3週間の日本滞在を終え香港に帰国しました。
週末から街で多くの日本人観光客を見かけると思っていたら日本はSILVER WEEKですね。
昨日の日曜日、朝から久々に近くのビクトリアパークへでかけ朝日を浴び南洋樹林の中を海風を受け
ゼーゼーいいながらの1時間のジョギングでなんとか心身ともに香港モードにシフトチェンジできました。
ところが昨日は公園の中央広場がすっぽりと頭からスカーフを被った数千のインドネシア人の女性で
埋め尽くされている。彼女たちは皆香港への出稼ぎのホームヘルパー。
これは何事かと聞いてみると断食明けのハリラヤプアサの祝日のセレモニーが開催されるとか・・・
それにしてもメッカを思わせるような大集会、すでにここは中国特別自治区。
中国本土ではまだ宗教、集会の自由がままならないのに香港ならではの宗教イベントを見ることができました。
帰宅しシャワーを浴びて、そのままセントラルにある香港で最古の歴史のあるセントジョン大聖堂の
英語ミサへ直行、ここも香港人他多くの欧米人、それより多いフィリピン人のホームヘルーパーの女性た
ちといっしょに国籍を超えた国際都市香港ならではの感謝の祭儀に与りました。
アジアNO1の金融街も日曜日は閑散としていますが、一歩セントラルのほうへ行くとそこは
フィリピン人ホームヘルパーの集いの場所、そこはまるでリトルマニラ。
そのような異質の外国人の文化、習慣もすべて受け入れてガラガラポンして経済発展のエネルギーに
昇華してきたのが香港の活力の源だったように思えます。
香港人の女性のほとんどが結婚しても出産しても働き続けることができるのは家庭を支える彼女たち
外国人ホームヘルパーのお陰です。外国人の労働ビザに厳しい香港政府も彼女たちホームヘルパーに
は優先的にビザの発行をして香港人女性の労働環境をサポートしています。
(それはシンガポール政府も同様です)
日本も同じように外国人のホームヘルパーを受け入れれば日本人女性の社会進出を促進できるので思いますが、
上野公園に少しイラン人が増えたからといって気味悪がったり、治安が悪くなると懸念する島国日本の
国民性には
外国人労働者の増加政策はなかなか馴染まないかもしれませんね。
今年も香港コンベンションセンターで開催された香港ジュエリーショーに出展しました。
今回弊社ブースで展示させていただいたコレクションのひとつに若き日本人クリエーター
三代紘子さん創作の【MIYOUMU】、日本伝統のシルク糸を丹念に編上げたストリングにタイの山岳民族カレン族の手作りシルバーパーツ、ネパールの輝石ビーズを通して制作した繊細で優雅なブレスレット、ネックレスのコレクション、世界中からの多くのバイヤーの関心を引いていました。また若い日本人クリエーターが世界の舞台に飛び立つ日が近いかもしれません。
今年のタイはことのほか寒く、例年この時期最低気温20度前後のバンコクも15度にまで下がり、日本人にとっては快適この上ない気候もこの冷涼気候に慣れてないタイ人は防寒着を着こみ「寒い、寒い」の連発・・・東北の山岳地方では5度を記録し、凍死者もでています。町の露店でもどこから仕入れてきたのか、セーター、マフラーの大売り出し中。

タイでは15度以下の日が3日続くと寒冷危険地域に指定され、アピシット男前内閣はそれらの地域にすでに72万枚の毛布を配給し、ここでもポイントアップ。
ところが、こんなに寒がっていてもバンコクのタクシー、レストラン、マッサージ屋、カラオケ店などの室内ではエアコンをガンガンONにしていて・・??? この感覚がいまだに理解に苦しむところです。(これはタイのみならず、香港、シンガポールなど南国共通の慣習のようですが・・)
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バンコクに移動し2泊し、所用をかたずけて香港への帰路機内で現文化庁長官、青木保氏著 1976年発行【タイの僧院にて】を再読。青木氏は上智大学独文―東京大学教養学部卒業後10回に渡ってタイを中心にアジアを調査。1972年ー73年タイ チュラルコン大学留学中 6か月間 バンコク王立寺院で仏門に入り剃髪し托鉢しながら得度から還俗までの厳しい修行の体験を記した書、30年の時を経ても今なおタイの国民にとっての仏教世界の実態が鮮明に伝わってきて再感動。

1か月ぶりに帰国した香港は旧正月が1週間後にせまりすっかり迎春モード日曜日の18日 香港島最大の繁華街 銅鑼湾(コーズウェイベイ)には正月の準備品や最終セールの買い物客でいっぱい、また人気のレストランの前はいつものように行列。


香港で4年間で13店を開店し、遂には日本(赤坂、銀座)に逆上陸を果たした寿司王リッキーチェン経営の回転すし<板前寿司>は今夜も相変わらずのにぎわい。

この季節香港人に人気はやはり蛇料理、冬眠にそなえ栄養たっぷりに太った蛇は脂が乗り切ってこの季節絶品とかで蛇料理の老舗<蛇王二>の前も長蛇の列。

今年の香港の正月映画の一番人気は【崖上の波児】:すでに17日から広東語版で大公開宮崎作品はこちら香港でも大人気です。

中国圏にお住まいの皆さま、どうぞよいお年を・・・
香港島中央にあるコンベンションセンターで開催されている雑貨、おもちゃ、家庭用品など巨大見本市
MEGA SHOWでのこと。展示ブースの前で配られているサンプルを何気なく受けっとってみると得体の
知れないプラステッィックの輪っか、手のひらでくちゃくちゃやると変幻自在に形が変わる、ブースに入っ
て展示業者の女に子に<これいったい何?>と尋ねると<子供のストレス解消するおもちゃ>とのこと、
判ったような,判らないような答えに・・そのままサンプルをさらに何点かもらって立ち去ったが、オフィスに
帰って、カタログを見てびっくり、この商品すでに1981年にアメリカ人ザーウィッツ氏によって考案され900
0万個の売り上げ実績のある超ヒット商品Tangleであるとのこと。
さっそくネット検索してみると
タングル」は世界中で大人も子供も夢中になっているオモチャ。いくつものパーツを回転させたりし
て、遊び方を想像できるアートオブジェです。このタングルはクローム製。連結した曲線のパーツを回転さ
せてあなただけのオブジェを作ってください。パーツは17個ですが、生まれる形は無限にあります。デザ
イナーのリチャード・X・ザーウィッツは彫刻家、仏教徒、ヒッピー。ハワイ大学を卒業後、日本やチベットな
どアジアで自分探しの旅をする中でタングルをひらめき、自作の彫刻を基本にさまざまな素材のタングル
製品を発表しています。 効能はスロレス解消、禁煙にも役立つ・・・とのこと
プレスリリースには何とあのダライラマ師がTangleを手に取っている画像も掲載。
アマゾンを検索するとすでに売り切れ、しかも入庫予定なし・・・
そんなレア商品ならばあの見本市で誰彼となく湯水のように配りまくっていたサンプルは一体何だったの
かと??
益々このTangleなる商品の謎は深まるばかり・・・
どなたか日本でのTangle情報ご存知の方はおしえてくださいませんか・・・・
1か月ぶりの香港は亜熱帯独特の高温多湿の季節に入り、ビクトリア湾も靄で煙っています。
留守中の5月12日の中国大地震被害者への募金依頼の手紙やメールが各所から届いていて
TVでも香港の歌手、タレントたちの募金コンサートを中継していました。
これまでお世話になった中国ですから香港赤十字を通して零細企業として分相応の範囲内での
ことはさせてもらうようスタッフに依頼しました。
中国からのTVニュースは国家、国民一体となって復興を推し進めているという自画自賛的報道ばかり、
被害にあい親も家もなくした子供たちが援助を受けてやたらにこにこしているのにはどこか違和感を感じ、
日本で報じられていた被災地の悲惨な映像や政府の無策に対する抗議行動の報道は一切なし。
それにしても今回のミャンマーのサイクロン、中国地震への義援金は最終的にどこに
どうやって届けられるのか、ついつい疑心暗鬼になってしまいます。
インド洋津波のときも、義援金は末端の被災者に行く前にタイ政府、軍隊の
小役人によって中抜きされていましたし、義援物資は闇市場に流れていました。
今チェンマイでも継続的にカンボジアへの援助衣料の横流し市場が存在しています。
特に今回ミャンマーへの善意の金品はミャンマー軍事政権の下での管理になるでしょうから、
被害を受けたミャンマーの人たちに届かず、反民主主義運動の資金となるのではとついつい疑ってしまい
いまだミャンマーへの募金には躊躇しています。
明日タイへ移動します。今回も皆様からご協力いただいているHIVで親を亡くした子供たちへの貴重な奨学金と山岳民族、難民キャンプの子供たちへのスーツケースいっぱいの善意のピアニカ第2便を
決して中抜きも横流しもせず、そのまま、直接子供たちに届けに行ってきます。
新たな笑顔の子供たちとの出会いを楽しみに・・・
台風関東上陸前夜の6日成田からの最終便で香港に移動しました。
日本での拠点となった湯河原での楽しみは朝からの海を観ながらの屋上露天風呂
台風の接近のこの6日の湯河原海岸にはすでに怒涛のような波しぶきが打ち寄せているのが見え、熱海ビーチラインもすでに閉鎖されているとか、香港行きのフライトは夕刻の18:40ですがよく台風でストップする東海道線を見越して早く移動しておいたほうがいいという家人の愛(?)の勧めもあり朝7時過ぎの東海道線東京行に大きなスーツケースを引きずって乗り込みました。
この時間なら座れて、すいていて楽勝と思ったのが大間違い、茅ヶ崎あたりから通勤、通学客がどんどん乗り込んできて、皆もろに大きなスーツケースをいやがって冷たい視線。1時40分かけて、やっとの思いで東京駅着は午前9時、
これから成田だとあまりにも早すぎるので、スーツケースを東京駅の大型コインロッカーに預け時間つぶしにビッグサイトで開催の東京ギフトショーに見物にでかける、過去自社でも出展したり、幾多の文物、人物に遭遇したこの展示会で
今回もなかなかの商品、人にめぐり合えることができ、台風の中わざわざ行った甲斐がありました。(詳細は別メールで)
展示会で収集したサンプル、資料の山をペリカン便で湯河原へ送り、激しくなってきた風雨の中、東京駅から早目の15:33成田エクスプレスで成田空港へ、
チェックインカウンターで出発状況確認すると定刻出発とのこと???(台風直撃のはずなのにね?)
搭乗も定刻に終え風雨の中ゆさゆさと離陸、通常の香港へのルートはもろ台風の現在位置伊豆諸島上空のはず、どういうルートで飛行するのかと興味深々で飛行航路を映し出すスクリーンていると、何と台風に背を向け一路新潟上空まで北上、それから西に小松ー岡山ー高知を辿り通常の東シナ海上空ルートに達しました。なるほどと妙に納得・・・
香港着陸前、欧米(?)人の機長からのアナウンス今日の台風の中での離陸はなかなかエキサイティング だったとのこと・・・なかなかいってくれるじゃない・・・
飛行時間中、たいした揺れもなく無事香港着陸、飛行時間も予定通りの4時間30分、隣の席で知り合ったカメラマンのH氏はこれからトランジットで15時間かけて南アフリカ ヨハネスブルグへ向うとのこと・・ご苦労様です・・・
お互いの旅の無事を祈って堅い握手で別れ、僕は深夜の香港の街を列車とタクシーに乗り継ぎ、ねぐらへ無事帰還
またしばらくは湯河原の温泉生活とは正反対のなんでもありの24時間エキサイティング な香港ライフが始まりました。
連日 雨のち豪雨時々雷雨、晴れ間のない香港です。
オフィスから見るビクトリア海峡もうすらぼんやり煙っています。
バリ島で200%充電し香港に舞い戻り早朝から香港モードのフル稼働でPCに向い夜は友人たちと久々の情報交換を口実に夜の街へ連夜の沈没で放電しています。
ノートブックと携帯電話のお陰で、数週間香港を留守にしても以前のように
帰ったら仕事が山積みということはなくなりました。(以前は1週間の海外出張が限度でしたが)ほとんどの連絡、確認、決済(といってもそんなたいそうなものはりませんが)はインターネットでどこ国へいても(バリ島のビーチで昼寝していても、チェンマイでゴルフしていても)即座に行うことができるようになり、本当に有難い世の中になりました。まさにIT様々です。
今のところ小切手や書類へサインのみが香港でなくてはできない業務ですが、そのうち電子認証が普及すると益々回遊生活に拍車がかかりそうです。
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日本からのニュースは連日、不穏、不都合、不適切なニュースばかり、特に日本社会、マスコミのベンチャーの起業オーナー叩きは日本独特の風土のようですね。古くはリクルートの江副(敬称略),昨年は村上、ほりえもん、そして最近はGWGの折口、昨日はNOVAの猿橋
連日マスコミ、ワイドショー、の恰好の餌食となっているようですね。
あえて誤解を恐れずにいえば、彼等の日本での罪状は香港ではさして話題にならないほどの軽微なもの。チョット前までは時代の寵児のように持ち上げておいて、今となってはあれほど完膚なきまでに叩きまくる日本風土は香港の起業家たちにとっても大いなる疑問。
あれでは有能なベンチャー起業家はびびりまくるのではと・・・香港巷のうわさ
もともとは中国からの難民が一文無しから身を起こし違法と合法のボーダーを突っ走りながら財を築いてきたのが香港華商経済界。今はなき有名な財閥のオーナーも、もとはといえば着の身着のままで中国から香港にたどりつき戦後のどさくさに小麦粉をペニシリンだと称して稼ぎまくり一大財閥を築き上げたことは周知の事実、マカオのカジノ王、スタンレイ ホーも黒社会と経済界の清濁両界に君臨する大君
今となっては世間はその負の過去にはあえて触れず、築き上げた財とその社会貢献に評価を与えています。
この香港ドリームの一攫千金を夢見る起業社会で這い上がってきた男たちは誰しも少なからず叩けば埃がでる過去を背負っているのでは・・
またそれを大目に見る中国人独特の社会の風潮に保護されているのでは・・・
それを知ってか知らずか、村上もホリエモンも香港でのファイナンス活動を始めていたのでは・・(それが発覚して日本ではまたまた火に油を注ぐような事態になったとか)
かくいう我が社はこのなんでもありの香港で、持って生まれた生真面目な性格(???)ゆえ、ひたすら清廉潔白の経営手法(???)をかたくなに続けてるので20年たってもいまだ泣かず飛ばずのままでいるのですが・・・
何かご異論ございますか・・・?
たとえば、香港に来られる機会があり、たとえば夜フリーの時間がとれるとすれば、夕食の時間を少し早めに6時ごろからにするか、少し遅めに9時ごろからにして是非是非午後8時にビクトリアハーバーのハーバークルーズに乗られるか、九龍半島の先端のプロムナードへ行かれシンフォニー オブ ライトをご覧になることをお奨めします。
毎晩8時から海峡を挟む香港摩天楼の33の超高層ビルの外壁に点灯するネオンとそこから放つレーザービームの七色の光が海峡に響く大音響のリズムに乗せて夜空に躍動する音と光の20分間の一大ページェントが繰り広げられます。その光が海峡に反射し空海一体になった百万ドルの夜景香港ならではのショーでなんと観覧無料。
20分間のショーの後は対岸の夜景を見ながら、恋人どうしでも新婚カップルでもシルバーカップルでも愛人どうしでも男どうしでも女どうしでもこの最高にロマンチックな情景の中、愛を語らいながらしばし歩き、とどめは僕のいきつけのインターコンチネンタル ホテルのロビーバーでのおしゃれなドリンクでことは決まり・・・
なじみのボーイにいつものようにチップを握らせ、ウィンドウサイドの席に案内してもらう、相手は眼前に広がる星屑をちりばめたような夜景に思わずうっとり
生バンドが甘くせつないブルースを奏で、ボーイにおもむろにオーダー
「いつものを2つ・・・」
「・・・・・・」
しばしの沈黙
「エックキューズミー サー いつものって何でございますか??」
「・・・・・・」
遠くで霧笛がボー・・・・・・
東京の満開の桜もかろうじて観ることができ、3月31日の深夜香港に帰国し、、
やっと日本の花粉症からも寒さからも解放され、心身ともにアジアモードに転換し、昨日の日曜日、家人と香港でお気に入りの散歩コースへ出かけ新緑の英気を胸いっぱい吸いながらのウォーキング、夜はこれまた広東海鮮料理をいつも行く近所の金賞受賞レストラン、太湖海鮮城でむしゃぶり食って久々の香港休日ライフを満喫しました。
もし、香港に来られる機会があり2時間フリーな時間があればお奨めの一押しスポットがこの僕のお気に入りの散歩コース MORING TRAILです。
香港島の観光客のメッカ、ケーブルカーで登る展望台のピークの近くからスタートする一周2.7kmの亜熱帯林を抜けての遊歩道で、歩くにつれてはるか東シナ海、摩天楼にはさまれたビクトリアハーバーが眼下に広がり、きれいに整備された小道にはそこかしこに可憐なトロピカルフラワーが咲き絶景を眺望しながら贅沢な森林浴を楽しめます。
そしてウォーキングの後は老舗のピーク カフェで一休み・・・僕は生ビールをグビ飲み・・・
特に昨日のような週末には、このコースは地元の香港人や香港在住の外国人にとっても香港島の住いから至近で絶好のハイキングコースになり、
家族連れや老夫婦、恋人どうし、それぞれのスタイルでジョギング、ウォーキングを楽しむ人たちをウォッチングしていても飽きないコースです。
めまぐるしく躍動する喧騒の香港金融街セントラルからケーブルカーで10分、パノラミックな静寂の自然の世界が広がっています
香港島は二つの顔を持っています。
喧騒と猥雑の中で金融と経済がめまぐるしく躍動し続けるビクトリア ハーバーに面した島北部と白砂の海岸と地中海風の超高級住宅、高層コンドミニアムが林立する東シナ海に面した静寂の島南部。
島の中心セントラルのエクスチェンジ スクエアから2階建ての快速260番
赤柱(スタンレー)行きのバスに乗り込み島を縦断するアバディーントンネルを抜け海岸沿いに曲がりくねった狭い道をジェットコースターのように突っ走ると
40分ほどでスタンレー(赤柱)に到着します。
半島に位置したこの一帯は、古くからヨーロッパ人に愛された地域
昔ながらの雑貨からファッション,みやげ物、画廊など小さな店は今も多くの観光客で賑わいそこを抜けた海沿いに並ぶサンタモニカ風(?)のカフェやレストラン、バーの一帯は次々と新しい店が店開きしています。
かって香港に住んでいたテレサテンもこのスタンレーを愛し、彼女が頻繁に利用したシーフードレストランでは今は店の名は変わってしまったけれど、昔の面影を残した趣ある建て物は今も健在です。
海沿いを300mほど行くと、マレーハウスと呼ばれるコロニアル風の石作りの洋館が見えてきます。1846年にイギリス将校の住居としてセントラルに建てられていた香港最古の歴史的建造物を保存されていた4000個あまりの当時のままの花崗岩ブロックを使用して2001年場所移し、ここスタンレーに復元されたとのこと。1階は港町香港を往来した先達の夢と浪漫の歴史を感じさせる物品が展示してある香港海事博物館、2階は多国籍レストランがあり、新たな観光スポットとなっています。
夕闇せまるころ海岸沿いのバーで潮風を受けながら冷えたビールを飲んでいると、時がプレイバックしたようなコロニアル香港を体験できます。
3週間ぶりに帰国した香港は、すっかりクリスマスモード、海峡を挟むそそり立つ高層ビル群はクリスマスのイルミネーションで輝き、ビクトリアパークでは香港の年末の恒例香港産品の展示即売博覧会 41回工展会が9日から年明けの1月1日まで開催され多くの香港人で賑わっています。
日本から来訪の高校時代の旧友と夕食の前にスターフェリーで黄昏クルージングをとセントラルのフェリー乗り場へタクシーで行ってみましたが驚いたことに、スターフェリーの乗り場がディズニーランドようなメルヘンチックな白亜の建物<セントラル ピア>に一新していました。
聞けば11月11日で1958年から続いてきた旧エディンバラ プレース埠頭は閉鎖し、12日から500mほど離れたこの新生セントラル ピアがオープンしているとのこと、11日の深夜12時にはサヨナラ記念航行の4隻のフェリーが同時出航し、12回打ち鳴らされた鐘の音とともに、旧埠頭の照明がすべて落とされ48年間の歴史に幕が降ろされたとか・・・
(余り長く香港を留守をしていると、こんな歴史的イベントの情報にも、疎くなってしまい反省、反省・・・)
新生埠頭からフェリーに乗り,潮風を受け、黄昏せまる香港島の夜景を見ながら5分のクルージングで対岸九龍埠頭に到着、そのまま海峡沿いに長く続く舗道は、すでに、クリスマスの夜景を見に来ている人でいっぱい。
この最高にロマンティックな舗道を、中年のおっちゃん二人が背中を丸めながらそそくさと歩いて辿りついた半島の先端インターコンチネンタル ホテルの1階ラウンジはやはり、この界隈NO1の絶景スポット。
週末とあいまってすでに満席、しばらく待ってやっと席につき、BGMのピアノの甘いバラードが流れ、正面のガラス越しに拡がるきらめく香港島の夜景、ネオン色に染まる海峡を横切る大型客船、ジャンク、観光船のスペクタクルはまさに圧巻。
やはりこの絶景はおっちゃんどうしでなく、もしも願いが叶うなら愛する人と二人でおしゃれなカクテルでも傾けながら見なきゃもったいないよね・・・と
側にいるカップルを横目で見ながら、幸せ薄いおっちゃん二人でボソボソと恨みがましく話しながら、ピーナツをつまみに居酒屋気分で水割りをグビグビ飲んでいました。
11月になって乾季に入り、香港の気候は実にさわやか、香港滞在中は毎朝走るビクトリア公園も気温22度、湿度50%で快適そのもの。
緑の木々に混じって一年に2度咲く、香港を代表し、国旗のモチーフにもなっている紫荊花(ボヒニア:香港桜)がショッキングピンクの花を咲かせ、公園に鮮やかな彩りを添えて、いつまでも走っていたい気分になります。
今日もいつもの通り午前7時に公園に行くと、中央の広場が黄色に染まっている(えっ? ここはタイ???)
あわててデジカメを取りに戻り、激写開始、
今朝は法輪功の集会があるらしく、全員黄色に<真、善、忍>とプリントされたTシャツに白のパンツ姿、その数、数百人が広場でも木陰でもスピーカーから低く流れる声にあわせてゆっくりと集団気功をしている。
ご存知の通り、この法輪功、中国での信者は共産党員を越えているといわれ
中国政府からは目の敵のように、弾圧、迫害を受け、公の活動は一切認められていない集団。
一応言論、集会の自由が保障されている香港ではさすがに禁止、弾圧は出来ず、定期的に今日のような集団気功の集会をやっているようです。
<中国のオーム>いう人もいますが、周りから見る限り、参加しているのは子供も含め、極めて普通の香港人でオームのような胡散臭さは全くありません。
もちろん回りには制服、私服の中国公安(?)、香港警察がじっと様子をみていましたが・・・
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デジカメを持って来たついでにいつも気になっていた公園の人物撮影、
上のおっちゃん2人は決して喧嘩しているわけではなく、またホモのおっちゃん同士がいちゃついているわけでもなく、
太極拳の組み手のようなもので、こういう格好でゆっくり、いつまでも2人で、じゃれあうように体を寄せ合ってくんずほぐれつして、かなり不気味な動き、
このオヤジも毎朝、同じ場所で大声を出して手足を高く上げてその場行進を繰り返しています。
上のおばちゃんはカセット聴きながら、いつもニコニコ、かなり動きの激しいひとり社交ダンスを毎朝やっています。
皆、自分のスタイルで朝のエキササイズを楽しんでいるのですが、初めての人が観るとかなり怪しい人がたくさんいます。
かくいう今日の僕はジョギングスタイルでIPodのイヤフォーンに片手にデジカメでキョロキョロ、ウロウロ走りまわっているのですから、法輪功の張り込みをしている公安から職務質問を受けてもおかしくない挙動でしたね。
香港生活でかかせないのがこの2つのカード
ひとつは身分証明のIDカード、空港の入出国、銀行口座、保険、不動産貸借、等々、あらゆる公的書類、手続きに必要です。運転免許書もIDナンバーにリンクしています。
このIDカードには顔写真、すべての指の指紋、そして個人情報がインプットされていて香港住民は外出の際にも携帯が義務となっていて、街角では警官が怪しい人物にはIDカードの提示を求め不法滞在者のチェックが行われています。
もうひとつのカード八達通(オクトパス)、日本のスイカよりも先に導入され、香港のタクシー以外のあらゆる交通機関(地下鉄、バス、フェリー、トラム、鉄道)で使用でるプリペイドカードです。、またコンビニ、商店、映画館など多くの商業施設での使用できます。特につり銭を出さないバス、ミニバス,トラムでは必携、
香港人は平均年齢が若いせいか、このようなID装置への順応にすごく早く、機械の前でまごまごしているのはたいてい大陸から来た中国人。
このカードは日本人の開発とかで名前の由来も<置くとパス>からきているとか・・??
最近、香港のID保持者の空港の出入国が駅の改札のように自動になりました。残念ながら撮影禁止区域などで画像の掲載はできませんが、まず競馬のパドックのようにたくさん並んでいるゲートから入り、鑑定ボックスにIDカードを置くと数秒で認識され第一とびらが開き、次に諮問認識のボックスに親指を当てると数秒で第2のとびらが開き、これで入出国検査完了、その間 1分。今までのように並ぶこともなく便利な世の中になりました。
日本でもICパスポートの発行により入管の自動検査の実現に向けて動きがあるそうですか、まだまだ障害がありそうですね。
Mちゃんから贈られたリリーフランキーの<東京タワー>を読み泣けました。
すでに両親が他界した僕にとっては、まさに親孝行したいときには親はなしの感ひとしおにさせる作品でした。
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僕には20年前に香港で住み始めてから単身生活を支え続けてくれている香港の母がいます。
皆に七姐〔チャッチェ)というニックネームで呼ばれている(実は本名は知りません)67歳の我が家、我が社のお手伝いさんです。
七姐は名前の通り、14人兄弟姉妹の七番目の娘、中国広州の裕福な商家に生まれ、幼い頃は子供ひとりひとりに乳母がついていたとほど何不自由なく育てられ、17歳で中山大学卒のエリートビジネスマンと結婚し、3児をもうけたとき文化大革命の嵐、ブルジュア粛清で親兄弟は家財産没収され下放、悲嘆にくれた夫は首吊り自殺、3人の子供を親戚に預け、友人と姉2人とボールを浮きにして泳いで中国脱出(その途中友人は溺死)
やっとたどり着いた香港で働いた経験のない七姐にとって仕事いえば阿媽さん(女中)か娼婦くらい(美貌、年齢面で後者は無理)
今や阿媽さん歴30余年、ほとんどがフィリピンメイドにその職を奪われた中、中国人の阿媽さんは天然記念物的存在になりつつあります。
香港が中国に返還された今、預けてきた子供たちは里親に育てられ海外留学するまで立派に成長し、七姐としては今更おめおめと捨てた中国に里帰りもままならない境遇におかれてしまいました。
まさに近代中国の激動の歴史に翻弄されたような人生です。
過去多くの日本人家族に仕えた七姐は日本人の奥さん方にも可愛がられたようで日本料理も得意(日本語はだめ)
いつもたくさん作りすぎるくらい作って独身の駐在員の友人たちもよく七姐の日本食を食べに我が家に集まって来ました。(まるでリリーフランキーのオカンそっくり)七姐の作る料理はいつもボリュームたっぷりで僕の体重、コレステロール、血糖値は増加の一途、七姐は友人たちが来る度に広東語をはりあげて
<大宅先生は昔はガリガリだったが今は私の料理のお陰で太ってきた>と言っては自分が育てたブロイラーように自慢するのでした。
その七姐もこの20年で今ではすっかり老いの目立つおばあちゃんになり、自分は苦労したから人より老けてみえるとは本人の弁ですが、
老後保障のない香港では僕が生涯面倒みなければいけないと思うほどかけがいのない家族のような存在になってしまいました。
今日も七姐は朝から早く来て(僕がさぼってあまりしない)僕の父母の遺影とマリア像の前にお茶をあげて手を合わせてくれています。
父母は禅宗、僕はカトリック、七姐は儒教、まさに宗派、国境を超えたコラボレーションです。
僕が異国香港、アジアで今日まで何とかやってこられたのも、七姐をはじめ香港、アジアのスタッフ、友人の助けがあってこそ
こちらが深く頭を垂れ合掌したい心境です。
<世界からのたより>更新しました。
(まさきのNY日暮し日記)転載しました。
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香港島の銅鑼湾(コーズウェイベイ)の海岸あたり一帯
雨の日も風の日も毎日正午に轟く砲声は慣れてない旅人たちを何事かと驚かせます。
その轟音の主はビクトリア湾のヨットハーバーに面したところにある砲台にあるヌーンガン (NOON GUN)
そこへたどり着くには湾岸ハイウェイの下を抜けての地下道から。
湾岸沿いのエクセルシア ホテルの地下駐車場から降りて、下水道に利用している海水用の太いパイプが通ているスパイ映画に登場しそうな狭い抜け道。
毎日正午の号砲は英国植民地時代の政府お抱えの商社ジャーディンマセソン社の置き土産の伝統儀式、
その昔は自社の船が港の出入りの際に礼砲として発射していたのがいつの日か正午の時刻を告げる号砲になって数十年。
中国返還になってからすでに9年、今もなお植民地時代そのままのユニフォームを着た砲兵が毎日、腕時計を見なが打ち放つ儀式を観ようと毎日観光客が
昼前から大砲の周りに集まりはじめ、ま近で聞くと内臓まで揺さぶられるような
この大音響に一様に声を出してびっくりしながら、この伝統の風物誌を楽しんでいます。
今日もオフィスからこの砲声が聞こえるといつものランチタイムの開始です。
香港島随一の繁華街、銅鑼湾最大のショッピングモール時代廣場(タイムズスクェア)前の飲食店はどこも人気、その中にある香港ですでに4店舗展開のテークアウトのたこ焼き屋<築地 銀だこ>
一昔前までは香港人に抵抗のあった蛸も今では寿司ブームのお陰で全く問題なし、日本同様のユニフォームで器用に焼き上げたこ焼き6個+ドリンクで29香港ドル(約450円)、このドリンクでの人気がアイス抹茶必ずシロップとストロー付、ミルク抹茶もあり。
今、東南アジアではアイス抹茶、緑茶ブームそれも必ず砂糖入りで甘く、初めての日本人はびっくり。
この時代廣場前に先週から出現した大きなブロンズの塊の数々、
台湾が誇る世界的彫刻家 朱銘(JU MING)の作品展、
台湾では観光名所にもなっている広大な朱銘美術館があり、日本でも箱根彫刻の森美術館で行われた巨匠の作品展を商業モール前の広場で行うのも香港らしさ、普段商売一辺倒であまり美術、芸術に興味を示さない香港人も興味深々に見入っています。
台湾の巨匠の芸術品を日本のたこ焼きを食べながら鑑賞できるのも国際都市香港ならではの週末でしょうか?
その昔、香港の空港は林立するビルの谷間へ離着陸するあの啓徳(カイタック)空港、世界一危険度が高くドラマチックなタッチダウンできる空港ともいわれました。
イギリスが1997年の中国返還前から香港への置き土産として計画された新空港は昨年ディズニーランドも開園した離島大嶼山(ランタオ島)に1248ヘクタールの敷地に200億USドルを投じて6年の歳月を経て返還から1年遅れで1998年7月6日に開港した香港国際空港(チェックラップコク空港)。
設計は香港上海銀行を設計したイギリス人建築家ノーマンフォスター、建物を支える柱や壁を使わず、外側にむき出しにされた太い鋼鉄フレーム構造で建物を支え、自然光をドーム型天井から取り入れた明るく、快適な環境を創り出しています。
建設にあたってのゼネコンもほとんど英国系企業に受注したため、植民地時代宗主国の最後の略奪とのうわさもありましたが、21世紀の香港の発展には絶対に必要であった施設であったことは確か。
開港から8年、今では空港からトランジットでアジアの各主要都市へそして入国手続きなしで隣接のスカイピアから中国広東省、マカオへフェリーでの乗り継ぎができ、まさしく東南中国へのゲートウエイとなり、毎年行われるイギリスの調査会社SKYTRAXの<AIR PORT OF THE YEAR>世界空港満足度ではシンガポールのチャンギ空港とともに世界一を競う大空港になり、香港市民からも大いに感謝されるイギリス植民地統治時代の最後最大の置き土産となりました。
五色塾 小川誠さんの<地雷を踏んだ象を支援する特別号>は世界からのたより をクリックしてご覧ください。
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イギリスは香港統治時代、本国のハイドパーク、リージェントパーク等と同様に街の真ん中に大きな公園を造った。
九龍公園,香港公園、そして維多利亜公園(ヴィクトリアパーク)、中国返還後もそれらの公園は今も市民生活に密着した憩いの場であり、集いの場、そして運動の場となっている。

香港の朝は早い。夜明けとともに公園には太極拳をする老人たち<早晨(ゾォーサン)早晨 (おはよう、おはよう)何故か2度言う>と挨拶しながら集まり始め、またジョギング、エキササイズに出勤前の近所のおっちゃん、おばちゃんがやってきて摩天楼に囲まれた木立におおわれた公園は次第ににぎやかになっていく。

公園に運動に集まるおっちゃん、おばあちゃんたちの衣装は、トレーニングウェアではなく、一応部屋着、おばちゃんはプリントのブラウスにパンツ、ハンドバッグはたすきがけ、靴も普通の革靴、歴史に翻弄された香港に生きてきた年輪が顔に刻まれている。

イギリスの植民統治に残した、英語教育、英語のニックネーム、迅速で清廉な公務員の仕事のマナーまた、市民生活密着した公園、世界一とも評価されている国際空港など、それらのソフト、ハードの植民地時代の遺産は中国返還後もしっかりと香港の市民生活に根を張り、今も有効に活用されいる、
植民地時代の象徴であったヴィクトリア女王の彫像もそのまま厳然と残っている。
戦後60年たってもいまだなお批判され賠償請求されている日本の統治との差を感じずにいられません

衣食住すべての物価が日本並み(それ以上)になってしまった香港で、まだ公共交通機関の料金は割安感を保っています。
地下鉄(初乗り:4元/60円)タクシー(初乗り:15元/225円)バス(初乗り:3.2元/48円、路面電車(2元/30円)スターフェリー(2.2元/26円:ファーストクラス)
中でもお薦めは英国植民地時代から半世紀以上に渡って利用され続けている
路面電車(トラム)とスターフェリー。
路面電車(トラム)は、香港島だけに走る2階建電車、これがどこまで乗っても
一律2元(30円)、2階席に乗って香港名物の路面にせり出した看板すれすれに
香港島の繁華街、金融街、旧市街をゆっくりとゴットン、ゴットン揺られながらの
数十分、観光バスでは味わえない香港の素顔に出会えます。
そしてイチオシは、香港島の中環と九龍の尖沙咀間のビクトリア湾を6:00ー23:30ピストン運行しているスターフェリー(天星小輪)、煙突に星のマーク、白とグリーンの船体はまさにコロニアル レトロ、名前も<天星><日星><牛星>などの星をネーミングした減価償却がとっくに済んだ船が12隻この道数十年、船の乗降の作業するレトロなおっちゃんのユニフォームも昔ながらのスターマークのセーラー服
運賃は1階の2等席が1.9元(26円)2階の1等席が2.2元(30円)、乗船時間は7分
お薦め乗船時間はたそがれ灯ともしごろ、そよぐ潮風のなか、大小の船が行き交う海峡をフェリーは海に浮かぶ枯葉のようにユラユラと進んでいきます。
超高速に進行する香港生活で、このフェリーの空間はまさにタイムスリップした異空間、 香港摩天楼を茜色に染めながら夕日が沈み、百万ドルの夜景がポツポツと灯りはじめ、やがて始まる香港ナイトライフのときめきを予感させる贅沢な7分間30円(ファーストクラス)のプチクルーズ、是非機会があればお試しください。
大宅 一裕
(おおたく かずひろ)
1949年
京都生れ(街頭テレビの力道山の空手チョップに街は熱狂していた)
1968年
神戸六甲学院高校卒業 (裸で便所掃除のスパルタ教育)
1969年
上智大学外国語学部入学(キャンパスにはシュプレヒコールが響き、街には藤圭子の歌が流れていた)
1973年
大手百貨店入社(婦人服部に配属も連日返品作業、催事場での呼び込みの毎日)
1982年
百貨店の海外開店のためファッション担当としてシンガポール出向駐在(?1986年)
(仕入れのため世界各国へ出張し、海外とりわけアジアの魅力にズッポリとはまる)
1987年
百貨店退職後、香港にてGardex Internatinal 設立
香港を基点にヨーロッパ、アジアでのファッションビジネスに携わる
2000年
タイ、チェンマイにて会社設立、旅行業、ファッション、雑貨、食品貿易業のかたわらチェンマイ郊外のプーディン小学校との交流、支援を継続中