。
初級と中級の中間といった位置づけ。まあ、自分なりに妥当かな?と納得。
(後日、実際に授業がスタートしてみて、なかなか身の丈にあったよいクラスと感謝・感謝)
オリエンテーションはまず全員が一同に集まり教授陣の紹介の後、英語・日本語・中国語に分かれて細かい説明を受けた。

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延世大学の韓国語学堂の歴史、学生の実際の生活などを口頭とビデオで紹介された。若者の中に混じって受けるこれから始まる10週間の授業に胸を躍らせる私であった。

さてさて、実際の授業の様子は次回に!!  

投稿者: otaku 日時: 09:59 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

RIKAさんのソウル レポート 2007.3.28

ソウル延世大学へ語学留学を始めたRIKAさんの奥様語学留学体験レポート NO 2 を転載させていただきます。

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ソウルより   2007年3月28日
早いものでソウルにやって来てこの狭いお部屋で暮らし始めて、はや5日が過ぎようとしている。今日はソウルは朝から厚い雲が立ち込め、雨がいつ降りだしてもおかしくないような空。案の定、お昼過ぎに降りだしたと思ったらなんと小さな氷の粒、ひょうだった。
地下鉄 신촌역(シンチョン駅)へ向かう道沿いにやっと咲き始めた桜の花もびっくり。
(今までは夢中で目の高さばかり見ていたが、今日初めて上を見る余裕が生まれ、見上げてみれば咲いていた!)
先程Yahooのニュースで上野の桜が満開の写真が載っていたので、やはりソウルは東京より少し寒いようだ。

地下鉄のシンチョン駅には8つ程出口があり、私のコシテルに行くにはヒョンデペクファジョン(現代百貨店)の横を通り一番遠くの出口へ。出口の右手には韓国ドラマ「美しき日々」の舞台となったシンナラレコード店がそのままの姿で。今にもリュ・シウォンがバイクで乗り付けてきそう。

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ここから賑やかな繁華街を7分ほど歩くと見えてくるのは立派な病院。
私がこれから通う延世大学の医学部(ドラマの中でリュ・シウォンが通っていたのはこの医学部という設定らしい)付属の病院で、道を挟んで右側のレンガ色の建物の3階に私のお部屋がある。

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↓この建物
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さてさて、今朝はソウルに来て初めて目覚ましで起きた。
今日は大切なクラス分けのテストがあったのだ。
部屋から歩いて5分、丘の中腹に延世大学の韓国語学堂(The Korean Language Institute)がある。

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9時半の集合時間には中くらいのホールがいっぱいになるほどの生徒が集まってきた。ほとんどが東洋人系、欧米人は見たところざっと20%といった感じ?
学校からもらった資料によると今までこの語学堂で学んだ約62500名中

1位 Japanese     18,632名
2位 American     16,196名
3位 Japanese-Korean  9,453名
4位 Chinese(本土)    3,726名
5位 Korean       2,532名
6位 Canadian      1,316名
7位 Russian       1,211名
といったことらしく、やはり東洋人が圧倒的に多いようだ。

ホールで一般的な説明を受けたあと13名くらいのグループに分けられ、
各クラスルームで筆記と面接試験を受けた。筆記は難度の低い問題から段々進むにつれて手に負えない問題へ。説明の先生が自分が無理だと思ったところで止めろと言ったのを「悔しい!」と思いながらもそれに従わざるを得なかった。シクシク・・・ 
面接は筆記と平行して一人ずつ隣の教室で行われ、それがドアを開けっ放しでするものだから全部聞こえてくる。
黒人の男性がひどく流暢な韓国語で答えていた。彼はなんで日本語でもなく、中国語でもなく、中国語を勉強するのだろう?なんて余計なことを思ったりして。

私の面接ではもっと聞いて欲しかったことは聞いてもらえなく、ちょっと肩透かしにあった感じ。日韓の問題とか格好良く話そうと思っていたのに。そう言えば娘が中学受験のとき、
親子面接で最後まで何も聞かれずに終わろうとした時に、用意万端で行ったダンナが我慢しきれずに何か口走ったら、面接官の先生に「お子様の面接ですから」と言われ、なすべもなくその場を去ったのを思い出した。
あの時「もしも落ちていたら父親の責任だ」と娘に言われた。しゃべり過ぎないくらいが良いのかも?

今日のクラス分けテストの結果は明後日の午後発表になる。この延世大学では日本語、中国語を母国語にする生徒に対しては6級(1級から6級すべて受講すると1年半)と西洋の言語を母国語にする生徒に対しては8級(2年間)に分けて学習するシステムになっている。数ある韓国の大学、語学学校の中でもこの延世大学のプログラムは比較的評価が高く、こちらに来てからの情報では中級クラスの生徒でもかなり流暢に韓国語を話すことができるとのことなので、私は欲張らずに自分の背丈にあったクラスで学習できればそれでヨシとしよう。

キャンパスはソウルの中心地(明洞ミョンドンや市庁シチョンなど)から地下鉄で数駅、駅から徒歩7~8分という地の利の良さと言うのに、広大で自然も多く残り、天気の良い週末ともなれば大学関係者でもない親子連れがお散歩を楽しむ姿が見られる。

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これから若葉が芽吹いてきたらきっと美しい姿を見せてくれるだろう。
とりあえず、結果はさて置き、無事に試験が終わったので、

明日は板門店ツアーに。朝10時にロッテホテルを出発の1日ツアーだ。
初めて見る北朝鮮はどんなだろう?    

投稿者: otaku 日時: 08:47 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

RIKAさんのソウルレポート 2007.3.25

50歳を過ぎて意を決してのソウル延世大学へ語学留学を始めたRIKAさんからの奥様ソウル留学レポートを掲載させていただきます。
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ソウルより   3月25日 

昨日これから3ヶ月間過ごすソウルに到着。
インチョン(仁川)空港からお迎えの車に同じ斡旋業者で留学する5人の若い女性に混じっておばさん約一名。
ソウルまでの道中、若者の会話を聞いていたらほとんどが我が息子ほどの年齢。こんなに若い時にお勉強したらどんなに上達するだろうなと、6ヶ月、1年間留学する若者を羨ましく思いつつ、周りの景色をキョロキョロしているうちに滞在地に到着。
ここは韓国ではコシテルと呼ばれるアパートのような、寮のような。
これから通うことになる延世大学からは徒歩5分。京義線の新村(シンチョン)駅のすぐ裏側、
地下鉄の新村駅からは徒歩7から8分の便利なところ。ロケーションは最高。
さて案内されて入った建物自体はさほど新しくはないけれど、一応ちゃんとエレベーターがあり、3階へ。真新しいコシテルが目の前に。
管理人のイ・チョンチョンとか言う(聞いたが忘れた)若い男性が迎え入れてくれていざ自室へ。


わーー、スーツケース置いたらスペースがないじゃん!!が私が心の第一声。
でもシャワー、トイレ、ベッド、テレビ、冷蔵庫、机と椅子がコンパクトに(コンパクトにならざる得ない)据え付けられ、とりあえずとても清潔でセキュリティーもOKということで納得させ、イソイソと荷物の整理。この狭いスペースなのに、結構簡単に荷物が収まり一安心。

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自室の他に清潔なキッチンがあり、そこにはいつもご飯とキムチとラーメンが
食べられるようになっている。共用のPC、洗濯機、冷水・温水サーバーも有り、
その他にはアイロンとアイロン台が自由に使えるようになっている。
管理人が(マネージャと呼べとか言ってたっけ?)私のスーツケースをなんとかすると言って預かってくれた。ホッ。

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ヤレヤレということで、自室の有線LANでPCをインターネットに接続と思いきや、これがどういう訳だか失敗。先程の管理人のお兄ちゃんに相談したら、すぐ来てくれて、彼にしてみれば慣れない日本語のPCを私のつたない韓国語と彼のつたない英語でやり取りしながら色々試行錯誤。
もう私はまたあとでのんびりやり直そうと思っても、彼は超一生懸命にあーでもない、こうでもないと・・・
彼の粘り勝ちで2時間後にやっと使用可能に。いやあーーー助かった。感謝・感謝。チョンマルカムサムニダ!
これで私の生命線は確保されたとひどく安心したころには、もう外は暗くなり、今夜過ごすのに必要なものだけでも
お買い物をしなくてはと地下鉄シンチョン駅付近をブラブラ。
とりあえず必要な日用品と牛乳・お水・そしてこれが大事な焼酎を買ったら、もう8時近く。朝から機内で出たお弁当と言うにも恥ずかしいような粗末な食事しかしていないのに、空腹感ゼロ。

それでもどこかで何か食べていこうとものすごい数の食堂が並ぶ駅付近をウロウロ。でもなんだか一人でと思ったら、段々気持ちがなえてきて、今夜は自室で焼酎とさっき管理人さんが入居のご挨拶と言って持ってきてくれたあずきの粉をまぶしてあるお餅を夕飯にすることにして帰宅。
バスルームの窓(ここしかない!)から入ってくる空気はなんとなくキムチ臭い。
そのせいか昨夜、夢で自分が電車に乗っていたら「あなた臭いからあっちに行って」と言われ、憤慨したところで目が覚めた。

「このキムチ文化の中にどっぷり漬かったらキムチ臭くなるのでは?」との強迫観念の表れ?
こんな調子で一日目は終了したのです。
つづく・・・・・


投稿者: otaku 日時: 08:01 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

ソウルの秋

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ソウルの秋は足早に駆け抜け、銀杏並木も黄葉しています。

1885年創立、私立大学の名門、延世大学キャンパスを歩く学生たちもジャケットやセーターの冬装束に衣替えしています。

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ここ延世大学の語学堂は外国人韓国語教育では定評のある学科、生徒総数1000人のうち、韓流の影響もあってか日本人留学生は50%、恵まれた環境でのキャンパスライフを楽しんでいます。映画監督崔洋一はかってこの語学堂に留学したが教授との意地の張り合いで3ヶ月で放校になったとのエピソードもあります。

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小学校からの歴史教育でナショナリズムの高揚を図る韓国、中国、アジア各国に対し、受験に関係のない世界史、日本史をないがしろにする日本の高校教育、そのためここ韓国に語学留学に来て豊臣秀吉や伊藤博文が韓国の歴史上忌み嫌われる人物であり、日本海を東海を呼び、独島(竹島)問題に執拗に拘る韓国の実態を初めて知ることになり、たじろいでしまします。

アジア外交の重要性を唱えるならば、アジア各国固有の歴史を知った上での付き合いが必須なのに受験に関係ないという理由で歴史教育を軽視する予備校化してしまった日本の高校教育に危機感を感じます。

ソウル最大の明洞の路上冬物衣料セールの屋台の前にも多くの人が集まり、冬はすぐそこに来ています。

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投稿者: otaku 日時: 08:15 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

ソウル 憂色

ワールドカップ、日本の予選リーグ敗退決定の翌日、23日ソウルは街中、朝から決戦ムード全開、マスコミも市民のスイス戦に向けての話題ばかり、夕刻から紅いTシャツを着た若者たちは市内の大型モニターを設置された各会場へ集結して行きました、最大の会場6万人収容のワールドカップスタジアムはすでに10時で満員札止め、翌日が土曜日ということもあり、全国民ぶっ倒れるまで応援するぞという気迫がガンガンに伝わってきました。
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試合開始までの5時間、前回同様の各会場での応援コンサート,人気歌手たちも紅い衣装歌の途中でこぶしを振り上げ<大韓民国>と、聴衆といっしょに大合唱、特大の国旗<大極旗>もうちふられ必勝ムードは、またまた頂点に達していました。
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結果はご存知の通りの2-0での完敗、おまけに3位だったフランスがトーゴに
2-0で勝ったため、勝ち点4をあげながら、審判の明らかな誤審もあったけれど最後の最後でまさかの予選敗退・・・・・・

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白みかかったソウルの通りには敗北のショックと徹夜の憔悴とで肩をがっくり落としてとぼとぼ家路に帰る紅い集団があちこちに見られました。

過ぎたことはあっさり忘れられる日本の国民性に比べ、WBCに続いてのまさかの予選敗退という奈落の底につきおとされた激情型の韓国はこのショックから立ち直るまでには今しばらくかかるのではないでしょうか・??

投稿者: otaku 日時: 17:42 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)

キムチ色に紅く燃えるソウルより

ワールドカップで熱く燃えるソウルに入りました。

翌朝の試合の前夜からすでに市庁舎前広場界隈には紅いTシャツの群集で埋め尽くされ応援コンサートの歌、ダンスで早くも盛り上がっていました。
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市庁舎近くのホテルで宿泊した僕は、打ち鳴らされる太鼓の音と<大韓民国!大韓民国!>のうねりのような絶叫で目を覚ましました。
窓を明けると周囲の道路はRED DEVIL(紅い悪魔)と呼ばれる徹夜した
群集で埋め尽くされ街中が甲子園状態、韓国が同点に追いついた瞬間はゴォ
ッというような轟音が響き、花火まで打ち上げられました。

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ほとんどの国民が朝4時前に起きてのTV観戦のため、徹夜組も含め昨日1日
韓国は国中が居眠りモード、ふだんあまり通勤電車内で居眠りしないソウル市民も昨日の地下鉄内は朝からあくびする人、眠る人が多く、セミナー会場のアルバイトの学生たちも昼休みはソファーに倒れこんで爆睡モードに突入、夕方のTVニュースも授業中に居眠りする高校生の姿を先生の<まあ、今日は仕方じゃないですか・・>の先生のコメントといっしょに報道していました。
こういう状態を予測して午後からの出勤に切り替えた会社もあったとか・・

世界野球同様、最後の奇跡に願いをかける日本、すでに予選リーグ突破を確信したようなハイ状態の韓国、いずれにしても23日は日韓ともに興奮の夜、寝不足の朝を迎えそうですね。

投稿者: otaku 日時: 05:59 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年04月15日更新! 世界からの便り

主宰者プロフィール

ガチャマンダオーナー

大宅 一裕
(おおたく かずひろ)

1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)

1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)

1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)

1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)

1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(~1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)

1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる

2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中